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スローペースで、二人で出来る事を模索しながら。二本松、競馬、などなど。

難しいという自覚

作業環境を整えるという事で何かがし易くなる。し易くなるという事で
現実的になる事があって、侮るべきではないなと感じる。『し易くする
』という事も一つの『仕事』だろうと思うし、気持ちも大事だがこの頃
は気持ちが削がれるという経験もそこそこあって、削がれつつも続ける
には多少投資があってもいいだろうと率直に思う。



小さな一つの変化、変更が長期的に見てかなりいい影響があるという事
は想像できる。変更には手続きや設置など『面倒』な事がつきもので、
何かがネックになる事もあるけれど、『面倒』という理由でやらないの
ならばそれは勿体ないとこの頃は思う。



常に完璧で完全な状態を期待するのは合理的ではないし、無理がある。何
処かで気を抜かないとやっていられないし、適度に気を抜く時間がある方
が結果的に長続きするだろうと思う。要するにその『気を抜いた』時間に
なるべくその抜け殻のような自分を受け止めてくれるような環境があると
いい、そして望んでいる。



このところ本当に「タイムラグ」というか、望んだ時には何かは起こって
くれないという必然めいたものを感じていて、粘れるだけ粘る事の必要性
を感じている。挫けないでいることが大事で、自分を信じるという事もほ
とんど『粘る事』じゃないのかとさえ思えてくる。もし、そういう方針で
やっていってもやっぱり『ギリギリ』のところで保てているという事が変
わらないのであればまあそういうもんなんだなと思うしないだろう。




「活動」は本当に気持ちがないと成り立たない。自分を保つことが『難しい
』と思っている時点で難しい事をしているという自覚はある。
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予期があって。

究極的には「予測」が重要になってくるなと感じた。仕事が天候に左右されやすい面があるのをかなりの強さで確信して、「大きい項」の話では今日のW杯の日本の結果がどうなるかで国内の人に与える影響とか個人的な効果とかが違うし、共有される大きい話の方から決まって行くというのはどうしようもない事だと。ただそれが明日の自分の行動にどれだけ影響するかとか、何か特別なことが起こるかという事についてはそれほど変わらなそうだという予感もある。

原理あっての「理」と、理屈はわからないがそうなっているという「理」、そこから予期される事と、確率の問題で「確定」していないもの。ほぼ確定しているものと、ほとんど何も分からないものとを区別したり「創造」が関わって未知なものがあるけれど、面倒臭い事はあるだろうなとは感じる。


どこかに「難しさ」があるのだろう。ある意味でやり難さを感じながら続けて行く必要がある。

予定と

「難しさ」を感じる。このところ結構な無茶が仕事ではあって体力的には大丈夫でも、困ったなぁと思いつつ対処しているような感じ。トラブルではないにしろ限りなくトラブルに近いんじゃないかと思える。


頭の整理は欠かせない作業になっている。好きな事に集中する為にも真面目に考える時には真面目に考える必要がある。


ただ、色んな事が決まってくれば、確定してゆけば意外と見通しは明るいんじゃないかとも思う。自分の考えた事に対して「そうじゃない」可能性を漠然と考えてゆくと、むしろ明らかに決定してしまっている事が実感されてくる。


過去に真面目に考えて来た事も再び意識されるようになって、どちらにしてもそうだと思って動かないと大変すぎるという状況になっている。


何にしても何かが確定してくれるのを待っているような状態である。流れというか、タイムラグはあれど時間の問題だろうなという事、その予感も一つの思考の証であって、とにかく予定として定まった事があるのは頼もしい感じである。

文化的な事

可能なことを続ける。それ自体がずっと可能なのか、という事を考慮するとずっとというのは難しくなってくる場合もあるだろう。微妙な言葉の言い回しの話ではなく、実感として何か「理」の力がなければ現実的ではないと思えていた時もある。


可能な事は状況によって違う。体調によっても違うし、精神力でも変わってくる。その上で常にその時その時の「最善」を続けて行くというのは方針としては正しいと思う。今可能だと思えていることをその後も続けるというのは常に挑戦でもある。


ほとんど「作品の力を借りて」続けている感じなってきた。予想外に喜ばしい事も起こったりするが、それは必然とは言い難い部分がある。もちろん、「流れ」があっていい雰囲気でそのまま続けば良いことがあるなとほとんど了解してしまう時もあるけれど、そういう日を無事迎えるにしても「いつも」していることを続ける日々が大事だとも思う。理系的な発想で「平均」とか「精度」とかの言葉を使って自分の状態を把握していたくなるのも、やはり稀な事が稀である事情による。稀な事を期待しつつも、稀だと分かっている方面が計算というか、管理しつつ時に応じて色々按配している。



もうそういう風にしか見ていない。ここで必要なのは比較的長期的な視点と目標で、その段になって世界とか経済とか数々の問題のような「大きな項」の中で思考し始めている。自分がアクションを起こして何かはっきりした影響を与えられるレベルの大きさの項は、どうあっても地元のことが最大だろうし、むしろそこで何かはっきりした事が起こせるなら十分じゃないかと思えてならない。それとは別にこのスローペース症候群がもつ「一般性」を意識しないでもない。ネットにある情報として、「ある位置」を持つ場合にそれをどう評価すべきかは難しい。



地元に発信しているようでありつつも、そこに限局されない。二本松の事について自分達が個人の活動のレベルとして食い込んでゆけるのは一体なんなのだろうか。それも「今」ではなく、可能なことを続けていった場合に、いつか足跡を残せるのは何なのか?仕事でもわりと表面に出ているような感じの状況で、そうではなく私として、このスロペの三人として何を出して行けるのか?



前よりも具体的に現実に即して考えられるようになって、そこが浮かび上がってくる。「文化的な事」なんだろうと思う。あるいは「雰囲気」を伝えられるような作品を作ってみるのも場合によっては「文化的な事」での貢献なのかもしれない。その辺りも絶妙なバランスで成り立っている世の中だなと思ったり。

それは自信で

日本国内としても大きな事があった昨晩。競馬の事もあって何かが出来そうな気持ちになっていたが、今日は全体的に「仕事」をしたなという印象。先月の学びから、面倒臭い事をやる日だなと途中で気付いて何とか乗り切った。


明日は休みなのだが、やりたい事が沢山ある。久々にはっきりした「念」が自分の中に生まれていて、とにかく意識的にやれる事をやれる日じゃないかと思っている。「操作」できるレベルと精度が実際尋常ではないくらいのところに来ていて、しかもそれをやる大変さを既に測っている。普通なら挫ける事を求めているが念が負けていない。


ただ一方でこのレベルの活動は「特別」という認識もある。理屈的にも何処かで気を抜かないと保つのは難しいだろうなという頭はある。というか「保とう」と思えていないと出来ない。


成長は明らかにあると思う。「ちょっと特別な」連続は気持ちさえ続けば出来る。気持ちを保つ為の何かも出来てきたという、何か凄い実感がある。あとはクオリティの高い作品で見せられる部分はあるかなと思う。

自分へ仕事

かなりいい状態に保てている。理論的な事と、出来る工夫が結びついてきていて、自分の気持ちはいい方向に持ってゆき易くなった。そういう自分だから更なる精度も目指せるのだが、取り敢えずは楽に出来るようにはしたい。


ある精度でのいいパフォーマンスを続けて行けば自分だけに効果があるという段階を超えられそうな気がする。そうなってからが質が違う活動になりそう。実際仕事でも自分を保つことが良い仕事に繋がっていて、そこから先は自然と広がって行くのだろうと思う。


ただし、創作の方に気持ちを向けていたいという欲求は強い。どこまでのものが出来るかは未知数の感じもあるが、音楽については反応が良くなっているのもあってやりたいというのが正直な気持ち。



何にしても質が高いものが求められる状況。そういう社会情勢が、実は多くのことを決定している。その部分を見越して、自分に必要な事をやっているだけとも言える。

そして

多分やれる事はやり終えたと思います。後は「シャッフル」とか「ランダム」で巡ってくるものの力を借りれば可能になってくる事もあるのだと思います。悪い想像は浮かばないですが、対応してゆかないと行けないことは出てくるんだろうなと思います。

それでも今まで自分、自分達の為にしてきた事が後押ししてくれるだろうなという予感、期待、そういう何かを感じます。

新曲






新曲がとりあえず完成しました。


虹の入り口


前に説明した通りの曲です。ダケスタリスクとしても録音したいなと
思っていて、一人のバージョンも結構大事な曲です。

束ねて

大分早打ちですが、また一番まで曲が出来ました。


虹の入り口


最近弾き語りで作るならば曲を作る過程にはなれた部分があって、『イ
ンスタント』な感じで曲ができているような気がします。ただ今回の曲
については、今日のブログでもそうですが『いかに自分を動かすか』で
かなり挑戦したのは確かで、そこさえクリアしてしまえば後は「自然に
」曲を作ろうとする自分になれるようです。



歌詞もこれまでの蓄積と最近経験したことがまとまって内容になったと
いう手応えがあって、そこに良い「コード」を付けられた気がします。



こういう勢いで曲を作って行ったらポンポンできるのかというと、実は
そうではないと思われます。というのも、今回は前々から『虹』をテー
マにと考えていて無意識にイメージを膨らませていましたし、『念』が
ありました。しかしながら、これができてしまうと本格的に出し尽くし
た状態になると思います。



活動を続けてゆくうえで『質』の違う事をしなければならないと感じて
います。クオリティーの挑戦で言うならば、やはりキーボードの音を加
えてもっとしっかりした『音楽』にしてゆくべきだろうし、今ならばそ
ういう風にも出来る蓄積はあると思います。そこからは『質』が違う活
動になるでしょうし、思いの外苦戦するかもしれません。



何度も繰り返すように『念』でここまでやれていると感じるのですが、念
に質の違いがあるとすれば、これまでの一つ一つの念というよりももっと
それらが束ねられたはっきりした『念』で行けるところまで行くという事
を目指すのだと思われます。

導かれて、導いて

立て続けにブログ更新。


『何か』として今感じているものを残してみたい。色々な『始め方』はある
かも知れないけれど、メモにした模様を眺めながら音と言葉がもつイメージ
で何かを浮き上がらせることは出来るだろうか。


思うほどありきたりでもない日。思いの外強く吹いている風にやや曇った空
。目を凝らしてみれば多くのものが動いているというか、今日も立ち止まっ
ていないんだなと感じる。



一見するといつも通りなのに、そういう風に見ていない自分が居る。染まり
切れていないというか、『何か』を感じていたから見え方が違うという事も
分かっていて、じゃあその何かは…と問いたくなる。この向こう側。



おそらくは『入り口』になるようなイメージ、音、言葉、そんなものを探し
ている。コードだったら、その響きでどこかに連れて行ってくれるかも知れ
ない。…そのコードをイメージするのなら、多分近づいているものを呼び起
こしてくれるような、そんな響きになるのだろうか。




動き出してしまえばどこかに行ける。動かすものは多分『想像』で、何かが
あると思っているのか、『何かがある』というイメージがあるのか。少なく
とも動き出している自分。そして動き出そうとするから感じる何か。



イメージだけを頼りに行くとしてももっと色んなものが絡まって、模様のよ
うに何かと何かが意外な形で繋がってゆくのかも知れない。強い線も、弱い
線も、浮ついた心さえも絡まらせて。



行くのだろう。

ここからだと


地震のニュースで身構えてしまう午前ですが、せっかくの休日なので
何かしてみたいところ。と言っても『念』というんでしょうか、どう
してもしなきゃいけないという気持ちが自分の中に見当たらないよう
な感じです。


このところ過去の曲の再録をやっていまして、アップロードはしてい
たのですがそこである程度のクオリティーで出来てしまって表現した
い事の多くが実現されたような手応えです。そういう状態になってみ
ると、ただ『何か』をしたいなという気持ちだけが浮き上がってきま
す。



見方を変えれば、その『何か』をするにはまだまだ蓄積が足りなくて
、物凄いクオリティーのものじゃないと気持ちが高まらないんじゃな
いかと思うのです。相変わらず『メモ』にしてみて、『気持ち』後に
伝えられるように記録してみようと思います。

虹と橋

気持ち的には過去に作ってきたものがあって次を目指せるという感じ。自分の世界ではないけれど、自分の全身で発せられるエネルギー、イメージを辿れるようにしたものが現にスマホの中にお手軽に入っていて、殆ど手間要らずで自分に届けられる。そのイメージで動いて進み続けられれば何か良いことが待っているだろうという確信めいたものが煌めいている瞬間の「自分」は今の自分にとって確かに理屈抜きで何かを伝える、そう信じても構わないと思っている。


文章では野暮ったくなってしまう。もちろん膨れ上がるメモなしには作品に向かう事すら難しいから価値は承知している。ただもはや突破口となるのが理屈ではなく「作品」だとするなら、友人との意思疎通も含めて作品を介して何かを伝え合っていると思うべきなのだろう。


何でもない日に近いけれど「ちょっと特別」な心境が蘇っている今だからこそ、「平常」とを繋ぐ橋を欲している。例えばそれが虹色の橋だというのなら、何か出来過ぎだろうか。

その夢と

音楽が評価されるというのは嬉しいのですが、時々困惑に似た何かを
感じることがあります。自分にとって音楽は凄く集中力を高めた「一
瞬」を記録している面があり、その一瞬の心境ならば「これは評価さ
れる」あるいは「これはすごく良い」と思えるだろうし、実際そうだ
から歌ったり、色々手間のかかる作業を厭わないんだろうと思います。


ただ普段の生活で「ボケー」っとしている時間も愛する人間としては
前に投稿した作品があるタイミングで評価されたりすると


「何故だ?」とか「うわ…」


と素朴な驚きがやってきます。自分の把握していない自分の声と曲の
良さがあるにしてもまだまだ粗が見える作品があって、こう…どうい
う事が評価されているのか分からないので「謎」という位置づけです



勿論、「平和とか、元気を」と思ってその『念』で創り上げたのは過
程として了解しているので必然と言えば必然…というかかなりの確率
でそうなることなのかも知れませんが、今の自分が意外に思っている
ということがはっきりしています。



音楽に限らずすごく見えている意識では『理論』があるのだと思います
。で論理的な事と確率論的な事で、ある程度の予測と期待があって、そ
して現実を受けて「なるほど」という事がある繰り返しになるのですが
、最近とみに感じるのは『偶然』の破壊力ですね。色々な偶然が連続す
ると何かの「意志」を感じるかどうかは別問題としても、ある方向に流
れてゆかざるを得ない状況がやってくるという経験がありました。それ
こそ「ああ、世の中はこうなっているんだ」という諦観めいたものもあ
りますし、「なるほどこういう風に繋がってゆくのか」という発見もあ
り、生き方はそこでちょっと変わるというのがあるのかも知れません。




そういう風になってゆくと最初に念頭にあった「理論」の意識の仕方
は確かに変わってゆきます。もしかすると、無駄なところはそぎ落と
されたのかも知れませんし、もっと許容できる理論になっているのか
も知れません。



でも今は説明するためにこうやって意識しようとしていますが、自分で
も驚くくらい浮かんでくるものが少ないですね。昨日の今日でシンプル
に「二本松」で出来ることをイメージして、音楽では以前作った「空」
という曲を録音しなおそうかなという事くらいしか考えてなかったので
すが曲が思いの外評価されているという事を受けて、少し真面目に考え
てみる必要があるなと感じて書き始めました。




ぎりぎり思い出せるところでは「憧れと空」で精一杯のイメージを曲に
したというのがキーになるところで、「今」、再びスロペのテーマとし
て作った「空」の雰囲気が蘇ってきているという事が何となく繋がって
くるのかなと。



正直な話をすれば「スロペ」は友人のOくん、Kくんと集まるための象徴
(小腸ではないです)で、二本松で何かをするという事も『無理なく』
という要件を入れれば、必然的に三人で集まる事のついでに何かをする
という事に収束するのは間違いないですね。難しい事はまだ色々ありま
すが、なんとなく都合が良いようですが『音楽』を続けてゆく事でそう
いう夢が繋がってゆくというのなら、またちょっと難しい事に挑んでみ
てもいいかなと思うのです。




今の「夢」って考えてみるとそこなんだなと気付きました。もちろん、
すごいパフォーマンスをどこかでしてみたいという欲求もありますが、
それは少し毛色が違うんです。ただそれもアクセントにはなるだろう
なと思います。とにかく今、少なくとも今の心境では思ってもみない
評価があるのだから素直に受け止めたいなと思います。

二本松へ

あまり自分のことで考えなければならないことがなくなって来たような気がします。あくまでブログを書く上でネタにすることが「自分」の感じたことがメインなので「自分」という語は用いますが、実際は誰しも感じる事に対しての上手い対処というか切り替えとかに主眼を置いています。とはいいつつ、世の中がどうこうはあまり語ってこなかったのも事実ですが、今日については自分の本格的な復帰よりも米朝のことが途中から気になって来てしまってもしかしたら凄いことがあるのかな、まで想像したかもしれません。「大枠」が譲り難く決まってしまっているからこういう世の中であるということが本当であるなら、大枠がかなりのレベルで動いた、あるいは動く確証ができた、という情報は得たと思います。水面下は推測の域を出ないものの、世界に向けてああいうアピールをしてしまうともう引き返せないというか、流れができてしまったと断定してもいいと感じます。


となると相変わらずせせこましくも「身の振り方」がこれでいいのか再確認するわけですが、特に変わらないけれど例えばブログの内容とか、創作でテーマにすることとかが少しばかり変わってくるのかもなと感じてしまいますね。いやーな想像をしてしまうと、やはり日本は「お金」を出す側になってしかも莫大な額というパターンが拭い去れないのですが、そうなったらそうなったでその役割を果たすしかないんだろうなという諦め感。ただそれで解決するなら将来的には「ストレス」は減るだろうなという安堵感はありますね。そして少なくとも今後そういった大き過ぎる話を無意識なのか意識なのかは判別できませんが気にする必要もなくなると考えるなら、浮いたキャパシティーで何を考えようかなというところまでは想定してしまっています。


もともとは仕事に復帰して「普段何を考えていただろうか」ということに思い至り、平常心を取り戻していったという経緯があって、考えてみると今まで考えていたあることを考える必要がなくなったんだなと気づいたという発見が大きかったのです。ブログを続けて行き、ライフワーク的にするならば考えることはもうそろそろ「二本松」に向かえるなと今思いました。「二本松」で何ができるか、何の舞台にしてゆけるか、どう生きて行くか、などなど色々な視点から自分なり、自分達なりに問うていってみてそこから何かを組み立ててみたいなと漠然と思います。


そこ

強い義務感で動いているというのは時々感じる事だ。自分の心が動いて求めてゆくよりも深いところで「こうしなきゃ」というなにかが動いている。


その心があるという事自体が雄弁に何かを語っている。もはや理屈ではない。

可能な限りだと

可能な限り常識的にというかシリアスな方に考えてみる事があります。常識的と
いうよりはなるべく不思議が無いように解釈してゆくのですが、それを踏まえて
も何処かに非常識的な事があって、まあ運が良いというしかないような事もかな
りあったように感じます。


「運がいい」という事も科学的な判断とは少し違うのですが、「運がいい」とい
う事を受け入れてしまうとシリアスに考える理由が薄れてきてしまうという自分
でもおかしくなってしまう事態になっていると理解しました。



根拠のない自信とも似ているのですが、過程はどうあれ(非常に面倒くさいことも
あり得るでしょうが)「なんとかなる」という実感がそもそも文字通りには難しい
筈の人間なのですが、そこがあるところに至ってしまっているというのがとても面
白いですね。



科学的に考えるのは基本であり厳密に考えるからこそ分かってくることがあって自
然とそういう方向に考え始める傾向があるのですが、極限まで科学的に考えてゆき
合理化を進めると『非常識』という風にも思えてしまうようにも感じます。




…まあ既に悪い意味ではなく常識に囚われないように判断しつつあるだけに、今更
常識的なところから始めるのも変というか、不合理に思えてきました。

クワッと

すっかり平常に戻ってきました。改めて現状を見つめてみると「希望」が結構あるということに思い至ります。ふつうに過ごしていても刺激になる情報も入ってきますし自分たちの「作品」もだんだんと何かになっているような気がしてきました。手応え的には過去とは違うなというのは確かですね。

「自己満足」の領域から少しづつ踏み出しているのだと思うのですが、前例がないところに至っているのも事実なんじゃないかなと感じています。「スロペ」にしても、Oくん、Kくんとの活動にしても、比較するものがないだけに自分たちの過去と比べてどうかという評価くらいしかないような気がします。

こうなると才能というよりもいかに向き合うかとか、態度、心構えで決まってくるのかもなと思ってしまいました。「課題を見つけられる」のは強みかなとふと思ったのですが、どういう視点からにせよ「クオリティー」の話になってゆきそうです。クオリティーと集約、集中の関係からすると、毎日少しづつでも粘るというか言葉にすると非常に難しいですが「際立っている意識」を繋げるといいますか、深い地点まで入りかけている意識を摑まえる努力をしないといけないなと思います。一瞬だけならクワッと目が見開くような集中があって、そこで見えているものをなんとか明確にする事で一段上に来ているような気がします。


まあ今日もそのクワッっとしたところを言葉にしたのですが。とにかくここまで継続したブログですので積み重ねて来たものを大事にしながら、続けていきたいですね。

立ち上げる

大枠が決まっていると後は「調節」もしくは「調整」という事に専念すれば良いという発想が存外に上手く行っていて自信が生まれている。漠然と自分の中にあるエネルギーをどういう風に使っていったらいいか迷ったり悩んだりした時期はあったけれど、基本的にはこのブログと音楽に集約させれば悪いことはないという確信めいたものがあって、その中で「スロペ」の3人の「ノリ」も次第に取り戻してきたと思う。

Oくんからのアドバイス通り「ほどほどに頑張ってみよう」と思う。ブログについては過去の集積はあるけれど、目紛しく動いている世の中で動きつつもそれと分かる「場所」に何となくなってるかもなと思う。常にその都度「立ち上げる」という事でしか現れてこないものがある。自分の中に感じている「ここ」という場所も、なんとなく感じられているのだろうか。

おぬし

大体の事が落ち着いて数日後にはまた普通の日常がやってくるような
感じです。前よりも色んな事が自然になってゆくんじゃないかという
期待もありますが、相変わらず自分の気持ちの盛り立て方はちょっと
「難あり」という感覚があります。


義務感じゃない素の気持ちというのは意外とややこしいなと感じます。
プライドというか「ちょっと頑張んなきゃ」という意識は自分の特性
だと思うのですが完全に自分だけになった時に、


「なんだかどうすりゃいいんだろう…」


的な迷いと持ち上がらない部分をひしひしと感じ、全体的には「困った
なぁ」という言葉が出てくるような微妙さがあります。




こういう風に分析ができるくらい見通せているので意外とどうにか出来
るのですが「決定打がないが続いている」という半端さを感じます。面
倒臭くても自分は向き合わなきゃならないのかなと思いました。

新曲(追記)

ほとんど衝動的に曲を作ってしまいました。出来たのは1番のみですが完成はすぐ
かも。色んなもやもやを歌詞に詰め込んで自分のアイデンティティともいえる「ナン
センス物語」というタイトルにしてみました。


ナンセンス物語



追記: 全部できたので録ってみました。



ナンセンス物語

少し踏み出して

わりと思い通りにやれている。大変なことはあるけれど余計なことを考えず
に必要なことを続けていると日が暮れてゆく。当たり前のようで、続けてゆ
くには難しさが伴う。


過去の自分と一瞬前の自分との対話をしているような気分になる。身体が何
かを覚えていてパッと思いついたことも、すっと消えてゆくようなそんなバ
ランスの保ち方。それでも「今」の自分にとっては「迷い」の猶予は欲しい
のかも知れない。



完ぺきではないけれど、それなりに上等なものを求められる事はあるのだろ
う。『特殊な自分』のためにする事も必要だし、大多数が求めるものを提供
してゆく視点がなければ続きようがない。




行き場を失った人間味のある部分は愚痴のような前向きなセリフを吐こうとす
る。もしかすると前向きなようで愚痴なのかも知れない。




…曲を作ろうとしている。出来るかどうかは分からないけれど、一つのまとま
りとして捉えている。

リスタート

先月は「稀」な事が続いた月でした。体調の関係で「見え方」が違っていたのは
確かですがその見え方で捉えると、もう【スペシャル】という感じでしたね。


どういう状況でも「なんとかなる」と思えるようになったのは大きいものの、
見え方が平常通りになるとやはり自分でやれる事はやっておきたいという心境に
戻ります。明らかに「面倒臭い事」をやれば何らかの意味で「仕事」になってい
るという実感が生まれつつあります。



目下面倒くさい事と言えば色々ありますが『創作』は間違いなく今の自分にとっ
ては面倒臭い、けれどやりたい事ですね。曲は完成させたので、今度は短編をと
思うのですが需要の関係でいえば何か新しいネタ探しをしてからというのが妥当
かなと思います。



いずれにしても、また新しいスタートですね。

最近の

やりたい事をやれてしまうと不思議とまた何か考えないとなという
心境になってきます。【ダケスタリスク】としての活動がメインに
なりつつあるもののスロペとしてはどこかで「二本松」の事も念頭
にあって、最近の話題としては


「広報にほんまつ」


が充実しているという事で一読の価値があるという事を知らせたかっ
たのと、Oくんの個人的な事で少し手伝えるかなという話ができるかな
と思いました。実際今日は市議会選挙で、さっそく投票してきましたが
スロペの趣旨からすると市政が本来的には重要です。とはいえ、自分た
ちが出来ることを等身大の視点で探してゆくと創作がベストという状況
は続いています。


ベストとはいえ、意識としては色んなことをバランスよく見ている必要
はあると思います。

活動!!

【ダケスタリスク】としての活動が出来ました。作品も「完成」と言っていいでしょ
う。とにかく集まって活動が出来るまですごく大変だと感じた時もありますが、今日
この曲をやれたのはかなり大きいと思います。実は二人とも声の調子が良くないとい
う事情があったのですが、様々な工夫で曲自体に違和感は感じさせないと思います。



憧れと空(YOUTUBE)


憧れと空(ダウンロード用)

Kくんの高音の伸びがイメージしたものよりも良くてハモリも色々考えましたがこの
曲はシンプルな感じの方が良いような気がします。



次回はもっと楽しい曲をもっと楽しくできる状態でやりたいなと思います。

なんとか

K君と会って活動をする日は明日です。O君とはPOGでも再会したのでほぼスロペ
的には理想的な流れだと思います。先月はちょっとバタバタしていましたが、
今の心境としては何とかいい方向に来ているなと思えていて、昨日も述べたよ
うに予め色んなものを配置しておいて、不安になってきた自分だったらどうす
るかまで大体予測していたのだなと後から分かってきます。


以前『見えている』という表現で自分が色んなことを意識できている状態の事
を説明しましたが、不安になっている時にはその『見えている』状態の反対の
極にいる時なんだろうなと考えられます。



あまり難しい事を考えなくても「なんとかなる」と思えていれば大丈夫で、今
回もなんとかなるかなと思います。ダメだったらまたその時考えます。
プロフィール

二人の管理人

Author:二人の管理人
ブログには珍しく二人の管理人で更新してゆくブログです。

二本松のこと、競馬のこと、これから手探りで何かを
やってゆこうと思っています。




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