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スローペースで、二人で出来る事を模索しながら。二本松、競馬、などなど。

雨降って地固まる

その市場は喧噪ともいうべき盛況ぶりで、多くの人で賑わっていた。
ここに、ある親子…つまり父と息子がいる(その外見から察するに、父の方の年齢は40代の働き盛り、息子の方は15歳位…といったところか)。
この親子はその貧しさゆえに日々の生活に窮し、ついに彼らの最後の財産というべきロバを売る決断に至っていた。どのくらい貧しいのかというと、日々の食事を確保するのが難しいくらいに貧しかった。身に着けている服も所々が破れており、彼ら2人を表す代名詞として“貧乏”以外の言葉が見つからない位に貧しかった。
その一家の妻(つまり、息子の母になるのだが)は、かつて国中に流行した病が原因で数年前に他界しており、家族というべき者は残すところ彼ら2人となっていた。貧しさは彼らを苦しめ、やがて2人の不和を招くようになり、口げんかや殴り合いが絶えない仲へと陥っていた。親が子を…子が親を殺してしまうことが、半ば日常茶飯事化してしまった昨今の社会情勢を体現するような親子の様子であった。

彼らに残された唯一の資産はロバであることは先に述べた通りである。
現金も随分前に使い果たしてしまった。
彼らの所持品についても、お世辞にも他人が金を出してまで手に入れたいと思うような物はないと言っても過言ではないであろう。周囲に発する体の臭いも、決して優雅なものなどではなく、ただ通りゆく人々の顔を不快な表情に変えるだけの異質なものであった。
やがて二人はロバを売る予定の市場に到着しようとしていた。

冒頭で触れた通り、市場は多くの人で溢れ、そこら中で売り手と買い手による取引が行われていた。ある者は骨董品を、ある者は装飾品を、そしてある者は見るからに俊敏に動くと思われるサラブレッドを売買し、どこか親子とは別世界のような光景が繰り広げられていた。人身売買などもこの時代はさも当然の如く行われており、別れを惜しむ間もなく、幼い我が子を商人に売り渡す甲斐性の無い親の姿も見受けられた。そう考えると、仲が悪いとは言われながらも貧しさに耐えつつ、息子をこの年齢まで育て上げたこの貧相な父の姿は見上げたものである。贅沢を言えば、より収入の高い仕事を探し、もう少し裕福な暮らしを築くことはできなかったのだろうか…と言いたくなるが、そこまでは追求すまい。世の中には格差がある。光ある所に影があるように、富める者がいれば、必ず貧しい者が存在する。格差があるから裕福な者に富が集まり、経済が循環し、末端までその富が流れ着く。それが社会の現実、いや摂理である。 ここで問題なのは、この親子がその経済循環の範疇を超えた貧困を抱え込んでいたことである。よって貧しさ自体に罪は無い。つまり父親にも罪は無い。

話を戻す。
そんな別世界のような光景であっても、この親子を知る者がいないでもなかった。
親子2人がロバを引いている様子を見て、彼らの顔をよく知る同郷の者がふと話しかけた。

『やぁやぁ、普段仲の悪い君たち2人が揃って珍しいね。しかし、君達は何故せっかくロバを連れているというのに、乗りもせずに歩いているんだい?なに?そのロバを売ろうというのか?しかし、考えてもみたまえ。そのロバを売るまでは間違いなく君達の所有物なのだから、今の段階では乗ろうと走らせようと、荷物を引かせようと自由ではないか。どうせ売るならそれまでは君達の自由にすると良い。』
父はなるほどと思い、息子をロバの背に乗せた。
仲は悪くとも血のつながった息子である。今後ロバに乗れる機会があるとも限るまい。せめて売る前だけでもロバに乗せたいという親心が彼をそうさせたのではないかと推察される。
『さぁ、息子よ、乗るがいい。』

息子をロバの背に乗せてしばらく進むと、また別の者が彼ら2人を見かけて叱りつけた。
『こらこら、いくら子供とはいえ、息子が楽をして親を歩かせるとはけしからんぞ。恥を知りたまえ。』と。
息子はなるほどと思い、父親とロバの背を交代した。思い返してみると、息子はついぞ親孝行らしいことを今までしてきていないと気付き、ふと恥ずかしい思いに至ったようだ。大人の階段を昇るとは、こういったことであろうか。

しかししかし、ロバはまだ二人の手元を離れない。
またしばらく市場への道を進んでいると、また別の者が現れ、
『おいおい、なぜ疲れた様子の子供を歩かせて、まだ老人にはほど遠い父だけがロバに乗るのだ。最近の親はこんなむごいことを平気でやりやがる。一緒にロバに乗ればいいではないか。』と話しかけた。親子のことを擁護するならば、この時の息子は決して疲れていたわけではないことを言い添えておこう。息子はただ自分だけがロバに乗り、父親を歩かせてしまったこと…加えて今まで親孝行をしてあげられなかったことを悔いていただけであり、その様子を道行くものが単に『疲労』と見誤ったのだ。
しかし、ここに来て妙に素直になってしまっていた親子2人はなるほどと思い、共にロバの背に身を預けた。

するとまた2人に意見をする者がいた。
この者はどうも動物愛護者らしい。なぜなら、
『こんな小さなロバに2人で乗って歩いているとは…。これでは重くてロバが可哀想ではないか。もっと楽にしてやりなさい。』と親子に詰め寄ってくるではないか。
さもありなん。
元より、今日食べる物にも事欠く二人に飼われた不憫なロバである。その体躯は貧弱で、立派であるはずもない。先ほどから親子2人を己の背に乗せたことにより、その表情は苦悶といおうか憤怒の様相を呈してきているのが見て取れる。
知らず知らずのうちに、最後の財産であるロバに甘え過ぎてしまっていたことを恥じた親子は、地面に降り、長らく与え続けてきたその負担を軽減すべくある種の奇行へと出てしまった。
『こうすれば楽になるだろう』
そう思い、ちょうど狩りの獲物を運ぶように、1本の棒にロバの4本の足をくくり付けて吊り上げ、担いで歩くことを画策し、実際そうした。
ここでも親子の擁護をせねば公平ではない。
今まで父親や息子のみがロバの背に乗るたびに、話しかける者それぞれが勝手に違うことを助言し去って行った。ついには親子共に乗ったが、それでもまた異なる者(動物愛護者)に苦言を呈された彼らに残された行為はもうほとんど無かったと言ってよい。勿論それぞれ違う者が言っていたことなので、再び一人ずつ乗ってみたり、引いて歩けばよかったのであろうが、この時の親子はどうかしていた。貧しさ、空腹、疲労のあまり、考える力が欠如していたこともその一因であったのかもしれない。

再び話を戻す。
動物愛護者は自分の助言が何か不可思議な方向へこの親子を走らせたことを認め、一瞬戸惑いはしたものの、間もなく目の前の親子の元を離れる運命のロバに対し、更に何か言うのも気が引けたため、もう関わらないことにした。
親子は動物愛護者の一連の所作・様子を見、先ほどの助言者がもう何も言わないことから自分達にはもう何も問題が無いことを自己解釈することでロバを担いで歩くことへの活力とした。

困ったのはロバである。
これではまるで、これから丸焼きにされるブタのようではないか。
人間と言葉を交わす術を持たないロバに、親子に対してこの非常事態を訴える方法は限られていた。
親子がロバを担いで市場の目の前にある橋まで来た時に、ロバは急に暴れ出した。暴れることで何かを訴えかけようと試みた。
親子は暴れたロバに驚き、手に持っていた棒を誤って離してしまった。親子の手から離れたロバが、川に落ち流されてしまうまで大した時間はかからなかった。人は死に直面した際に走馬灯を見るというが、この時こそが、この親子とロバにとってのそれであったのかもしれない。川に流されてしまったロバは間もなく命を失うであろうし、最後の財産を失ってしまった親子についても、息の根を止められたに等しい事態であった。

結局父親と息子の間に残った物は親子の愛であった。
物的な財産は失ったかもしれないが、最後の最後に2人は親子として、人として最も大事な物を取り戻したのかもしれない。
ロバはその契機となり、川面へと消えた。

~ イソップ物語 『ロバを売りに行く親子』より ~
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