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スローペースで、二人で出来る事を模索しながら。二本松、競馬、などなど。

僕は僕に

この全てを言い表せるものなら魂まで

春を待ち望むその心に穏やかなものが宿る

感じさせるような希望なら

幾つもの季節を超えて


書き始めた物語のように少しずつ広がって行く

今に至る全てとこれからの全て

楽しみに待つ事は一番の肯定だから

楽しみに待てる事は強さかも知れなくて


期待していてくれ


僕は僕に


そして
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いくつか

休みの日でまったりしながら録音したものを聴いている。Kくんにはメッセージを送ったのだが、純粋に「活動がしたい」という気持ちが今は強くなっていて、その際誰かを喜ばせられたらいいなという具体的なモチベーションが意識されてきた。


作品にして発表するというのが現状の活動である以上、日々作品になるような事を探したりイメージしたりする工夫をする必要がある。


作業の分担としては私が作曲でKくんが作詞というのが理想なのかなと思うが、メロディーにしてもどういう雰囲気なのかとかそれ位はまとめておかないとなかなか出てこないもの。


色々出してきた「今の地点」というのは今までと同じようでいて少し勝手が違うような気配がする。


「どこに踏み出して行くか」という事について、限定はされてきているけれど幾つかあるような感覚とでも言おうか。まあ時間の許す限り全て試してみるのも良いのかも知れない。

再開

Kくんとの活動がヒカリココニという新曲に結実し、だいぶ達成感がある今、次に進むべき方向を模索する為にブログで日記のようなものを再開してみようと思う。


いつも思う事なのだが、一つ完了して落ち着いたところで世の中とか職場とかの事で何がしかの対応を迫られることが持ち上がって、結局のところは「頑張んないとなぁ」と思い直す展開はなんなのかなと、愚痴ではないが感嘆の声が出かける。自分が背負うとか背負わないとかの次元ではなく、状況的にやるべき人の側になってゆく、さりげない誘導みたいな。


スロぺでやろうとしていた事もひょんな事から自分の仕事の中に含まれている状況になっている時もあるが、イメージしていたのとはちょっと違う印象を抱いてしまう。


劇的に変わるという事は難しいけれど、日々余裕と言えそうなものが出てきて、「しなきゃならない」という感覚は少し薄れる。むしろそれを見つけようとしている部分があるんじゃないかとさえ思えてくる。


10年くらい前の事とかその時感じていた事と今感じる事を比べてみたりすると、そこから進めているんだとは思うが、なんらかの意味で同じだなと感じてしまう事もあって、これからもそうなんだろうなという予感がある。


時間の使い方については工夫すべきなんだろうなと思う。習慣を作ってゆくことが出来れば意外な風に広がって行くという実体験なのか、とにかく「難しい」と感じる事もそこが始まりかなと今は普通に思えている。

望まれるもので

良い話題にフォーカスできているせいか、モチベーションは高まっている。浸る事が出来るというのは嬉しい事で、そういう時間が増えると色々と良いことがあるんじゃないかなと思ったり。


自分の作ったものに浸るのは取りも直さず自分の作ったものを「信頼している」事でもあるなと思ったのだが、場合によっては「俺に寄りかかってきなさい」と思えるような強い意志で作ったものもあるし、ここぞという場面で気持ちを奮い立たせる何かが揃ってきたような感覚だ。


Kくんとの活動「ダケスタリスク」は明日が大事な日で、音や声に表れてしまうからこその音楽に何を込められるか、今もやれる事を続けている。


大坂なおみ選手の快挙に浸りつつ、とにかく自分達の現在の地点で出せる「ヒカリ」も「ヒカリ」として記録しておきたいという気持ちが具体的になってきている。改めて思うのは、集まって音楽を奏でる事でこんなにもドキドキワクワクがあるというのが凄いなという喜びのようなものである。それこそ前日の緊張感さえ本当に自分達で用意して生じさせたものなんだよなと、不思議に思えている部分もある。


本当に文字通りの意味で自分達で用意できる。ネットの恩恵も大きいけれど、色んな巡り合わせも含めると自分達で用意したという、その言葉の意味も、そういう自分達で居られたのが何によるものなのかという事も、とにかく一言では語れない内容になっている。


望まれるものであって欲しい。それは一つの願いである。

リラックスして

理論的には可能だと思えている事が徐々に違和感なく出来るようになってきた感じがしている。自分のイメージをしっかり何かで残して、それを利用して想起して、何かを完成させてゆくという繰り返しで、仕事をしつつも出来ることはやれている。


他方、スポーツの観戦をしながら、求めている事が実現しているようでもあって自分としてのメッセージに困る感じ。


ただ一つ言えるのはこれまで作ってきたものへの信頼は高まっているという事だ。リラックスして進むのも良いのかも知れない。

僕は

行けるところまで

そんな言葉に込められている

揺るぎないと信じたい気持ちを


誰かに

きっと居ると思う誰かに


ギザギザに刻まれた線の中にさえ

伝えようとした何かを見つけ


だから何処かに行こう


僕は僕で居ようと思うから




楽しむ

なんとも形容が難しいのだけれど、結構複雑で難しいことが大分
見通しがよくなってきたような感じだと思っている。機器のお陰
でやれる事が増えて、現実的になってきたことがあると感じられ
ている。日々改善してくることがあると理論的には考えられるし
、それは取りも直さずデータが積み重なってゆく事の恩恵だし、
だんだんといい感じになっているのは心が知っているようである。


楽しめたらなと思う。

行くべ

「どこまで行こう」 そう思えるような日

秘められたきらめきが 恥ずかしげに笑っている

「悪くはないよ」よりも もっとイタズラに

ごめんねと言ってしまうような


また出会うんだろうか?


出会うんだろうな


まだ出来ちゃうからな


じゃあ「行くべ」

思えるから

忘れてはいけないけれど 前を向く為にと

どうしたって難しい この歩みは

昨日があって今にある

なのに


忘れてしまうのだと思ったのです

あの日言いたかった事を

残したかったものを


今だからこそ今だけのものではない言葉をと

そうやって来たのだと


そう思えるから




こういう感じ

心の中にある熱さ、それが見つけ出すものがあるとすればそれはヒカリだし、言うなればそれは熱が光に変換されるようなものなのだろうと思う。


密かに光だしている。紡ぎ出される物語を待っている。

そして

何かそれは願いが叶うようで

どこかにあった必然のようで


求めるのは約束だからだろうか

果てに行き そこで身を支える星なのか


絶え間ないフレーズはかの人へ


そして

続いている

何かにしてゆくしかない心の動きはある。険しさや難しさの中で少なくとも前日よりは何かが分かっているという、微かな証を何かに繋げていきたい、そしてそこで満たされていたいという気持ちが紛れもなくある。


いつから続いているのかすら分からない出来事の連続は何かを気付かせるには十分な位で、感じ、糧に出来るくらいにはなったと自負していいのかも知れない。


結局その位置に立ってしまって、そこで何とかするのが運命であるかのようで、どうあっても求められるし、そうして行った方が自分の為という事は普通にある話なのだろう。



何にせよ、厳しくなってゆけば求められるものも多くなる。考えて行ける間は続けてゆく他ないというか、まあ最善をという感じである。



可能な限り良いものを出してゆくというのは良い目標である。そこに希望を見出すのも自分の強みだし、それがあるからいいんじゃないかなと思う。情熱は続いている。

理詰めで

殆ど自分の思考のような短編を書いた。真実というか、自分の中にある事を表現する方法としては実のところこれが最善であるような気がする。

もしかしたらこの「独り言」と作品の温度差で何かが感じられるかもなと思い、書いてみる。


自分の中にあるすごくはっきりしたものが、今後の活動の中で重要になるという事は薄々感じている。ポジティブな上に熱量がある際立ったテンションが中身を伴うというか何かになりたがっている時があって、まあ単純に言えば「行こうぜ、やってやろうぜ!」という気持ちなのだが、作品にする場合にも直接伝える場合にも、リアリティがないとダメだし、多分普段の冷静さがあって引き立つものだと思うので、冷静さで情熱を眺め続けているんじゃないかなと思う。


今日は自分の心をいい意味でもそうとは言えない意味でも動かすかのような事があって、まあ実際は残念な事もあったのだが、一方で「冷静」なってゆく過程で気付いてゆく事もあった。


とにかくポジティブさは説得力が必要だ。こういう時に「理詰め」でも出して行けるエネルギーというのは本当に頼もしい。理詰めで行くには冷静さが必要で、まあそんなところだ。


メモと言葉

確かな言葉が浮かんでくるとき、それは一つの決定を意味するのだろう。どうあっても真実にそう思った事。思った事を何度も確かめたいからだろうか、気付くと僕は手帳に書き込んでいる。


『確かに、ここにある。それが何かで』


多分後から読み返す自分にすら伝えられない、そんな「何か」としか呼べないものが確かに今の僕にはある。「ヒカリ」と呼んでしまえばそうなのかも知れないし、熱と言えばそうなのかも知れない。例えばミュージシャンが声をからすように伝えているものがそれと同じ類のもの…あるいは同じものだとして、でも自分は持て余してしまう…というどうにもならなさがある。


軽く口を付けたコーンポタージュの缶にそこはかとない心強さを感じつつ、休憩時のその行き迷っている視線を窓に向ける。正解であると同時に間違いでもあるそんな生き方をしているかもななどと思えている最近の心境は殆ど分析不能で、大まかに共通する誰かの言葉に共感して、というか共感したことにしている連続とも言えそう。だから誰かに伝えた時には同じものになっているんだろうし、それでも悪くはない。



「でも「何か」があるのは確かで、それが…」
何度言葉にしても言葉にしたことにならない、そんな内容をこの頃ではどこに探していているのだろうかと思う事がある。代弁者はそう都合よくは見つからず、伝えられそうな相手ももしかしたら見つからないままなのかも知れない。


その辺りで無理をしたんだよな、と今更ながら思う。分かってもらいたくて、一生懸命伝え方を考えて、ある程度は上手く行って、でも今みたいに自分でも何なのか分からないものになってしまったらもう扱いようがない。


僕はもう一度メモを見る。


『確かに、ここにある。それが何かで』


ああ、これが「ヒカリ」を感じさせるだろうか?


<どうにもなんねえんだよな、どうしろっての>


本当にどうにもならない。ここまでの熱が急激に冷めてゆくのを感じる。そう気付いて「ああ、熱なのは確かだったんだな」と冷静に分析している。それはそうだとしてどんな熱なんだという、不思議な思考が次にやってくる。


勿論それはコーンポタージュの熱じゃない。どんな熱かもそうだけれど、何でそんな熱がやってきたのか、というその理由を知りたくなる。実はそれは非常に単純で、何か熱中できるような凄いもののような気がしたからなのだ。


実際、何か凄いものだと思ったのは確かなのだろう。それは嘘だとは思っていない。けれど今またしても本当だと思えているのだろうか?


疑問には違いない。不思議なほどに、何でもない事。


そうこうしているうちに休憩時間は終わってしまう。底に残ったコーンをポンポンと喉に落としておかないといけないような気がしてしまうのは何だか癪だけれど、本当にそうなんだよなと実感する。同じように自分の中に残しているものがないように、今一度メモに言葉を加える。


『たぶん』


その言葉はコクのあるスープのようにじわじわと僕に染み渡る。

そんなに 、 他方

計算する部分が捉えきれないまま、選択をしてしまっているその心。必要とする条件は多く、結果として理詰めて求めてゆく事にまるで必要性を感じていない、かなり単純な、それでいてそうある事が難しいとさえ思えていた在り方。


そう在ってしまえば驚くほど何でも出来そうに見えてくる。けれどそんなにしたい事はない。


[ ]


この心と向かい合わせにあるような意識が自分の中に存在している。多くの事を了解しつつ、何かを求めている。

不思議な

可能性が発散しているように感じられる時間がある。言い方を変えると予期が難しく、なんでも起こりうる時間に感じられている、そういう独特な時間が時に生じている。


確率の問題として、また常識的な感覚を信用すればするほどに大体の事は予期の範疇を超えてこない。また自分で対処できるパターンに収まるだろうなと思えている時間も多い。


主に仕事中に感じる事だが、可能性が発散してあたかも考えられる事象の確率が等しくなってしまうような読めなさが時折出てくる。


仕事のことからのアナロジーで、経済の事なども「読めなさ」、「確定情報の少なさ」、を考えた場合に「どこまでの事を期待できるか」という事も悩ましい問題になるなと思ってしまう。


自分達の活動についても大真面目に分析するとタイミング的な事と、行う事について非常に管理が難しいものだと気づいてはいる。だからと言って全てを運任せで上手く行くものでもないという事は分かっているようなもので、結局はどこまで何を日々積み重ねて行けるかに掛かっている。


明日は休日なのだが、その休日の使い方も確かに上手いことやった方がいいのだろうと思う。


身近な事でも先をある程度「読める」事は貴重だ。自然現象なども含めた不測の事態はあり得るだろうけれど、一方で可能性が現実的には限定されている事象もある。「読める」事がある場合にはどうしても具体的にそこでの行動をシミュレートとしてしまう。


限定されれば別な何かも限定されるというのは常識的にあり得そうな事ではある。


別な見方をすれば、どういう条件が揃っているならば活動がし易いかという事を考えて行くとどこかに道が見えるのかも知れない。


可能性が発散しているというのは実際は自由でもあって、なんでもいいという事なのだろうと思う。だが現実的に「何かをしようという気持ちになるか」という事もある。


最早よく分からなくなってくる。ただその構造に思い至っているというのも内容ではある。結局目的が何なのかという事を考えると、一時的にはその目的は叶っている、、、叶っている時間はあるのだと思う。


本物

一番困難な道こそ目指すところに続くのだろうという予感めいたものを感じる。全てが組み合わさるかのように一つの道を示していて、それがどんなに胸を熱くして、苦しくするか、自分に伝えている。


矛盾のような心だ。でもだからこそ全てを越えて純粋なものだけが見える。その尊さも知っている。


その尊いものの為に動くというのなら。それは。

非常に、の

「難しい」という感覚が「かなり」なのか「非常に」なのかという違いで
向き合い方が大きく変わってくるものだなと感じた。


ここで続けている「意志」で何かを進めてゆく事は状況によっては非常に
難しくなるし、進めたところから更にという話になれば『無理』という言
葉さえ浮かんできそうになる。ある意味でそこまで進めたのなら『達成』
と言ってもいいものなのかも知れない。



正月休みの有り余る時間でやろうと思っていたことに取り組もうとすると
、そういう意志や意識さえ途切れ途切れになっているという事に気付く。
創作も作るものの条件を付けてゆくとどういう種類であっても自分にとっ
ては『名人芸』のようなものになってゆく。



サッカー福島代表の尚志高校の活躍を見ていると本当に凄い事だなと思う
のに、自分が心の底から「すごいな!」と思えるとしたら優勝する事のよ
うな、そういう自分が求めている「稀さ」のレベルが上がっているような
、何とも特殊な感覚で過ごしている。



「何か」が出来るとして、それが非常に難しい。それでも、ギリギリのと
ころで何かを繋いでゆく。
プロフィール

二人の管理人

Author:二人の管理人
ブログには珍しく二人の管理人で更新してゆくブログです。

二本松のこと、競馬のこと、これから手探りで何かを
やってゆこうと思っています。




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