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スローペースで、二人で出来る事を模索しながら。二本松、競馬、などなど。

自分の中の

何らかの意味での困難、或いは『難しさ』は姿を変えるようにして現れる。
そう知りつつも、何だかんだで乗り越えていける術を身に着けてきている
今は、変に強がったりしないで詰め込めるものを詰め込むように書き記し
ているような気がする。


2018年が終わろうとしている。時の流れる早さがそのまま厳しいと感
じる時間すらも和らげているかのように、あっという間に過ぎていった後
半だった。



どうあっても慣れてゆく。気が付くと何も考えないままに過ごしている時間
も多く、「それもまた必然なのかな」とさえ思っている自分がいる。身近に
もシステム的に大きく変わってゆく日常があって、その流れは加速してゆく
だろうという予感があり、個人としても半分くらいはスマホのデータのお陰
で乗り切れているような少しばかり不思議な日々を送っている。



過去に「ここまでだ」と思った境域も、さんざん分析した上で見出した技術
で微妙に超えられているなと感じる。それを上達というのなら、例えば精神
的なものさえ技術的に上達させているという事も可能かも知れない。




無駄のない合理的な行動が、結果的に活路に繋がっている。非常にすっきりし
た気持ちで休日を過ごしていると『稀』な感覚も蘇ってきて、それがそのまま
『希望』に繋がってゆくようなイメージさえ湧いてくる。




日本という国で二本松という町で、「生きてゆくだけ」でも概ね決定してしまっ
ている事はあって例えば「冬ならば雪で大変だろうな」とか、諸々の『リスク』
と向き合わなければいけない事はこれからも普通にあるだろうなと思う。そん
な中で創作に寄った活動をしてゆくのは不思議なほどに充実感を覚えることで、
たぶんそれ相応の内容を詰め込んでいるからなのだろうなと思うというか、そ
う信じれるようになっている。




自分の中に見出される「光」を信じれる時ほど心強いものはない、そんなこと
も時折感じる。出来るだけやってみる、そんな心境になる。
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ときに

主に「間の悪さ」で感じられるタイミングと、「追い風」のようなものが意識されるというタイミングが現状を作り上げているという理解はそれほど的外れではないように思えてくる。


何か意味深なことまで考えそうになってしまうほど偶然というのは良く出来ている。最早「そういうもんだ」と割り切ってしまった方が楽で、不思議のその理由は探れないように出来ている、それこそ字のごとくなのだろうなと最近では思う。


不思議が不思議でなくなるなら理由が分かって必然になるわけだが、理由を確信してそれこそ「これから起こる事が分かる」というような話になったらその起こる事を前提に動き始めて逆におかしくなってしまう。だが不思議を不思議のままにしておいて、前提にはしないけれど何となくそんな気がするという気持ちで準備している事によって、先走りしないでうまく行くという事なら不思議は不思議のままにするべきなのだろうと思う。
がそういう処世訓のようなものが意識されるにしても、もともと理系の発想をする自分にとって、モヤモヤしてくるのは現代では不思議ではなくなっている事を不思議と思おうとする事が無理なんじゃないかという事だ。



明らかに「無理」というような事に向かっているような時に、無理なものは無理で、そもそも難しいレベルが高い事が「無理」という事なら、無理なように見える事をこなすにはちょっと難しい事を常に続けるしかないだろうな、あるいは平常運転のどこかに歪みとして面倒、非常に危うい瞬間が挟み込まれるだろうなという想像が出来てしまう。


どんなに安定している事を目指そうとしても、大きな規模の話である傾向があって、色々厳しくなっている事もあると直感する。


自分の中にある「勢い」をどこに向けてゆくのかとか、どこに向かって行くのかというのもきっちりやっていかないとなと感じる。

稀さへ

「稀さ」への入り口になるであろう事が自分の中にあるとすればやろうと決めた事をやり遂げる意志の強さだろうと思う。即ち、やろうと思っても困難があって実行に至らない事とか、面倒臭くて挫けてしまう事とかをやり遂げる意志の事である。


困難がある場合の方がそういうのは活きてくる能力で、最近だと煩雑さで回避している何かもあるだろうなと感じる。「稀」なものは、それを遂げた先にあるという発想はそんなに複雑ではない。


条件が宜しくないときに無理をするというのではなくて、個々の条件としては望ましいものではないけれど最悪でもなくとにかくただ面倒臭くて実行する気になれない、けど出来たらいいなと思う事に適用するのが良いだろうなと思う。


案外そういう事は日々の中でもあって例えば少し遠出をするとか、集中して何かを探すとか、几帳面に管理して実行してゆくとか、こういうのはどちらかというとモチベーションと意志の問題になるだろうなと思う。

流れを

「流れ」というものを意識して過ごしている。テンションというか、ある事を思い立った時にそのままその方向に動いてゆくことが出来ればという事を考える時に浮かび上がってくるのは「流れ」だ。

テレビのように連続的な情報の流れは編集されてその形に揃えられている。個別の情報というよりは全体のテンションとか、あるタイミングである情報を流すというその連続が、それを受けなかった場合とは違う効果を自分に与えている、という前提で、自分が自発的に出して行ける流れを考えてみようという発想である。


ブログの更新はタイミングとしては連続というよりは離散的だろう。流れというよりは「周期」として波がやってくるようなイメージである基調情報を更新していった場合、何かしらの効果はあるのだろう。


過去に「新しい何か」として続けていたカテゴリーは、それを維持するのが体力的、技術的な意味で難しいものだった。



「流れ」として、技術的に可能だと思われるクオリティーを続けて、それがその固有性で発展してゆく方向に何があるのかという事を確かめてみるという試みは面白い。


ねんまーつ

凄まじく技術的に難しい事を行なっているような感覚がある。前よりも確かに整ってきている環境で辛うじて可能になっている事はなんだかんだで地平に行く事だろう。


結果的には自分の為にそうするのだとしても、何かを願うようにしてする事はある。「明らかに何かの為」に出来る事はゼロとは言わない、言わないけれど少なくとも直接的なものではない。


「巡り巡って」という希望は異様なタイミングの良さを経験すると嘘とも思えなくなるけれど、逆に毎日気を抜けなくなる。



願っている事はシンプルだ。


「難しいけれどなんとかなれ」


案外それはオッサン臭く、慈愛に満ちているというよりは、なんかもう一杯一杯の響きだなと思う。だが、仮に自分が女神的な響きを持たせられるなら少しはそれっぽくも出来るような気もする。


なんにしても色々求められる年末を乗り切って友人と再会できればなと思う。
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二人の管理人

Author:二人の管理人
ブログには珍しく二人の管理人で更新してゆくブログです。

二本松のこと、競馬のこと、これから手探りで何かを
やってゆこうと思っています。




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