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スローペースで、二人で出来る事を模索しながら。二本松、競馬、などなど。

7月終盤

7月も終盤を迎えている。ここ数日で台風の影響で恵みの雨になったような
感じもあるが、とにもかくにも『天気』と『暑さ』しか話題になるような事
が無い。少し前に比べると大分平和な話題も目にするようになっていて、不
満が減った分、望むことも少ないという微妙な心境を味わっている。


仕事に関係した勉強をしていたり、少しばかり意を決しての行動をしてみた
りしていると、あっという間に一日が過ぎてゆく。人生における何かを学ん
でいるというよりは、会話になるような話題を探しているような事が最近は
多い。



そういえば仕事中に少しばかり自己観察みたいなことをしていて、昔に比べ
て「調整」できる自由度が減ったような気がするという発見をした。例えば
物を動かしたり道具を利用したりする際の、些細な『ブレ』というか、「こ
こ」にするか「あそこ」にするかの選択肢が実際にはほとんど無く、狙った
位置からの「ずれ」もあまり気になっていない。



歩いている間も、考えてみると『どのくらい踏み出す』とか、これくらいの
スピードで行こうという調整がそんなに自在には出来ていないけれど、いつ
も同じようなところで決定しているなという、ちょっと説明しにくい自由度
の減少である。



実際、そうなると何かをする際には始めるところに持って行ければ後は大体
の目安が付いているのかも知れない。始めるまではかなりの努力だけれど、
始めてしまえばそれなりという事も多い気がする。




作品も『狙い通り』のものが出来上がったという手応えになる事もある。狙
い通りにできるなら、私生活でもそれを活かして面白いことが出来るように
なるだろうとは思ってはいたけれど、その上で挑戦してみたい事も出てくる
。何かしら『自分』にしか出来ないことに近づいている。
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空の祝福

携えたものは希望を呼ぶ

引き継ぐように放たれる声を追いかけ

そこでまた何かを見ようとする


失われていないもの 途切れつつも


再び巡った空の祝福を


ただ見ていた



選ばれる言葉は謎より謎めいていて


必然にすら見える成り行きを


どこか頼もしく彩る



掛け値のない肯定と

一旦

土曜日には二本松でイベントがありました。参加したわけではないですが、情報を見ていると結構大きなイベントだったようです。土日に普通に仕事になってしまうようになってから、なにかと都合がつきませんがすこし参加してみたかったのが本音です。


先週は短編を久々に書けましたし、ちょっとはネタができてきているようにも感じます。最近は心が奮い立つ時もあって、意外と「若さ」のようなものを感じるというか、もうちょっと何かを出せるなという感覚になります。


時々そういう心境になると、過去にやってきた事が凄く肯定できます。けれど、そこで何をしてゆくかなんですよね。続けて行く為にも一旦まっさらな気持ちで始めてみるのが良いのかも知れません。

心がどこかに飛ぶのなら

心がどこかに飛ぶのなら、続いてゆく道の向こうを見てきたいというそんなありふれた願望なのかも知れない。



酷暑とはいいつつも、冷房を調節したり塩分を多めに摂ったり、自分なりに必要なことを必要なタイミングで行えているせいか、満更でもない心境で休日を過ごせている。時折思い出したかのように風も吹き抜けるし、今はなんだかいつかの夏を思い出している。



熱に浮かされるように世界が煌めくように願ったあの日の事は今でも印象に残っている。駅から歩いて帰って来ただけの事だったが、久々に再開した友人に何となく話してみたら、


「それは夏の本質かも知れないな」


と意味ありげな言葉を伝えてくれた。お互い学生時代に自転車をこいで通った経験があるからか、ノスタルジーの性感帯は似通ったものだったのかも知れない。あれから何年か過ぎて、友人には子供ができた。自分はどこか煮え切らないまま歳を重ね、煮え切らないものはやっぱり煮え切らないままにあるのが必然なんじゃないかとさえ思えてくるのも否定できない。



夏の一時は妙に記憶に残る。青春映画で見たことがあるのかないのか分からないシーンが脳裏に浮かんで、例えば川沿いで夕立に遭ってそろぞろと散ってゆく若者がこの世のどこかには居るんだろうなと信じて疑わない。その物語の中で今の自分はどういう位置にあって、どういう役割を演じるのか、それこそ演じずに演じるのか…なんてことを考えていると『自分』というものが見えてくるような気がする。



幼い顔立ちであるのが特徴の自分でも、仕事に疲れて帰って来た夜に鏡に映すと『目』が自分に何かを訴えかけているようにも見えてくる。それはあたかも



『もうお前は十分やっただろう。心配すんな、みんなそんなもんだ』


とでも言いたげな目で、多分自分はいつのころからかそういう目をするようになっているのだと思う。言葉尻を捉えて反論するのも面倒なだけという、悟りと気づきの間くらいの成長とでもいうか、とにもかくにも煩わしさからは段々と解放されているような気がする。職場でそれなりに任されるようになって、じゃあこの先何をそこで求めてゆくのか、段々と考えなくてはならなくなってきたようでもある。



スマホの正面カメラを利用して自分の目を見る。少し日焼けした顔に二つあるそのどちらかに、いわゆる『光』はあるのだろうか。あるのはただ追憶だけなのか?




そのタイミングで「ピンポーン」と鳴る。慌てて玄関まで向かってさっとドアを開ける。



「よう」



そこには例の友人が立っている。別に約束をしていたわけではないので少し驚きつつ、とりあえず中に入るように勧める。すると友人は、


「いや、ちょっと今日はこっちで用事あるついでに寄っただけだから」


と告げた。そうして玄関先で軽く近況報告と、これからの予定について確認し合った。


「まあ行き着くところはこういう風になるんだろうなとは思ってたけど、今年は結構きつそうだぞ。熱中症対策はしっかりしておこうぜ」


友人のその言葉に改めて自分のあの時の言葉が無茶ぶりだったかに気付かされる。それはやはり去年の夏だった。


『サイクリング…っていうか『ロードバイク』を買って、地元の色んな所を走ってみないか?そしてそれを動画にするんだ』


あの時の少年の姿からインスピレーションを受けたというのなら安直すぎるけれど、風を切って走ってみたいという気持ちはどこかに眠っていたのだと思う。自分に出来て、今だから出来る事、それを考えていったら自然にそこに行きついた。友人も何かこちらの熱に当てられて、結局今では月一くらいでその『サイクリング』を敢行している。



アップロードする動画は自己満足でしかないけれど、地元の風景を残しておきたいという気持ちもどこかにあったのかも知れない、なかなかいい雰囲気が出ていて二桁の視聴回数は得られるようだ。


「まあ夏のピークが過ぎて、台風の様子を睨みつつ、今度は懐かしい風景を探してみるとするか」



別れ際の言葉が頼もしい。見送って一人玄関でなんとなく立ち尽くしていると思い出したかのように蝉がミーンミーンと鳴き始めた。ありふれた光景だけれど、ちょっとだけまばゆいような気もする。

録音

今日は少し録音をしてみました。





過去に作った二本松ソングです。もう少し上手にも出来そうですが、高い声
が出ない時があって上手く歌える時に録るという事を考えると現状では最善
かなと思います。ダウンロード用にアップロードしたサイトが不調らしく再
生されない不具合が生じているのでちょっとモチベーションが下がってはい
ますが、『自己満足』でやれていることの強みなのか意外とやりたい事は見
つかります。



とはいうものの、最近は「暑さ」が敵というか妨げになっています。明らか
に過ごしやすい環境ではなくなりつつあって、知恵熱が出るような考え事と
か、作業しているうちに頭がぼーっとしてくるような挑戦はする前から躊躇
ってしまいます。



追記:

スムーズさを欠いていたのでもう一度録りなおしてみました。

ここまで

どうやら「ちょっと特別な」は限界に来ている。総合的に考えていって、「無理」なものになっている。その判断自体も安易なものではなくて、きちっと判断できている意識で行なっているという事が「これでいいのだ」という安心を与えている。


なんにせよ判断が冷静に出来なければ上手く整えて行くことは不能だろう。今求められているのが冷静な判断で、そこを封じる事でしか続かないのだとすると、というロジックがある。

予測に向けて

『難しい』。どういうニュースを見ていても『難しさ』を感じてしまう。
どうあっても不幸なニュースは『厳しさ』を意識させるし、その厳しさ
の中でそれぞれが出来る事を求められているように感じると、少し困っ
てしまう。


どうあっても成長や上達が求められている、というかそういう風にして
いかないとどんどん大変になるというのは事実なのかも知れない。自分
のどうあっても物理的に、医学的に難しいだろうというような条件を条
件として認めれば認めるほどに現状で既に最善を出していると思えてし
まう。求められているのは『最善』を越えてゆく『最善』を出せる人間
になる事のような気さえする。



理屈としてはその通りなのだろうと思う。9割9分のパフォーマンスで
はなく9割9分9厘の精度でのパフォーマンスが出来るようになること
。色々気を配りつつ、こなしていけるようになること。



そこには明らかに『余裕』と『理論』がなければ改善らしい改善はない
だろうと思う。その『理論』を自分なりに見つけてゆく事自体も試行錯
誤が必要であって、すぐには出来ない。



幸か不幸か考えているうちに『分析』は出来るし、捉えにくい現状を把
握する表現は浮かんでくる。おそらくは『9厘』レベルのパフォーマン
スは『余裕をもって出来る事』であるだろうと予感している。色々なこ
とに気を配りつつ出来るレベルが『9厘』くらいの精度なのだなと分か
ってはいるのだが、仕事中は一日に10分くらいあればいい方だなと思
う。作業や時間に追われているとそういう風に出来る、確率、頻度も少
なくなってしまう。



いつの間にやら創作もそのレベルを課されているような感覚になってい
る。『9厘』のレベルは確率的にも『稀』であるのは確かだ。何らかの
条件を揃えて確率を上げてゆく事は出来るのかも知れない。




その点については『予測』が鍵になるなと感じる。ぼんやりとした『予
期』ではなく、データに基づいた『予測』である程度確証をもって判断
するようにしてゆく事で『限定される』可能性があると感じる。『勉強
』する事でもっと予期を『予測』のレベルに具体化してゆくと、必要な
事が見つかってゆくのだろうと思う。或いは「それはしなくていい」と
いう消極的な意味での限定が得られるかも知れない。




自分らしい努力でいえば、予測に関わる『勉強』を続けることは最善の
ように思う。『9厘』のパフォーマンスも、予測できるからこそ対応で
きる事があって、その上で(余裕が出て)可能になってゆくという理屈
が成り立つ。

安定と安心

このごろ「9割9分」の安定感と「9割9分9厘」の安心感を区別しているような気がする。安定はしているものの、それは自分の能力でなんとかできるという事を込みで大丈夫だと判断する時と、状況的に安心できる時が違うなと意識され始めたという風に説明出来ると思う。


多分自分の持っている情報とか経験的に9厘のところに行けるんじゃないかという予感がある。その9厘の領域を感じさせるような作品が自分にも何かの証拠として欲しいと感じる。


感覚的な事のようで、数理的な事のようで。

書いている

暑さもあるだろう、異様に身体が動かない。気持ち、念があっても動いて
ゆかない状況というのはある。そういう意味での難しさは普段感じている
難しさとは毛色が違う。「環境」と一口にいっても、地球規模の大きな枠
で変動している事象が関わってくる『環境』の中で僅かでもやり易い状態
に持ってゆく事は意外と難しい。



こう「大きな事」に対して何かを働きかけているような感覚にも似ている
のかも知れない。自分達の意図としては「精度」、「クオリティー」を上
げてゆくという目標でやっているけれど、つまりそれが実現するならば価
値としてはやはり比較的大きな事を動かすポテンシャルを持っているとい
う事であって、それこそそれによって誰かの気分が変わるくらいのものな
らばやはりそれも『動かしている』という事なのかも知れない。



何だかんだで『動かす』にはそれ相応の『力』が必要であるというのは確か
であるような気もする。じゃあ自分でこの動きにくさを感じつつも『動いて
ゆく』というのはある意味で「力」の現れなのだと思うし、それが文字情報
になっているというのは一つの成果なのだろうと思う。



動かす『仕掛け』は世に様々多々あるけれど、実際に動くときには自分で『
動かすぞ』という気持ちがなければ動いてゆかない、そういう理屈だってあ
るんじゃないかと思えてならない。



自分で何かを見出して、そして動く理由が出来たと感じて動く。そういう過
程がなくても動けるだろうか?多分、動ける部分はあるけれど、こういう風
に書くことに向けて『手』を動かすようには出来ないんじゃないだろうか。
そして活動にはどうあってもそういう風に『手』を動かしてゆかないと進め
ていけない事情もある。



ギターを弾くにしても『手』の動きは凄まじく重要で、そこに意志が宿って
いるようでもある。精度を上げる場合にどうしても『手』への神経が必要に
なってくる。そこに対して何が出来るのか、まるで言い聞かせるように書い
ている。

カラオケにて

昨日は平日でしたがKくんとカラオケで合流。カラオケと言いつつも
いつものように弾き語りもやっていました。照明など環境が良かった
せいか結構いい雰囲気で演奏出来ました。今回は2曲。


夕陽に告げる

道の上



『夕陽に告げる』についてはかなりのクオリティーで、一段階上の領域
が見えたような気がします。



もちろんカラオケなので一緒に熱唱しました。最近覚えた曲を最初に歌
ったのですが、ちょっと開拓できそうです。弾き語っていて感じたので
すがKくんの声の響きがかなりよくなっている印象です。昨晩はお互い
に若返ったような曲のチョイスで、仕事終わりのカラオケというのも何
か影響したのでしょうか。とにかく楽しかったです。

ここからだ

明日友人Kとカラオケに行く予定。前日ではあるが既にテンションが
上がっている。『カラオケ』というと気軽な感じが漂うけれど、自分
たちにとってのカラオケは特別な意味合いがある。歌で何かを伝え合
いたい、或いはそのテンションの自分で歌いたい、色んな想いがあっ
てそこに集合している。


高校時代は毎週のように出掛けていたけれど、当時とは音楽の好みも
変ってきているし、歌える曲も違う。今の心境で歌いたい曲は何だろ
うかと明日の事を想像してみる。



伝えたい事の多くはすでに何らかのカタチにしている。前ほど表現し
きれていないと感じていることはないけれど、「自分」として出来る
ことの可能性を追求してみるのがいいような気がする。



正直『念』は変化している。誰に何を伝えたいのか、いや、今という
時代に自分から何を出してゆけばいいのか、今の地点に立ってみての
『分からなさ』が内容になっている。




「ない」と言ってしまえばそれまで。「ない」とは言いたくないとい
う気持ちがある、そしてそれが大きな意味を持つのだろう。何故「な
い」と言いたくないのか、実際気持ちがあるからだけれど、その理由
が実際非常に内容豊かであることは確かである。言ってしまえばもう
何から何まで非常識的でもあってその部分を「無い」事にすれば内容
はないけれど、今はその「非常識」ともいえる部分を語りだす段なの
かも知れず、つまりそれはもう表面的な穏やかさとは違う何かを出す
必要があるという事なのだ。




自分は言うほど常識的な事をしてきたわけではない。仮に『夢』を追
う部分が本気であるのならば、常識に囚われていてはいけない領域に
来ている。むしろ困難の度合いが非常識なところからそこに応じるよ
うに出てくる自分があって、もうそれを封じる必要もないだろう。



ここからだ。

連続

基本は継続ではあるが自分を保てている以上、長期間の判断の連続の質を高いところでキープするのが今の最善なんだろうと思う。すぐに効果が現れるような事は済んでしまったようだ。とにかく長い期間をずっと何かに向け続けるタイプの集中は自分が何かをしている実感に乏しい。


出来るところはもう勉強しかない。あとは日々高い精度で判断をしていって状況を改善させてゆく事だろうなと思う。

とにかく日々を

ラッキーな事がちょくちょくあって嬉しい。巡り合わせとタイミングで少し手を
伸ばせば色んなものが届く範囲にあって、自分の気持ちが保ちやすくなっている



<挫けそうになっているな>


と思う事は何度かある。実際、自分で何とかしないといけないことは幾つもあっ
て「ラッキー」と思いつつも、面倒臭がらずにやっている事の影響もあると感じ
る面もある。



そんな今の「最善」はとにかく毎日をしっかり生きる事だろうなと感じる。そう
しているからこそ作品にすべき『内容』も生まれてくると思えている。
プロフィール

二人の管理人

Author:二人の管理人
ブログには珍しく二人の管理人で更新してゆくブログです。

二本松のこと、競馬のこと、これから手探りで何かを
やってゆこうと思っています。




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