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スローペースで、二人で出来る事を模索しながら。二本松、競馬、などなど。

何か

休日。


時代が変わってきたのもあるけれど自分が主張したい事がそれほど際立
っていないと感じるようになっている。『稀』に自分の中に見つかる事
を繋げていって線にしてゆくような感じで行動と創作を続けて、そこに
対する結果と反応で確かめられたことが今のこの感覚を作り上げている
と思えば、なかなか喜ばしい事である。



『残留した感覚』とでも言えるのだろうか、もはや記憶もそれほどはっ
きりしているわけではないのだけれど確かに何かを経験して、今もそれ
を経験したような感覚で世界を見ている、そんな心境も時折訪れる。



そうでありつつ、その感覚が日々中和されてゆくような気がするのもこ
の頃。目の前の事と遠い世界の事が微妙に絡まって、結果自分が向かっ
ているのは何処なのだろうかという事も時々考えていたかも知れない。




どうあっても創り上げてゆくしかないという事情はある。時折「繋がって
ゆく」事があって、それこそ「このタイミングで見つかる」という事は諦
めない方がいいんだなと思わせてくれる『何か』であって、やっぱりその
『何か』はこう、「理」に関係している何かなんだろうなと思う。




人為とかだけではなく世界がそう出来ているというか。
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場面

昨日久々に飲みの席があり仕事場のメンバーでしたが、楽しかったのは間違いない
です。カラオケで歌ったのですが、やっぱり自分の要素として歌は大きくて、普段
出し切れていない何かをそこで出せているという事ははっきりと感じました。


前から『場面』、『舞台』を求めているという事を強調してきましたが、やっぱり
そういう場面があれば自然と自分は何かが出来るんだろうなと感じます。ただ一方
で録音している時の緊張感と達成感はそこでは当然の事ながら味わう事は出来なく
て、意外と普段の作業も面白いんだなと実感。



とにかく自分の『能力』というか、力を集約したような作品を創りたいというのは
この頃出てきた欲求で、『すぐに作れるもの』ではその名の通りインスタントのお
手軽な感じが出てきてしまいそうですし、むしろ容易には創れないからこそ作る理
由になるという動機になっています。



地味に「雨の日」をテーマにした曲のリズムも浮かびましたし、『春の嵐』まで気
持ちをキープするためにも休日にはメロディーなどを考えたいと思っています。

今週の競馬

今週は中山記念と阪急杯があります。中山記念の週になるともう春だなという
気持ちになりますが、大阪杯を見据えると結構大事なレースになっています。



まず中山記念についてはほぼ既に紹介している馬なので予想でウインブライト
が面白そうかなと思っていて、まあペルシアンナイト、アエロリット辺りは応
援という感じ。血統的には母父がナリタブライアンのマイネルハニーを応援し
たいのですが、とにかく面白いメンバーが揃いましたね。



続いて阪急杯は過去のPOG指名馬ペイシャフェリシタはさんざん紹介している
のでここでは取り上げませんが注目しています。ここもかなり面白いメンバー
が揃いましたが既に紹介しているようです。



なんだか中途半端な更新になってしまいますが、それを見越してオープン戦から
日曜阪神9レースのすみれSから、良血馬キタノコマンドールを。


・キタノコマンドールは父ディープ、母父キンカメ。DMMのクラブで所有されて
いて北野武さんが命名した馬でノーザンダンサーの5×4のインブリードがあり
ます。言い方はあれですが「金にものを言わせた感」が漂っており、引退が発表
されている(※訂正しました)デニムアンドドルビーの全弟なんですね。ある程
度以上の能力はあると思いますが、応援しようかしまいか微妙な心境です。なんと
なく「サイン」が揃っているような気もするので注目ですね。

最後の

導かれる 時のこだま あの日の残響

言い知れぬ胸の篝火に 続くきらめきが


それを通ってやってくる



変らぬものよと思うなかれ 変わりゆくものよ


覚悟すら共にある


それは偽りでないと思えるほどに


ただ虹をどこかに



交わす言葉に待ちわびた悦びを

読書での

飛び石で休日の為、朝から用事を済ませ読書に精を出していました。
小川洋子さんの某作品を読んで独特の気分になってしまい、一方で
それを読んだ事で明らかに何かを感じて、もう少し何かが書けそうだ
なという心境になってきています。


小説に限らず「書かれたもの」によって伝え得る領域、事柄というの
は人によって「どこまで」伝えられるかというかの考えが違うと思い
ますが、やはり自分に対しての伝わり方というのが一つの基準になる
わけで昨日書いたように伝えることが難しいという確信も、常に書い
たものと接近しているわけではないのであれば能力や条件によって
「伝わり易さ」があって、だからこそ「ここまで」なんじゃないかと
思える領域が自然と出来上がっているのだと想像されます。



もちろん、そこには例外的な事もあって読み取ることに長けている人
ならば或いは感受性が豊かであれば、何が伝わったかについては概念
としてではないかもしれませんが少なくとも「何かが伝わった」と
把握できている場合もあるのだなと思うのです。



誰もが「書かれたもの」に向かうわけではないのが現実でしょう。け
れどその小川洋子さんの作中の描写にもあったように何かの痕、跡か
ら何事かを読み取れる…あるいは感じることが出来る人はいるのかな
と思えていますし、自分も活動を続けるにあたってそういう風にして
、いや、できるのであればそういう風にも意識していきたいなと思え
ています。

ややこしさと、面白さ

昨日あたりから何かを考えていて、それを「どうやったら伝えられるか」
を多分、「何か」とは別に無意識に考えていたと思います。それで、ち
ょっとややこしい話なのですが、そこでメタ認知的に気付いてしまいまし
た。それを一言で言い表すならば、


「(この考えている事を)『伝えるという事が難しい』という事は疑い得
ない」


なのです。伝えたい内容はあって、それを伝えようとても上手く言葉が浮
かばないという事はありふれていると思いますが、とにかく『伝える』に
あたっては難しいのは間違いない事で、<難しくないかも>と疑ってはみ
たものの疑い得ないという確信があったというべきでしょうか。



そういうレベルで分かってしまうと「伝えたい事」があったとしてもそれ
はどうあっても「難しい」し、そうなると伝えようとする場合にもちょっ
と構えてしまったり、急いで伝えようとしても無理だなと納得してしまっ
て、その「伝えたい事」はそのままになってしまっています。



「確かな事」とか「疑い得ない事」が分かると自分自身安心したり、すっき
りとするものですが、こういう風に「悟った」ような感じになるのは結構久
々で、まあこの一連の気付き自体も敢えて語る必要もないのですが、メモ書
き程度に思ってもらえばと。




似たような事ですが「仕方ない事」が「仕方ない」と納得できる時、そこには
明らかな変化があって、その後の方針がガラッと変わってきたりするのも普通
にあり得ることだと思います。そこからまた可能なことの中で善いと思える事
を模索しながら、何かを続けてゆく。面白さがそこにはあります。

ばる

休日なので弾き語りをしてみたり、録画していた「イッテQ」を見たりで
何となく気持ちが和らいだと思います。自分がこれまで続けてきた事を
何処かに繋げようとする時で「縁」を感じている人や惹かれているもの
に助けられているというか、励まされているというか、本当は一杯一杯
にはなりたくないのですがまたちょっと動いてみたい気持ちになってし
まいます。


「動かない」と思えることも、予想した形ではないですが何らかの意味
で動いていたり、そういうのを知ると諦めてはいけないな、というか自
分が納得のゆくまで粘るのはそういう場合には必要だなと思えます。



素直に『平和な方に』動いてゆくんじゃないかと思える時間が続いてい
ると、そう言うのも間違い過ぎているわけではないと感じられます。



すごい強烈な意味で受け取ってほしいわけではありませんが「頑張る」、
「出来るだけ頑張る」、「やり遂げたい」という事は伝えたくて、密か
に縁を感じながら力を発揮出来たらと思っています。



一言で言えば「ガンバル」。

絶えず

「叶う」という響きに力を持たせられるなら

限られた方策であっても できる事ならば


離れるほどに別の何かが近くなる

いつしか「君」と呼びかける気持ちすら

精一杯になる


それでもそこで何かを見出そうとしているという

この紛もない熱は

絶える理屈がないはずと思う

からくり

繰り返されるものと繰り返されることを望まれるそんな何か

繰り返されるなら その度に立ち戻るように

忘却の宿命 そして忘却あっての言葉たち

その「今」に響くものかは知れない

見失う 己に かつての歌を


儚く けれど夢に舞う 朝日を


たゆみなく

これから

このところ「出来ることを続ける」という時期のようで、自分の中での『目標』
とするところを設定する方がよさそうに感じてきました。一切の休みなく努力し
続けなければならないような目標を立ててもそれ自体が無理でしょうし、息抜き
の事も配慮した上で、また熟練、成長という事もある程度加味しながら「ここま
で」は狙えるのかもという所に照準を合わせてゆくべきなんだろうと思います。



自分の中で趣味の「音楽」で実現したい事が仕事を除けば最初にやってきている
と思っています。友人のKくんも仕事だけでは十分ではないと感じていると言いま
すし、現状を打開する為にという理由でも最善がそれなのかなという意識がありま
す。



ところで、これまで出来るかぎりの事を文章にしてきましたが、ちょっとだけこ
れからの『書き方』が変わるかも知れません。ある事情で書く目的が少し変わっ
たという事もあります。そのくらいで丁度いいのかも知れません。

その演技に

羽生選手の金メダル、宇野選手の銀メダルでテンションが上がってしまう日で
すがリアルタイムでもちょっと見ることが出来て、演技でゾワゾワしてしまい
ました。羽生選手の場合、『奇跡』と言ってしまっては失礼になりますが、こ
ういう選手が現れる事自体は奇跡のようであり、生ける伝説になったなと感じ
ました。


自分の気持ち的にもさまざまな事情で「色々きつくなってきた」なと感じる頃
に嬉しいニュースが飛び込んできたりするものですから、その都度羽生選手に
は励まされてきたような気がします。



最強であることを「証明」するという捉え方もありますが、それ以上にもっと
何かを証明してくれているようで、それこそ生きていれば「凄いこと」…もち
ろん良い事が見れるという事であったり、色々経験すれば「凄さが分かるよう
になる」というか、とにかく一言では語れないような事を伝えてくれているよ
うな気がします。



自分のテーマで「奇跡のような事に必然で辿り着く」というというのも彼を見て
いて『そのものだな』と思えていたこともあって、とにかく日々できる最善を続
けてゆこうと思えるのも色んなものに対応して行ければ、対応する方法を見つけ
てゆけば凄く難しくても可能なんじゃないかなと、常にそれは頭にあります。



ただ「稀」なものだと分かっているならば、そして「稀」なものの出現に励まさ
れるという精神ならば、どうあっても期待するものが現れなくてモヤモヤする日
々を送らざるを得ないという理というか定めがあって、自分としてはその辺りの
事も了解した上で日々を過ごしてゆかないといけないのかも知れません。




理解はしていますが、でも実際に過ごす毎日で「さすがにそれでも…」と厳しさ
を感じる時もありそこで「ただ耐える」だけではなく、何かしら良い考え方とい
うか適した方法を見つけてゆかないと進んだことにはならないような感覚もあり
ます。



それでも自分の力で小さなことですが変えて行けている、少し方向を良い方に持っ
て行けている実感はあって「つまりはその積み重ねだな」と思えていれば、むしろ
毎日が充実している面があって。




今日は純粋に喜びを分かち合いたい気分です。新しい世代の躍進も見守ってゆく必
要もあると思います。

平均、坦々

自分の中で「少し大きいこと」があって、どちらかというと色んな事の配分で
で絶妙な具合に成り立っているバランスに影響する「少し大きいこと」だった
ので、それに合わせて心境が少し変わってきている。


そんな心境でこれから続けてゆこうとしていることを評価すると、改めて「難
しい」なと感じる。色々なものが上手く行ったり調子が良ければ容易そうにも
思えるのに、良い時と悪い時があるという事を考慮して長いスパンで『平均』
を考えてゆくと「坦々」とこなしてゆくだけではちょっと足りないように感じ
る。


とはいえ仕事の事を念頭に置いて考えるなら、そこで求められるのは「安定」
というか、こなしてゆく事だと思う。そこが疎かになってはいけないし、どこ
かしら「仕事と趣味のバランス」という観点も必要になると思う。もちろん、
今続けている「趣味」は生き甲斐でもあって、こちらもどうしても成り立たせ
たい心情がある。



『平均』、『坦々』とというキーワードで考えていった場合に、そういう見方
でも活動の見通しが立てられるような、負担が大きすぎない「やれること」を
探してゆく必要はありそうだ。

今週の競馬

今週はいよいよフェブラリーSです。テイエムジンソク鞍上の古川騎手が騎乗停止
というニュースを見て「ああ…」という声が出かかったところでフェブラリーには
乗れるという事でしたのである意味「追い風」だなと感じています。とりあえず土
曜日のダイヤモンドSから。注目というより、マイナー枠でよく分からないという
理由でダウンザラインを。


・ダウンザラインは父アドマイヤオーラ、母父オペラハウス。ノーザンダンサーの
5×4ですがアドマイヤオーラ産駒らしくダート適性があるようで、格上挑戦の上
にダート馬という事で陣営に何か考えがあるのでしょう。長距離適正があるという
判断だと推測するのですが、好走できれば可能性も広がったと捉えるという事です
かね。


京都牝馬Sもマイナー枠でオーヴィレール。


・オーヴィレールは父シンボリクリスエス、母父クロフネ。ヘイルトゥリーズンの4
×5でこの配合だとイメージ的に『重く』なりそうな印象ですが、スピードタイプで
なかなかの実力がありそうです。勝ちきれない可能性もありますが、前走の好走は目
を惹きます。



さて毎年予想が難しいフェブラリーSですが、今回はゴールドドリームとテイエムジ
ンソクだと思いながらレース結果を待とうと思います。何となく2強という気がする
んですよね。



小倉大賞典については紹介馬も多いため、今回は割愛します。予想も難しそうなレース
ですね。そしてオープン戦からは日曜東京9レースのヒヤシンスSから良血気味のマイ
ナー枠でアスクハードスパンを。


・アスクハードスパンは父ハードスパン(Danzig系)、母父ロイヤルアカデミーⅡ。
母はイルバチオという重賞馬で、アイビスSDで上り31秒6を出した実力馬。今は
日本では珍しいノーザンダンサー系同士の配合で、ノーザンダンサーの奇跡の血量
がそれを物語っています。先週もノーザンダンサーの18.75のインブリードを
持つオウケンムーンが重賞を勝ちましたが、今回はダートなのでちょっと未知数な
ところがあります。ちなみにロイヤルアカデミーⅡは深い理由はないものかなり好
きな馬で、地味に良血だと思っています。

束の間のざわめき

ターコイズのような色合いがなんだか美味しそうに見えるのだとしたら、十中八九チョコミントアイスのせいじゃないかと思う今日この頃。くたびれたTシャツの襟元が妙に気になる。単調に過ぎてゆくのに時間が経てば劣化してゆくなら、気が付くとまた新たに用意しなきゃいけない何かがある。そして新調は思うほど単純じゃない。行きつけだろうと全く同じものが店の棚に並んでいるわけでもない。

「NO MUSIC NO LIFE」

というありきたりなプリントに深い思い入れなんかありはしないのに、その代わりにどんなメッセージが入っていたら馴染むのか、自分にはよく分からない。今年になって初めて食べたチョコミントの味は自分の中の何かを目覚めさせているような気がした。

少し遠出するのも今日はなんとなく苦にならない。車を走らせて20分。普段なら行かないショップの駐車場で財布の中身を気にしながら歩き出す。イメージの中にある『アメリカン』な要素をちりばめたような内装の店で、普段はあまり聞かない洋楽のBGMを新鮮に感じながら服を選び始める。『春物』といいつつ、少し薄手に寄っている品揃えは先を見越したものだろう。全てにおいて『慣れている』所作の店員が、特にこちらを気にしているでもなく坦々と作業を続けている。

そういう様子を見ていると、まるで自分が服を選ぶのも『作業』なのではないかと疑ってしまう。確かに冷めた言い方をすれば劣化すれば取り替える消耗品なのかも知れない。劣化しなくとも時代遅れになれば、流行りが終わってしまえばファッションとしては機能しない布になると考えてもあまり外れすぎてはいない。今着ている「NO MUSIC NO LIFE」に思い入れはないと言いつつも、そこまで冷めた見方をして着ているものでもない。唐突にそう気付いた。


でもそのままそれを着続けるという趣味もない。だが、何かただの布ではない何かであった証があったっていいんじゃないかと思う自分が居た。可能な限り。


<証…か…>


自分の思考の中の不思議な響きのある言葉に思わず身動きを停めてしまう。一瞬自分だけが世界の流れから踏み外してしまったかのような戸惑いを感じてさきほど店員が居たところに目を遣るが、彼は相変わらず迷いなく作業をこなしている。



こういう気分自体、気まぐれというやつなのかもしれない。だとしても仕事とテレビの話題で世間並みに均されている自分にとって、気まぐれという事自体が、そしてそれに唆されること自体が稀であることは間違いない。



その気まぐれから何かが始まってゆくストーリーをぼんやり思い浮かべる。今日これから『運命の出会い』があって、人生が激変してゆくならそれはそれで面白い。現実が…少なくとも自分の人生がそんな具合に動いてゆくものなら、これまでの常識などというものも当てにならないと言われているようなものだろう。




自分でもわかっている。自分に今見えているものは、あながち間違いではないと。それを疑えるほど学んできていないわけではない。世の中で驚かされる出来事があってもそれは何処かで「あり得そうなこと」だと思っていたような気もするし、かと言ってそれを完全に予想できるほど自分は見通せていない。



いつしか淡々としたテンションで服を選び始めている自分。お気に入りになるような服がこの店の中にあるかも知れないけれど、何も無理にそれを探す必要はない。この中にあるものから気に入ったものが手に入れられれば本来はそれでいいのだ。


<それでい…>


『それでいい』と納得させるために反芻しかけたところで思わず目を見張ってしまう。その棚の下段左隅には『NO MUSIC NO LIFE』があったのである。しかもそれは春を意識してなのか、淡い緑色のトレーナーである。それは『チョコミント』の色を思い出させた。



それは出来過ぎた偶然、と呼ぶには相応しくはないのかも知れない。時節的にあり得る『組み合わせ』で、それが偶々この店に置いてあっただけなのだ。けれど、今の自分にとってそれは特別で、少なくとも自分の目を疑うくらいには意外な…ちょっと信じられない事だった。



<『何か』があるのか…?>



思わず分かりもしない『何か』がこの世界にあるような気がして不思議な高揚が訪れるが、その瞬間規則正しい歩行のリズムで後ろを「いらっしゃいませ、失礼します」と通り過ぎていった店員の存在で「おっ」っと思っていつの間にか大したことではないという気持ちになってしまう。だが、



「何を馬鹿なことを」



と自分を窘めるように声にしてみると、それでもそのトレーナーが自分にとってはお気に入りになるだろうなという紛れもない感覚が逆に際立った。



結局それを持ってレジで会計を済ませる。



「ありがとうございます。またお越しくださいませ」


という爽やかな声を背に受けて再び外に出ると、その瞬間ビューっと強い風が吹いた。そういえば昨日のニュースで「春一番が吹いた」とアナウンサーが『満を持して』というテンションで告げたのを思い出した。



<この『NO MUSIC NO LIFE』は今日みたいな日にはちょっと頼りないかもな>



という何とも言えない気持ちで愛車を見据える。そそくさと車に乗り込んで景気づけにカーステレオにBluetoothで接続したスマホの音楽をシャッフルで流してみる。前に友人に勧められて自分でも入れたことを忘れていた若々しいバンドの曲が、なんだか妙に楽しそうに聞こえた。いや、そっくりそのまま「音を楽しんでいた」かもしれない。

それじゃなければ

目覚めさせておきたい気持ちというか、いま浮かんでいるものを何かにしておき
たいと思えるような瞬間は『活動』を続けてきて時々ある。気持ちではどうにも
ならない時には、そこで何かを探したりしてせめて何か跡付けておきたいという
はっきりした意志が自覚されて、何かと何かが繋がるようなイメージで書いたり
、描いたりしている。


それこそ『何故「残したい」とそう思うのか』という理由が説明できないことが
多い。理由を考えているキャパシティーも惜しいというくらいに、残しておくべ
きだという確信だけで、必死に跡付ける感じは何なんだろうと思う事がある。



この頃『最善を尽くす』という言葉を多用しているけれど、そういう判断になる
のも、こういうほぼ研ぎ澄まされた感覚で何かを感じることが稀で、最善を尽く
した上でないと訪れないという事が分かっているからである。



今も『タブレット』を使って集中を切らさないように、ある一定のレベルを保つ
ように書いているけれど、例えば今が『最善』と思えるのも、このタイミングで
そのタブレットの個数も限られているという事情があったりするからだ。




何かを残せる「ここぞ」というタイミングで、どういう環境にあるかもそれ自
体『必然』という方が無難な何かが関係していて、利用できるものを使ったう
えでの結果ならば最善であり、「仕方のない事」と割り切れる理がそこにある。



『その気持ちでなければ、その意志でなければ出来ないことをやり遂げる…』


というのは間接的に…と言ってもかなり納得のゆく形でその意志と気持ちの存在
を証明できる。意志について色々な研究がある中で、そういう意志が紛れもなく
あった(ある)という事を、確かめられるというのは心強い事である。




『春の嵐』という曲もそういう要素が結構あって、さまざまな事情で難しいからこ
そ出来上がった作品が如実に語るような事があり得るんじゃないかと思えている。
少なくとも創った自分達にはそれが大きな証拠となるし、全ての情報が伝わってい
るわけではない人にも一様ではないにしろ感じられるものになるんじゃないだろう
か。




これでかなり説明したような気がする。

もしかしたら

このブログで『化学』のレベルの事象を活かして目標としている事を少しでも
実現しやすくしてみたいという内容を少し前に書いたけれど、奇しくも比喩的
に用いられる「化学反応」という言葉が自分とKくんの活動名『ダケスタリスク
』にも当てはまるなと感じたので書いてみる。


一人と一人が協力する場合に、単純に1+1=2ではなく、3にも4にもなる
という風に通俗的に表現されたりするが、音楽をやり始めてそれを本当の意味
で実感した。自分一人で続けている場合に『見えている』というか、予期され
ている結果が現実のそれと比較して意外過ぎるという事は実はあまりない。意
外なのは意外だから結果に対する反応で学べることが多々あるが、どこかで頑
張ったら頑張った分だけというようなエコノミーがあるように感じることもあ
る。


何故かと言えば好みの問題もあるけれど良いクオリティーならばやはり評価され
るという事が基本的には成り立っているからだ。そして良いクオリティーを追求
してゆくには情熱、技術、経験、費用、様々な総合的なものが結局は求められる
し、そうやってできた作品はやはり自分で触れても「なかなかだ」と思える。



そういう実感を伴った感覚が昨日二人で録った作品については、粗削りであるけ
れども誇張せずに普通に1+1=2の感覚で計算した予期を「超えている」と感
じられた。



予期を超えている、という事が実感できているその気持ちで色々考えていると
『見えている』と呼んだものの正体が朧気ながら分かってくる。きっとそれは
その『化学反応』を続けられる未来であり、繰り返してゆく先の何かなのだろ
うと思う。我ながら矛盾しているのは、『予期を超えている』のに見えている
と感じているところだろうか。



でもそれは少なくとも、この活動の先に『もうちょっと何かがありそう』だとい
う感覚にさせているという意味であって、一人で続けてゆく事を考えた場合には
浮かびさえしないものが浮かんでくるという事で言うならば「見えている」とい
う表現はあながち間違いでもない。




その辺りの事は上手く語れる自信がない。それはもしかしたらいいことなのかも。

あっという間の

『ご満悦』気味な午後。K君の体調の問題で懸念していた録音も無事に今の
段階で満足できる仕上がりに出来て、次回に「春の嵐」を仕上げる目途が付
いたと(結構な自信で)感じています。


集まった時間こそ4時間ほどでしたが、別な曲の動画を撮影する時間もあっ
たくらいで成果としては十分満足できる内容でした。録ったものを聴きなお
してみて、改めて二人で合わせた時の雰囲気が良くて自分自身勇気づけられ
ています。



春の嵐



イメージを伝え合って、歌詞も協力してなかなかの「アクロバット」もこな
せたので、とにかく演奏している時間は楽しかったですし不思議と緊張感も
少なかったような気がします。リズムは早いですが思ったよりも演奏しやす
い曲のようで、エネルギッシュな部分も出せている手応えがあります。



やはり二人とも文学が好きで小説を書いている経験があるからなのか「言葉」
である程度明確にイメージを伝え合えるのが作品作りにも十分に活かされてい
て曲の詩の微妙な雰囲気とか、印象とかをかなりのレベルで共有している気が
します。



雑談しながら少し軽い感じで「絵でも描ければなぁ」と言い合っていましたが
、本当に『イメージ』を伝える最善を追求するならばやはりそこが「ないもの
ねだり」的に欲しくなるところで、もちろん完成形で動画を付けることを念頭
に置いているのですが、限られた時間で作業を効率的に進める為にという理由
でも何か方法はないかと考えてしまいます。



創作においてイメージを残したり伝えたりするという部分にかなりのウェイト
が占められているこの頃です。場合によってはイメージの具体性がそのままエ
ネルギーを反映しているようでもあり、音楽的に深みを持たせられるかという
事に取り組むのが自然になっています。二人で作業していて心強いのは、その
辺りを上手く膨らませられるという事でしょうか。すっとその曲の世界に入っ
てゆけるようなクオリティーがあれば、色々頼もしいでしょうね。



とにかく来月までこの熱は保っておこうと思います。

明日

明日Kくんと『ダケスタリスク』としての活動を進める予定。新曲『春の嵐』
のアレンジなどをしながら、とりあえず形にはしておきたい。Kくんの体調
のことで必ずしも順調とはいかないようなのだが、たぶんここ一ヶ月ほど書
き続けていて直感していた「難しさ」というのは、そういう事を含めて順調
に進められる展開に持ってゆくという事だと思う。


自分の意志でどうにかなるものと、どうにもならないものの境界はどこかに
あって、とりあえず自分の意志でどうにかなると思ったことについては最善
を尽くした感覚がある。そもそも友人の体調まで理想的な状態にもってゆく
力が自分にあるほうが奇妙なことだし、それどころか自分の体調を整えてお
く事にもそこそこ気を付けておかなければならないし、どこからかは『運』
としか言いようがない何かが必要になってくる。



もちろん、今回だけではなくもっとじっくり取り組めば以前語ったように「
時間の問題」でいつかは叶う公算が高い事もある。今回も完成は難しいけれ
ど今できる最善で「形にしておきたい」という気持ちがあるのも、要するに
それが伏線であって、布石であって、本当の意味で「時間の問題」という流
れに持ってゆきたいからでもある。曲として録音をしておくと時間がある時
に聴いてイメージトレーニングになっているという事は間違いないと思われ
る。自宅でギターを弾くのは難しい環境にあるKくんにとっても二人で合わせ
た音源があれば、理想に近付けるためのツールになり得るという確信めいた
ものがある。



どうあっても間接的でも活動がし易くなるように「外堀から埋めてゆく」よ
うな地道な工夫をしてゆくしかないような毎日である。自分の仕事もぬかり
なくやっておかないと結果的に実現が遠のくし、モチベーションも高めてお
きたい。求める条件、状態が決まってしまうとそこに向けてあまり「迷い」
がない。理論…或いは思い描いた通りに動ければ、『れば』の話だが、達成
できる事があると光が見えていることがある。



『見えている』状態のままでいられたらそれこそ不安などないのだけれど、
そうするのは奇跡に近い。ただ、『ちょっと特別な』で続けてきたような
見方のまま過ごせる時間を少しでも長く、そしてその回数を多くしてゆく
工夫はあるという直感がある。そもそもその努力の延長が『ダケスタリス
ク』であり、これまで二人で仕上げた作品なのだと言っても過言ではない




『夜の道』と『今を』の存在は自分達を(要所要所で)ある方向に導いてい
ると思う。立ち止まりそうになった時、挫けそうになった時、何かを忘れそ
うな時、そういった様々な場面でお互いに曲を思い出し、取り戻させてくれ
ている。曲を「創造」している面もあるけれど、曲をある意味の手段にして
道を切り開いてゆく方法も創造してゆこうと思っている。ひいては、それが
自分達が望むような未来に動かしてゆく力になるならば、作品のために出来
るだけのことをしたいと願うのも結構自然な発想なのだ。




とにかく明日。やるべきことはやっておく。

今週の競馬

今週は京都記念がある週ですね。レイデオロの走りに注目するとして、とにかく
いいレースが見たいですね。3日間開催の今週は日曜日の東京では共同通信杯が
あります。グレイルが強いとの評判ですが、ここはマイナー枠でオウケンムーン
を取り上げます。


・オウケンムーンは父オウケンブルースリ、母父エリシオ。ノーザンダンサーの
奇跡の血量というなかなか興味深いインブリードがありますが、とにかくトニー
ビン、ジャンポケ、オウケンブルースリと続いてきた血で勝ち上がってきている
わけですから何か奥深いところが感じられます。府中の舞台が合いそうだと思う
のも自然で、サンデーの血が全く入っていないのもまさにロマンだなと思います。




京都記念については予想を。地味にモズカッチャンが好走しそうな気がします。
本命レイデオロ、対抗モズカッチャンという事で。



デイリー杯クイーンCは良血枠でオハナ。


・オハナは父ディープ、母ハウオリ。先日亡くなったノースフライトの孫にあたり
ますが母父がキンカメで金子さん所有という事で、やりたい放題の感がありますが
能力的にはまだ判断に迷うところ。アウトブリード配合なのが少し物足りなさがあ
るのでしょうか走って当然という血統ですが、姉のハナレイムーンも重賞では少し
力が足りないという印象でした。もしかすると奥手なのかも。




さてオープン戦の注目馬ですが、日曜東京のバレンタインSのスピーディクールです
ね。


・スピーディクールは父サウスヴィグラス、母父フジキセキ。アウトブリードで、ダ
ートの短距離レースならこれからも勝ち鞍を増やして行ける馬だと思います。地味で
はありますがサウスヴィグラスは種牡馬としては非常に優秀で重賞を勝てるとかそう
いう次元ではなくて、とにかくダート短距離ならば『走る』という共通認識が出来て
いると思います。

明かり

難しいと思えている事だが、それなりに粘れば何とかなりそうだなという感覚に
はなってきている。『見通し』に近い具体的なイメージで、これからすべきこと
が段々と『手順』のような具合に見えてきていて、そこに向けて動くべき時に動
けているような手応えのようなものもある。



ずっと前から「確かなもの(こと)」があったらなと望んでいたけれど、理論で
確かめられるレベルを求めるというのはそれ自体困難で、自分で作ってゆくもの
も常に『蓋然的』なものに留まらざるを得ない。その辺りの困難で『活動』とし
て目指してゆく事も何かの補強がほとんどの場合に必要で、それが小説だったり
、音楽だったり、絵だったりする。



自分が直観している「何か」を言い表すのは難しい。それをどう表現するか、

熱さと気まぐれ

『出来るかぎり』。それを「最善」と捉えるのなら描いた通りにするのは
難しくても、そこを一つの到達点として肯定してゆくのは正しいと思う。
そもそも正解のない道で、これまでも何らかの意味で「ギリギリ」の状況
で出してきたものがある。自分の作品のその時々の精一杯をそれとして認
めつつその作品に込めたものを感じ取りながら、その後に何かを加えてゆ
くという事が自分にとっては…そしておそらく友人達にとっても前進であ
って、自分としては少なくともそこに込めた「魂」を感じ取れるようなテ
ンションでありたいと思う。



技術的なものとテクノロジー、そして諸事情の関係で、その時々の「最善」
はやはり過去のものと純粋には比較できない。全てが上手く行っている時
の作品とか文章とかと、何もかもが上手く行かない時のそれはテンションか
らして違う。それでも「前」を向こうとする気持ちは変わらないのだとした
ら、「今」出来ることを続けることが結構凄い事なんじゃないかと思えてく
る。



他者との相対的な評価で価値が決まってくるところがある物事(例えば仕
事)とは違っていて、あくまで『自分』というものをしっかり把握しなが
らその上で内容になってくる事が比較されることは稀な個性の中で評価さ
れるように感じる創作活動というのは自分にとっては非常にポジティブな
もので、場合によっては出来るかぎりのことをやっているという事を伝え
られるのかも知れない。



常にその時々の自分を「肯定」することは難しい。それは自己評価が低い
というよりも、自分にはまだ出来ることがあるという意味で、それを出し
切らないと自分自身が後悔するからだろうと思う。それが証拠に、自分が
過去ギリギリで出し尽くした何かは、自分にとっては「最善だった」と自
信をもって言えるし、「よくやれたなぁ!」と感慨深く浸っていることも
ある。



ただそれと『今の自分』を即肯定する事にはなってゆかない。今の自分だか
ら出来ることをしないと、何より「道」になってゆかない。「そこでそう進
む必然」を後からでも感じられるような、未来の自分を納得させられるよう
なそんな痕を残してゆかないと自分は揺らいでしまうだろうと疑っている。



作品は純粋には「過去」ではない。「過去」に作られはしたけれど、将来、
未来に向けて何かを放ってゆくものだとすれば、今でこそ意味を持ち始め
るものもある。そしてそれを意識するからこそ、今に込めているものは結
構大きく『ちょっと特別』な日々を或いはは時間を、「稀な連続」を実現
する為に必要なことを続けている確信、信念のような何かがある。




絶えずその気持ちで居続けるのはやはり難しい。それでもそう言いつつ、作
品として残している何かが本当にちょっぴり残してゆく後味に、気まぐれを
起こし続ける日々は続くのだろうと思う。

きっちり

自分の別に何の問題もないささいなうっかりが結構「意外」に感じた。
それこそ「何でそういう風にやったのか」よくよく考えてみると自分
でも分からないところがあって、ちょっとしっかりしなきゃなと気を
取り直してみるとぼんやりしていた事が少しクリアーになって、具体
的に何がとは言えないけれど捉え方が変ったような感じ。



予測とか期待についての「甘さ」と「厳しさ」については丁度いい判
断がどこなのか考えてゆくとかなり微妙で難しいけれど、きっちり考
えていった場合にかえって安心することもあるのかも知れない。


その辺りの事が興味深いと思いながら、一つの例が浮かんできた。



例えば『理詰めで考え、精密に処理して判断される結果』が常にそうい
う風には考えることが出来ない人にとってはどうも信じがたい、と思わ
れるという事が普通にあり得るのではないだろうか。物理学の理論なん
て特にそうで厳密に計算をしてゆく中である事実が分かっているとして
も、計算が難し過ぎて確かめられる人が少ないような事は多いと思われ
る。確かめたのではなく、『そういう事実が確認された』という研究結
果を知って『信頼』によって、そうだろうなと判断している事が多い
のかも知れない。



何もかもきっちり考えてゆく事は難しい。それでもきっちり考えていっ
た結論はたとえ常には信用できなくても、どこかでその正しさを実感す
るのだろうなと思う。



目標に向かってきっちり計画している事の必要性を再確認するような気
がする。

近づいてきて

朝、仕事場の様子を「ちょっと意外」に感じた。それは何気ない事だけれど実は
そこには洞察もあったりで、やはり「意外」という知覚、認識は物事を進めてゆ
くうえで、成長してゆく上で大事な要素だなと思う。


それはそれとして、この時の意外さの「ちょっと」という様相は、つまり「ちょ
っと」という自分の判断はそれ自体、自分にとっても新鮮だった。はっきりと「
意外」と思うときと、「ちょっと意外」と思うときの違いは何だろうか。自然に
分析し始めていた。



期待とか予想、想像があって「意外」という判断が成り立つ。その時にある一つ
の事が起こるか起こらないかについて事前に判断を下していて、しかもそれに自
信がある場合には、紛れもなくその人にとっては「意外」な事だろう。それをち
ょっと拡張して、物事が起こる可能性の『範囲』という期待も自然にしているな
と気付いた。


自分の中で「可能性」という言葉で『幾つかのパターン』が考えられるという場
合と、何かが「ある範囲」に収まると判断されるという違うバージョンの「可能
性」が意味されている場合があると考えられた。




『許容範囲』という言葉もあるが、収まってゆくだろうなと思っているその着地点
が、どのあたりになるのかは『一点』で予想しているというよりも、「この辺かな」
と大雑把に、言い方を変えれば何らかの「範囲」を予想の中に含んでいる。



範囲が広ければもうほとんどどんな可能性も起こりうると判断しているけれど、限り
なく狭くなってゆくと、ある事については可能性は限定されていると判断しているだ
ろう。


ここで「ちょっと意外」という感覚の正体がはっきりする。大まかな予想の範囲に
は収まっている…つまり想定しているから意外とは違うけれど、経験で培ってきた
事によってもう少し具体的に「こうなるだろう」と思っている判断については範囲
を超えている出来事が実際に起こっているという事だ。



多分、「ちょっと意外」という感覚自体だんだんと慣れてきた事の証なのだろうと思
う。ただ、この考え方が何かに生かせないものかと思って今日少し考えてみたことが
ある。




今のところ「変身」ともいえるようなよいパフォーマンスが出来るような状態になれ
るような「条件」を考えていたりして「条件」という言葉にこだわっているのだが、
「条件」についても今求めている事についてはその条件の「許容範囲」があるんじゃ
ないかと考え始めた。



数値を使った捉え方で言えば「0から10」までの連続的な直線を考えて、例えば
条件を満たすような範囲は「5から7」の間みたいな把握の仕方である。条件の質
にもよるけれど、シビアな条件はこれが「5から6」までの間とか、逆に緩い条件
なら「3から8」までみたいな話だろうと思う。



そもそも範囲という捉え方自体、数値を使って表現する事と親和性があるのだけれど、
無理に数値で考えなくとも「ここからここまで」というような捉え方で感覚的に判断
していて、それで十分事足りるのかも知れない。



で、Kくんに送ったメッセージの中で、自分たちがやろうとしている次の曲の録音につ
いて具体的に当てはめてゆくと、「条件」としては「身体のコンディション」と「気持
ちのテンション」が上手く揃わないと良いパフォーマンスは難しくなるという事から、
その二つを「条件」として考えてみると良いんじゃないかと感じた。



身体のコンディションについては条件は普段の生活の「普通」の範囲に収まっていれば
特に問題はないし、凄く絶好調という事がそもそも稀なような気がする。そういう意味
では条件は「シビア」ではない。問題というか、考えなくてはならないのは「テンショ
ン」の方である。曲自体がエネルギッシュなので、気持ちが高まらないと思うような仕
上がりにならないんじゃないかという事もあるし、テンションに付随する『集中力』も
意外と制約の中では重要になる。



生活をしていてテンションについて目指すところが「シビア」と思うときがあるのも確か
で、その条件について日々できることがあるならやっておきたい気持ちがある。日々でき
る事ではもちろんギターの練習もそうだけれど、当日に「ある範囲」に持ってゆく方法が
あるものならば(様々なことに気を配りながら)、そこに日々の余力を費やしてゆくのが
最善かなと思う。



じゃあ具体案はというと自分のやれる事では練習も兼ねて『ちょっとした創作』とか『ちょ
っとした作品』を作ってゆく事だろうか。昨日もカーペンターズの曲を録音していたけれど
、それも含めて何か補助になるような作品があるような気がする。もちろん、相変わらずブ
ログをこつこつと続けてゆく事も、何かの助けにはなっているという感覚もある。




あまり油断のし過ぎもいけないものの「その日」が近づいてきて、段々と「ある範囲」に
近づいてゆくのを感じる。『何か決定的な事を』と考えている自分もいるが、もっと色々
見渡せる目も今だからこそ欲しいのかも知れない。

今週の競馬

2月になりました。東京新聞杯ときさらぎ賞はどちらも春の勢力関係
を図る上で参考になるレースです。東京新聞杯についてはグレーター
ロンドン次にダイワキャグニと注目していて、レース自体は接戦にな
るような気がします。ただすでに紹介している馬も多いのでここは割
愛。


きさらぎ賞は良血枠でダノンマジェスティを取り上げるべきでしょうか。


・ダノンマジェスティは父ディープ、母ドバイマジェスティ。皐月賞馬
アルアインの全弟で早くから注目していましたが、暮れに新馬を圧勝し
ています。アウトブリード配合ですがアルアインの活躍を見れば優秀な
繁殖牝馬であるという事は想像できて、ダノンマジェスティーも大きい
ところに行くべき馬のような気がします。あっさり勝てばクラシック候
補ですね。




さてオープン戦は土曜京都のエルフィンSからノーブルカリナンを見てゆ
きましょう。


・ノーブルカリナンは父ディープ、母ノーブルジュエリー。この馬もアウ
トブリードですが、母は〇外で6勝している馬ですね。マイラーの子供な
ので今回のレースは条件的によさそうな気がしますし、鞍上M・デムーロ
というのを考慮すれば本命を打ちたくなりますね。

世界は

自分の思い描いた、もしくは計画した方法で気持ちをキープしている休日。
少し夕焼け空になった冬景色に目を奪われるようにシャッターを切ってみ
ると、美しいなと本当に美しい写真が撮れた。


20180201171720401.jpeg



「条件」が揃うと美しい光景が現れるというのも気象学的には興味深い
事だろうと思うけれど、前にも『一瞬』の素晴らしい景色に立ち会えた
時もそれを美しいとしみじみと感じられる心境だったりして、昨晩の
『スーパーブルーブラッドムーン』も条件が揃うことによる『奇跡』…
というか非常に稀な現象だから、そこに何か趣を感じ取った人も多いだ
ろうと思う。



「ちょっと特別な」というカテゴリーに相応しい話だ。ある意味で皆既
月食は起こる日もきっちり計算されているし、『レア』なものが「いつ
来るか」が分かっているのはとても面白い事だと思う。「稀」な事を求
めている身としては、理論上「確実に起こる」現象を楽しみに待つのも
乙だなと感じ始めた。



何度か参照する自作の小説である『季節に残すもの』
という作品の中でも「奇跡のような事に必然で辿り着きたい」という
節があるけれどそれを実際にやってみているのが今で、ゆらぎというか
不確実な事もあるから『必然』とまでは行かないけれど、色々な理によ
って「理屈では可能だ」と思えることは幾つかある。想定外、予定外の
事態とか、実践レベルでの難しさで絶対とは言い切れないけれど、かな
り頑張ってこれているとは思える。



変な話をすれば、『ずっと自信を保ってゆけない』自分が出てきてしまう
のも予期している部分があって、「その時」でこそ意味を持つ何かも用意
しておかないと実現は出来ないかもしれないなと思って、実際は予めそこ
から準備してきた日もあったと思う。



幾ら折々、さまざま準備しているとは言え、今日の夕焼けの景色までは想
像することはできないし、「その時々で何かを見つけてゆかなければなら
ない」というのは相変わらずである。



一方で「遅かれ早かれ」という感覚で待たれている何かがある。科学の進歩
もそれに似たところがあって不思議な感じもあるけれど、誰かがずっと前に
予測したような未来に現実になり始めているという観も結構ある。



2月になり、K君と集まる休日の話も案外すんなり進んで、もしかすると作ろ
うとしている「春の嵐」という曲の完成も「遅かれ早かれ」の話なのかもし
れない。ただ、その辺りには非常に現実的な事での予測不能な何かもあるか
も知れず、どうしても完成させたい気持ちが強いとどんと構えているまでに
は至らない。むしろ、それ自体無理にならない程度で、出来ることはやって
おきたい。



それでも全然違う感覚で「世界は思うほどバラバラじゃない」というような安
心感を感じるような事もある。多分、自分たちの活動も何かしら後押ししてく
れるような、少なくともお互いがお互いを思いやって続けている事は妨げられ
ない、『望まれている』というそんな捉え方が出来ることがある。



それに尽きるという、そういう話のような気がしている。



そこで「ただ…」と続けたくなる、それが蛇足というものなのだろうか。
プロフィール

二人の管理人

Author:二人の管理人
ブログには珍しく二人の管理人で更新してゆくブログです。

二本松のこと、競馬のこと、これから手探りで何かを
やってゆこうと思っています。




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