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スローペースで、二人で出来る事を模索しながら。二本松、競馬、などなど。

麗しき人の夢 ⑥

今とは違う、かつてあった時に思いを馳せるたび現在の生活が高度なテクノロジーに支えられている事を実感する。場所によっては100年ほど前とは全く違う世界に見えるのかも知れない。一方で、地方の変わらなさはまるで原風景がそのまま残っているのかと錯覚させるほどである。だが何でもない田畑さえもよく目を凝らして見れば、現代の技術に裏打ちされている作業を行っているという事に気付く。


いずれ人工知能が活躍し始める時代も来るのだろうと本当にそう思えてしまう時代になった。けれどいつになるのか定まらない今は、比較的単純な書類を作成するのもまだまだ人間の仕事である。定型フォームに決められた数字や文字などを入力してゆくという作業に革命が起ったならどれほどの人がそれを喜ぶか分らない。


「あ、ミスった…」


特に細かい数値の目視での読み取りが疲労で厳しくなってくると、単純作業とはいえ代わって欲しくなる。ミスをした部分に数字を入れ直して、念のため他にミスしている部分がないかどうかチェックする。そこそこ大切なデータでプレゼンに使う資料の土台だからここは正確さが必要となる。数字での表現とそれを視覚化したものの威力は言葉で延々と説明する事を馬鹿馬鹿しく感じさせる。もちろん要旨をしっかり言語で捉えた説明があって有効だけれど、どうも文章に拘りたいタイプの私は何か不本意な気持ちさえある。


<いや、「あいまいさ」が欲しいのかも知れない…>


心の中でそれ自体曖昧な事を思う。それこそデータには現れない顧客の潜在的な需要とか、アンケートをした時に辛うじて拾えるかなり漠然とした要望とか、そういうところまで経験的に知っているからか、そういうものを綜合したうえでの自分の判断をいかに説明するかだと実際上は「多分」だとか「かなり」だとか付け加えたくなるものである。



無論、リスクを少なくという判断ならばなるべくならば確実な情報をという気持ちが優先されるというのも頷けるけれど。ただそういう仕事上の判断を家にはあまり持ち込みたくない。その日家に帰った私は猫のあごを撫でながらリラックスした気持ちでテレビを見ていた。画面に映っていたのは地元の近辺を旅している番組でもしかしたらチラッとN市の何処かも映るかも知れないと思っていた。


『いやぁ、旨いですね』


ありがちなグルメレポートを見ていると食事を採ったばかりなのに腹が減ってくる。行ける場所だし今度食べに行こうかな、などと思っていると不意に見慣れた場所が現れた。


「あ!お城山じゃないか」


それは地元民なら誰でも知っていて、歴史好きな人なら一度は行ってみたいだろうと思われるN市に残る立派な城跡であった。城跡ではあるもの石垣や城壁を遠くから見ると城そのものに見えたりするので、訪れた人は結構満足するようである。


『いやぁ、立派ですね』


わずかにレポーターの単純な感想が気に掛かるけれど概ね好印象であったようで、カメラワークの妙で確かに立派に見えたのは流石だなと思った。この番組もさることながら、私はまたしてもあのエッセーの一文を思い出していた。


『『つわものどもが夢のあと』という有名な句があるけれど、確かに古にあったという栄華も無くなってしまった今から見れば一時の夢の如きものなのかも知れない』


この文については作家の意見と言うよりも、芭蕉の頃から、或いは更に昔からそう言われてきた無常観を引き継いでいるに過ぎないのかも知れない。けれど、日本の転換期に国を二分するような大きな戦争があり、その舞台ともなったこの城跡の事を考えると、『古』というよりはまだまだ近い時代のしかも生き証人によって詳細に語られている、少し前の事のような気さえしてしまう。カメラは最後に城の正面の『少年隊』の像を映してフェードアウトした。



「つわもの」という言葉は「兵」と書き、「強者」ではないのかもしれないが、その戦いで散った少年達は確かに「つわもの」だったに違いない。まごうかたなき武士。官と賊になってしまった戦いだが、敗者からの言い分も勿論ある。けれど所詮は戦。いわば殺し合いである。



ただ少年達が見ていた「夢」とはなんだったのだろうと考える時、決して一言では片付けられない普遍的な何かをそこに見るような気もする。




かつてここに広がっていた世界は今はもうない。人も物も、代わり、何かを引き継ぐようにして今がある。だからと言って、それが「夢」のようだなどと思えない自分もいる。何故なら、それが確かにあって今わたしがここに生きているとも言えるからである。まだ達観する境地にはなれない。過去から何かを読み取り、今に活きる何かを探そうとするのは決して悪い事ではあるまい。ところで作家はこうも言っている。



『一時の夢といえど、夢は確かに主体に何かをもたらした筈である。経験というその漠としたものが、確かに身体に刻み込まれ今を生きる判断の一部となっている』



それはある意味で救いなのかもなとも思う。


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