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スローペースで、二人で出来る事を模索しながら。二本松、競馬、などなど。

ここから

どういう状況でも最善を攻めてゆく事は出来る。過去とは違うかも知れないが、その時できる最善を尽くしていったところで吐かれる言葉には真実性があって、それはいつの頃から続いているのか今はもう分からない。

自分が熱血に近づいていて、しかもそれが意図的にしているわけではないというのが少し頼もしい。

出来る事が限定されてゆくとその上で可能な限り能力を出せる場所を探して行くのが良いと思うけれど、そういうのも意外とやり易く感じる。悲しい気持ちも無いではないが、むしろ肯定的に捉えて行ける材料もあり、自分と自分の構築してきたものを試す絶好ともいうべき状況にも見える。


もしかしたらこういう文章も価値があると感じてくれる人もいるんじゃないかという予感に似たものがある。というか、評価されているものの心境がしみじみ伝わってくる位の経験はしているから、何か普遍的なものに近付いていると踏んでいる。


今は妙に落ち着いた心境である。ここからだ。
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気持ち

気持ちを失わないように、決めた事の中で生活してみる。安易な選択に流れてしまっては良くないという事は分かっている。問いかけるような情報も入ってくる中で、「この時」に高まりを持ってくるような。


自分に出来るのか、自分はそれがしたいのか。自信のなさなのか、それとも。


少なくとも僕は僕を責めないだろう。けれど、それが夢を語る自分だろうか?夢を語った自分を嘘だと言わなければならない生き方は望まれてはいないのではないだろうか。


大事な事が見えてくる。立ち止まった僕に言葉はやってこない。来る筈がない。



それは自分にとって一番苦しい事で、それを美化する事しか出来ない言葉は放ちたくない。少なくとも自分はそう決めようと思う。

自分はどう

起こりうる事は妙なタイミングで起こるものだという経験が重なっている。持病になりつつある腰痛が限界で病院に行ってみたら2週間は安静にとの事。身体を動かす仕事なので当然離脱する他ないのだが、この持病だと転職を考えた方がいいとも告げられて少し困惑している。


妙に現実感がないけれど、ここから普通に2週間は休むし、図書館司書への夢がちょうどぶり返してきた頃合いで、求人がうまく噛み合えばもうそちらに流れてゆく気持ちである。


この他にも「試練」というのか、もう「潮時」を暗示させる事情が重なっている。


それはそれとしても与えられた時間で何をするのが最善かという風に考え始めた方がいいだろう。「ナンセンスに」の方のブログはそろそろ潮時だと思って書くのを辞める事に決めてすぐ書く時間がでてきて、それも困るには困る。


「内容」というものは不思議でもう出し切ったと思ってもこういう事があると自分の為にも書いておかなきゃと思ってしまうし、色んな事を考えても書くことが最善な時間もある。


最近だと前向きに捉えて行くために世界観というか、「世界はこういうものだ」と(自明ではない)ある解釈をしなければどうにもならなくなっていて、「合理化」といえばそうだけれど、希望を自分に言い聞かせる事が多くなってきている。



宗教とか神話もそういう所から始まっているんだろうなと漠然と思う。その時を生き抜くためにそう信じざるを得ない事項があって、今もその代償はあって、自分のコンテクストもその上に成り立っていると。


何にしても「語る事」でカオスとも言えそうな何かに意味づけがなされる。常識的で、良識で判断している自分を忘れてはいけない。その上で医者から告げられた言葉は重みを持つ。



自分はどう思うのか。





熱を持って

気持ちを保ち続けるのは難しい。留めておくというよりは、自分の感情やテンションの流れを波のように経験しつつ、浮上すべきところで何かを跡付けて残してゆくその全体の基調を保ってゆくようなのが最善なのかも知れない。

GLIM SPANKYというアーティストの「大人になったら」という曲で何かを(意識を)呼び覚ますように何かしら自分に訴えかけてゆくようなブログなんだろうなと思う。

忘れかけたり、もういいよなって思っている時に限って何かを見つけたり、何かが起こったり、その度に本当と思いたくなる自分の感情に思い至ってしまう。その繰り返しはそれ自体意味深で、しかも馬鹿正直なところがある自分はその度に熱っぽい事を語ってしまう。


それを見ているもう一人の自分なんて嘘ではないけれど何だか言い訳みたいな存在だ。でも世間的に言えばそれがなきゃ、と何処かで思ってしまうし安心もしている。


答えはない。少なくとも現実に立ち向かって行こうとするとどうしようもなく気持ちが大事で、どうあっても今の自分でやれるところまでやるのが最善という事が分かっている。


砕けたって、どうせその砕けたものに縋る。「俺今凄く良い事言ってんじゃね?」すら笑い話で、本当に本心からそんな事を言っていたら狂気の沙汰だろうとシリアスキャンペーンをやる。


どこにある自分が本当なのか。同じ基調の波に身を委ねつつ確かめて、先っぽに辿り着く。


やっぱ良いものは良いんだよな、そんなの作りたい。切なくなるくらい。



何だかんだでそこに立ち返る。何処かに行けるなら、この熱を持って。

思い直し

出来るだけの事はやっておかないとなと思い直す。そこでは毎回、そう思い直すような出来事が起こってきていてその辺りで必然性を感じてしまう。


もう十分だと思えるのは一時的で、何処かで何かが起こっている以上、次に向かう流れになるのも仕方のない事なのかも知れない。


常識的には自分がどうする事も出来ない事で、巡り合わせとして凄く期待をしていられる状態になるのは難しい、と分析するべきという判断さえしそうになる。期待を抱いて行動した結果で何かを成し遂げるという可能性があるなら、少なくとも「イケる!」と思ったままで行ってしまう事が稀というか、そういう天分というか。


なるべく期待をしたいなと思う。松岡修造さんの本を読んで感化されて行けるならその方が絶対に良い。作品に表して行くのも、自分としてはいいイメージが目標だ。


「悩ましさ」だけはただ健全さの証として記憶はしていたいなと思う。
プロフィール

二人の管理人

Author:二人の管理人
ブログには珍しく二人の管理人で更新してゆくブログです。

二本松のこと、競馬のこと、これから手探りで何かを
やってゆこうと思っています。




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