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スローペースで、二人で出来る事を模索しながら。二本松、競馬、などなど。

可能な事

「厳しいな」と思うことがある。己を知り、状況を理解するからこそ生じている自己満足とは別の次元で「結果」を求められるという世界で、実際にそこで生きて行こうとし生きて行かなければならないけれど、様々に難しい問題が重なっていかんともし難いというのか、厳しいと感じるところで自分を保って行かねばならない。


可能なことは「粘る事」という特性めいた何かを信じつつ、もはやいい意味で特殊で例外になりかけていると判断した上で進めた方が良いところに来ているかも知れない。とはいえそれは行動になって初めて実感できる事だし、結果が必要だ。



「厳しさ」を否定する事は出来ない。そしてそこに向き合わない限りどうにもならないという事も分かっている。少なくともその「厳しさ」を上手く捉えている言説にリアリティを感じる立場にあるという意味では、これまで以上に何かが分かってゆく可能性もある。それは強がりではなく本当に理屈としてそう思っている。



ただぶっ続けでは出来ないだろうとも思う。安易な方に流れてゆかないようにという心掛けは必要だろうと思う。むしろそれが今の自分にとってより困難な事であるのは確かで、活路もそこから生まれてくるんじゃないかとさえ思っている。それも粘る事の具体例だ。
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その時そこで

タイミングという事を少し考える。「運」とか「確率」とかを考えてゆくと場合によって
は何とかなったかも知れない事とか、何かに見切りをつけたり、ある判断してしまう前に
もしその巡り合わせがあったらどうなっていただろうという事はタイミングが関係してい
るだろう。


「意図」して出来る事のレベルではなく、起り得る事象の連なりで世界がそうなっている
からという理由で、少しモチベーションが下がっていた自分が今こうして書き始めている
事も、もしかしたら「そうするしかない」という事なのかも知れない。少し運命論に近づ
くけれど、そこまで行かなくても更新するにあたっての何かの基準があって、いずれそう
いう基準に達するようになっているのかも知れない。



上手くは言えないものの、「こういう方向に進めるとしたら少し気合を入れてゆくしかな
いな」という感覚はそういう方向にはなんとなく進みにくいのかもなと思う。それは場合
によっては自分の気持ちの問題というよりも、周囲の実態とその周囲に求める事の大きさ
から言ってなかなか難しい事という理由だという事もある。




自分がそこに合わせてゆくにしても、寄り添ってもらうにしても難しさがある。そういう
事が成り立ちにくいのは理なのだろう。タイミングの問題にしても、求める事の大きさか
ら言って上手い具合に進む可能性の低さがそのまま難しさになって、何かをする場合には
こういうタイミングになっているという…それだけなのだろうか。



なんにしても、自分とその周囲を自分の気持ちをキープするように出来る範囲と程度があ
る。その範囲と程度を越える部分については、タイミングを見計らう必要がある。

POG参考用⑤

ダービーが終わればすぐにPOGの季節ですね。以前に予告していたようにPOG用のメモとして紹介してきた良血馬の弟や妹を調べてリストを作ってみます。これは5月分。


・牡マイハートビートは父ゼンノロブロイ、母父Intikhab。ヘイルトゥリーズン、ミスプロのインブリードでサトノラーゼン、サトノクロニクルの半弟に当たります。


・牝ローズベリルは父キンカメ、母父アグネスデジタル。ミスプロの3×4でブラックスピネルの半妹。サンデーレーシングで何となくですが人気が出そうな気がします。


・牡ヤマカツヒーローは父ヘニーヒューズ、母父グラスワンダー。ノーザンダンサーの5×5でヤマカツグレース、ヤマカツエースの半弟。子出しの良さそうな母ですが、ヘニーヒューズなので距離適性は短めなのかなと思ってしまう部分はありますね。


・牡コパノジャッキーは父ゴールドアリュール、母父ティンバーカントリー。アウトブリードでコパノリッキー全弟。ダート血統なのでPOGでは狙い難いですが。



・牡ロビンズソングは父ルーラーシップ、母父サンデー。ノーザンテーストの4×4で目黒記念馬クリプトグラムの半弟。吉田勝己氏がオーナーで、やはりルーラシップ産駒として魅力的なところがあるように感じます。




以上です。

今週の重賞

いよいよ今年のダービーになりました。個人的には2014年のワンアンドオンリ―が勝った
ダービーが特別だったのですが、今年は府中参戦予定でまた特別なダービーになりそうです。
さて、順番的には目黒記念があとですがダービーの予想を後半にもってくることにして、目黒
記念の良血馬紹介を。



・クリプトグラムは去年の覇者で父キンカメ、母父サンデー。ノーザンダンサーの5×5が2本
。母は重賞を勝っているチアズメッセージ。一年ぶりのレースですが、素質の高いところを見せ
ているのであっさり復活などもありえるかも…



そして日本ダービーの予想です。地力的にはアドミラブル、アルアインが強いと思います。ただ
このレースは色んな事が上手くいって初めて勝てるレース。騎手や陣営の意志を感じるところで
はレイデオロのルメール騎手、藤澤厩舎ですね。戸崎騎手と福永騎手は悲願のダービーという事
でチャンスは十分なのでもしかしたら。応援したい馬としてはアドミラブルで、本当に強かった
ら楽しみが広がりそうだなと思っています。馬券的には一番枠を引いたダンビュライトが前走同
様しぶとい走りで連に絡んできそうな気がしますので複勝あたりを押さえておきたいです。


ダークホースとしてはダイワキャグニと北村騎手、スワーヴリチャードと四位騎手。



何と言っても日本ダービー、良いレースを期待したいです。

バランス

ずっと現実志向であったブログですが、創作との関わりで一時的にフィクションに流れてゆくという傾向もあるんだなと思いました。


そういう場合にはバランスですね。フィクションとして良いものに触れつつも現実のありのままでの素晴らしさも実感できるように。

より

ある方針を続けてみるからこそ実感できる事があると思います。世の中というか社会の
システムとか世間で言われているような事についても、最善を尽くしたうえでもどうに
もならないというような理不尽は、論理的にも不能な要求となっている事もあるのでし
ょう。


少なくともその方針で考え続ける事は不能で、根っこにある「こうしなければならない」
という言われ続けている事が、少なくとも文字通りの意味には捉えることが出来ないとい
う事ならば、その「しなければならない」はあくまで比喩とかある条件で通用する文句で
あり、普遍的ではないという事なのでしょう。



「人間の意志でどうにかできる事ではない」というのならば、それもある限度を指し示し
ていて、一つの学び、知です。『囚われなく』という事なのだと思いますが、より自然に
考えることが出来ると、可能で妥当な社会のシステム…あとは「こういうもんだ」という
心構えからより無理のないカタチに行動できるようになるという事ですね。

フレミングに宛てて⑪

例のゲームをインストールしてから数日が過ぎると作業に行き詰った時には近くを散歩するのが習慣になってきたように感じます。用事がないとついつい長時間没頭してしまう僕ですが、少し涼んできた夕方頃に道を歩いているとふっと頭の中にそれまで考えても居なかったメロディーが浮かぶような事があって、鼻歌ですが忘れないうちにスマホで録音したりという経験もあって、もしかするとそういう創作の方法もあるんじゃないかと今さらのながら気付いていました。ネットで調べてみても似たような経験をしている人は多いらしく、スマホの録音機能は非常に重宝しているとの事。



その日の夕方も家まであともう少しというところで咄嗟に浮かんだメロディーを忘れないようスマホに吹き込みながら玄関まで辿り着くと、丁度その時間に仕事から帰宅していた母に変な目で見られてしまいました。


「最近あんたよく外出してるね」


「散歩を始めたんだよ。この時間の方が涼しいから」


「ちょっと日焼けしたんじゃない?」


というようなやり取りを少しして苦笑いしながら自室に行こうとすると母が最後に、


「お父さん明日帰ってくるけど、私とお父さん明日出掛けるから留守番よろしくね」


と言いました。単身赴任で月末だけ家に帰ってくる父ですが、その分なるべく帰って来た時には母と出掛けるようにしています。大抵は県内を車で移動して美味しいものを食べてくるという位なのですが、「ポケ〇ン」の事があると微妙に自分もついて行きたいなと思ったり。ただ、今は先ほど浮かんだメロディーを早く入力したかったので、部屋に入るなりPCをスリープから復帰させます。



その作業が一段落したところで念のためPCのメールをチェックすると『From 虹野スミレ』という送信者からのメールが一通届いている事が分かりました。これは小林さんのネットでのハンドルネームですが内容は、


『どうも小林です。翔さん(って呼ばせてもらうね)から送られてきた曲聴いてみました。こういうジャンルの音楽は私素人なんだけど、でもなんか聴いてて気持ち良かった。優しい感じがしたっていう言い方が正しいのかな。次の曲が出来たらまた送って欲しいな』


というものでした。メールの文面で見ると少し雰囲気が違うのが興味深いなと思いました。「優しい感じがした」という感想については、そういう風に具体的な言葉で言われたのも初めてだったので、正直なるほどなという感じです。メールが届いてからそれほど時間が立っていないようだったのですぐに返信を考えます。普段から丁寧語口調の僕ですが、小林さんは名前で呼んでくれていますしあまり余所余所しくならないように敢えてこちらも「春香さん」と書く事にしました。



メールを送信したところで夕飯の時間になったようなのでリビングに行きますと母に、


「なんか良い事あったの?機嫌良さそうね」


と訊ねられました。<そんなに態度に出てたのかな>と思うのと嬉しいのは確かだよなと思う気持ちで、


「うん。まあ良い事あったよ」


と返事しておきました。ただ小林さんとの一連の出来事を説明するには出会いのきっかけとなった菅野くんとの出会いも説明しなければならないし説明したらしたで色々面倒な事になりそうだなと思い、問題がある程度整理されるまでは曖昧にぼかしておくことにしました。



夕食の間父の代わりにというか母の仕事上の愚痴をちょっと聞いたりしつつ、当たり障りのない世間話をしていると母がふと何かを思いだしたかのように、


「そういえば…」


と切り出しました。


「お母さんの仕事場で一緒に仕事している人なんだけど、その人の息子さん、あんたと同じくらいの歳らしいんだけど、家出したとかで大変だそうよ」


『家出』という言葉で僕は一瞬絶句しかけました。もしかしてと思いつつも、


「何処の人?」


と冷静を装って訊ねてみると、


「息子さんは三中出身だって言ってたから、知らないと思うんだけど家からそんなに離れてないよ。その人高橋さんっていうの」


という返事。食後、菅野くんに確認してみて分かった事ですが彼の友人の「雅仁くん」も出身もやはり三中らしく、苗字も「高橋」で一致している事からどうやら同一人物である事が分かりました。


『凄い偶然ですね…』



と菅野くんが洩らしてしまうほど思わぬところからの繋がりが出てきたのですが、たとえそうだとしても現状には何も変化がないのがもどかしいなと思いました。ただ、同い年で三中出身者だという事なら僕の高校時代の知り合いにも連絡が取れる人が二人ほど居ますし、その人に「雅仁くん」の事について訊いてみるのも良いのかもなと思いました。

作品を通じて

探す事も作る事と同じくらい気力を必要とする行為である。自分で作った作品に対する愛着があったり評価される事があるから自作というのはやり易い部分があるけれど、他の人の作品でそれと同じくらいの感動があるものを探すなら、もしかしたら同じくらいの労力が必要かも知れないと感じる。 その労力さえも労力に感じさせないような素晴らしい作品に出会えるならそれは幸運だろう。いい作品ができる事と同じくらいの「稀さ」もあるんじゃないだろうか(好みに合致していたりという条件を付ければ尚更)。 自分の中にその稀な情報が体験のように加わってゆく。そんな事を感じた。

アルバムを聴きながら

今朝の地元の新聞には福島県のお酒が『新酒鑑評会』で5年連続金賞受賞数が日本一になった
というニュースと、それを知った喜びの声などが載っている。関係者だけでなく、福島県の人
にとっても明るい話題となっていて、二本松も「奥の松」、「人気一」が金賞を受賞していて
なんだか誇らしい気持ちにもなる。


そして個人的に嬉しい事で、イエモンのベストアルバムをフラゲして早速聴いてみて凄く良い
感じだったのでまた頑張れそうだなと思ったところである。管理人Oくんこと浅見ヨシヒロく
んもKくんも大分多忙そうで、自分だけハイテンションでもどうにもならないという事を改め
て実感していて、そう言いつつも何か自分が出来る事があるんじゃないかと粘ってみている。



さてベストアルバムの中では「太陽が燃えている」が特に楽しそうで心地よかったのだが、
今日の太陽も本当にギラギラ燃えていて、まるで真夏のような一日である。照りつけた太陽
の下を歩いていると、草木も青々としていて生気が漲っていてこちらもエネルギッシュにな
ってもおかしくないなと思う。

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変な話世の中というのは「作品」が完成する度に、何か一段落でそこで世界に何かが刻まれて
ゆく過程の繰り返しのようにも思えてくる。浅見くんとブログを立ち上げた当初に望んだこと
は「生きた跡、証を刻みたい」という事だったと思うけれど、「跡」がただ「跡」として残る
だけじゃなく、そこに何か希望のようなものが感じ取れるようになっているなら「作品」のよ
うにも見えてくるのかも知れない。


もちろん、自分たちがやって来た事の「成果」が感じ取れるようになって欲しいという気持も
ある。ただ一つ強がりを言うのなら「容易に成果になるような事」なら喜びもそれほど大きく
ないという事だろうか。

今週の重賞

木曜日になりました。すっかり恒例となった(?)良血馬紹介ですが、昨日ツイッターで
某少年誌で競馬、というか騎手の漫画が連載されていて一巻が出ているという事実を知っ
てちょっと吃驚しました。これだけ競馬の話題を拾っているつもりなのに見逃している事
があるのか…(驚愕)という感じで、今後のストーリーの展開次第では集めてみたくなる
漫画なのかも知れません。それはさておき、今週の重賞は土曜日に平安S、日曜日に待ち
に待ったオークスですね。土曜日のレースから見てゆくと、コパノチャーリーが該当馬。


・コパノチャーリーは父アグネスデジタル、母父ティンバーカントリー。ミスプロの3×4
でコパノリッキーの半弟。競馬中継などを観ていると良く耳にしていた名前の馬ですが、
いよいよ重賞に挑戦。今回も逃げると思われますが、人気薄だと一発もあるんじゃないで
しょうか。


オークスからは2頭。


・ヤマカツグレースは父ハービンジャー、母父グラスワンダー。インブリードが3本。
前のレースでは気づきませんでしたが、ヤマカツエースの半妹なんですね。良血とは
なかなか良い難い部分はありますが、既に実績馬が出ている母だと地力は高いように
感じます。


・モーヴサファイアは父ハービンジャー、母父アグネスデジタル。Danzigのインブリード。
この馬もハービンジャー産駒で兄弟に活躍馬がいるタイプで、半兄がブラックスピネル。




ちょっと予想をするとオークスで勝って欲しいのは田辺騎手のハローユニコーンと横山騎手
のヤマカツグレース。ただ現実的には入着でも十分という気がします。ハービンジャー産駒
もこの舞台だと去年も好走した馬が居ますし、モズカッチャンも含めて注目したいなと思い
ますが、やはり例年通りディープインパクトとハーツクライ産駒が有力ですね。自分にして
は大胆な判断ですがレーヌミノルはやはり距離が不安なので、むしろリスグラシューとディ
ープ産駒で決着するのではないかと予想しています。

中間的な

精神面で漠然と目指しているところに(現時点で)近いんだろうなと思う。ある程度「厳しい」
という事を認識したうえで、それでも前向きに対処してゆけている。結果はともかく、どういう
状況にあってもこういう気持ちで続けていけば、今感じている「これから」待っているであろう
事についてもイケるんじゃないかと思えてくる。


厳しい条件にある場合に必要な心構えとか要素は、順調な時に欲するものとは少し違う。ブラック
コーヒーのように目覚めに必要な『苦み』なのか、リラックスに必要な『ミルク』なのか的な発想
がそのまま「読むもの」についてもアナロジーとして当てはまる気もする。



そもそもこのブログの活動は「身近なもの」と「社会的、一般的なもの」の間にある微妙な領域に
あると思う。そして実のところその辺りが意識としては薄いような気もする。その必要性もはっき
りとは断言できないのかも知れないけれど、そこそこアクセスがあるとまだこの路線で行くべきな
んだろうなと思ったりする。

フレミングに宛てて⑩

コンビニの朝のシフトはなかなかハードな時間でもあります。コードをスキャンして検品、陳列をしながら次々にレジに並ぶお客さんを待たせないようにさっと持ち場に戻って会計をしているだけでも時々<ちょっとした『修羅場』なんじゃないか>と思う事があって、こういう時ほどベテランの落ち着きを見倣いたいなと感じます。既に見知った人になってしまっている常連さんとか、逆に地元の人ではない雰囲気の人とか、ここに居るだけでも今日もしっかり世界は動いているなという印象を抱いたり。決してこの仕事だけで将来生きてゆくつもりはないものの、ここで感じられる事も活きてくる時が来るのかな、と前向きに考えながら仕事を続けます。



正午でベテランの加藤さんに引き継いでレジの裏で「お疲れさまでした」と声を掛けながら出て行こうとすると、


「ああ、鈴木さん。ちょっと待って、これあげる」


と何かを手渡しされました。それはどうやらコンビニの新商品の試供品らしく、バイトの人に漏れなく渡す事になっているようになっているようです。今回は『菓子パン』のようですが、あまり食べた事のない種類ですが、まあ今日食べてみるのもいいかなと思いました。加藤さんが「これあげる」と言った時の表情もまあ独特で、いかにも「なんかねぇ~」という微妙さが滲んでいました。『菓子パン』も好きな人は好きですが、嫌いな人は食べないですし。



帰宅して適当に家にあったものとそのパンを食べながら、ぼちぼち作業を始めようかなという頃、スマホがゆるやかに振動しました。メールだなと思って確認してみると、


『そうですね。確かに「フリースタイルっていうのが流行で」って雅仁に教えてもらった記憶があります。場合によったら『聖地』まで行ってみて、直接色んな人に尋ねて回るのも早いかもしれないですね』


という文面。<ああ、そういえば昨日そういう事をメールしたな>と思い出し、送り主である菅野くんに何か返事してみようと考えた時、ふと僕は思いました。


「こういう場合って、もしそこに行くとしたら着いて行った方がいいんだろうか?」


『聖地』まで行くとなると旅費なども馬鹿にならないですし、時間の都合を付けなければならなくなります。そもそも論だとひょんなことから人探しを手伝っているに過ぎない状況なので、自分の出来る範囲で手伝っていればもうそれだけで十分なのですが、菅野くんに会った時の始めの印象から抱いている「危さ」はどうも放っておくことは出来ない類で、まあそれを言ったら自分もしっかりしている方の人間ではないですけど、なるべく穏便に解決すればいいなと思っているのは確かです。僕はそこで一応菅野くんにこう確かめてみました。


『僕もそこに行った方がいいんでしょうか?』


ダイレクトに訊きすぎたかなと思う間もなく返信が来て、


『俺もさすがにそこまではお願いできないです。ただ、鈴木さんに出来ることでお願いがあります』


とありました。僕にできる事って何だろうなと思っていると続けて、


『俺がそっち行っている間とか、もしかしたら雅仁こっちに戻ってきたりする場合もあるんで、小林さんにもお願いしたんですけど、それらしき人をもしこっちで見掛けたらすぐ連絡くれませんか?』


というメッセージが届きました。なるほどそういう可能性もあります。入れ違いを憂慮している菅野くんですが、ただ僕の漠然とした感覚だとそういう事が起り得る可能性は低いなと思うのです。それでも念には念を入れていた方がこの場合は良いのかも知れません。


『分かりました。小林さんには既に連絡してるんですか?』


『いえ、まだです』


『じゃあ僕から連絡しておきます。実は昨日偶然会って、連絡先教えてもらってたんですよ』


『そうでしたか。じゃあよろしくお願いします』



その後こんなやり取りがあって、意図せず小林さんに連絡する用事が出来てしまいました。まあこの機会に昨日の夜に考えていた事とか、ついでに音楽ファイルを送ったりしてみるのもいいのかなと思い、文面を考えます。送るファイルとかを結構悩んでしまって、そこそこ時間が掛かってしまったもののメールを送信した頃には<なんか、ちょっと気晴らしがしたいな>という気分になっていました。公開から僅か数日で社会現象となっていると専らの噂のあのスマホゲームを起動しながら外に出てみます。



前日に小林さんと地元の知らない場所を歩いてみた経験がなんだか新鮮だったのもあり、僕もこの機会に自分もまだあんまり歩いたことのない道を歩いてみるのも刺激になるのかなと思いはじめていました。さっき小林さんへのメールにも書いたことですが、『自分が表現したい事』ももしかしたら日々の生活を意識して見たり感じたりする事から出てくるのかも知れないなと最終的に僕は思いました。ゲームに気を取られてしまうものの、相変わらず人の少ない道でいつもは意識しないこの町にある「何か」を感じ取れるような気もします。



勿論、音楽は僕にとって『格好良いもの』で、どちらかというと僕もまだ会った事のない「雅仁くん」が恐らくはそう感じたように文化の中心に自分も行ってみて、何かを感じてくれば音楽にも表れてくるのかなとも思うところがあります。というか…即物的にですが、作曲、編曲に必要な器材とかソフトとかも都会の方がすぐ手に入れられそうですし。


<まあそれでも情熱さえあれば、どこでもできる事なのかも知れないな…>


なんて思いながら青々とした空の下、遠目に陽炎が見えるような気がするアスファルトの上をちょっと不思議な気持ちで歩いていました。

少し広がりそして

探してゆく事の労力と辿り着けやすさが形づくる「ここまで」という範囲がちょっとしたアプリでも越えられてゆくのだなと実感。

「ここまで」探してなかったら「仕方ない」という感覚は経験に左右される。それも現実世界での経験から来ていて、物事がどんな具合に散らばっていて、自分が欲するものにどの位到達しやすいかの感覚だと思う。


わりとあらゆる事に関わっている感覚だが、ブログで書く場合にも、「読者となりうる人」がこの記事にどのようにたどり着くかという想像と「書く内容」の関係から「ここまで」という地点は存在するように感じる。


私の活動に共通しているのは、「ここまで」という感覚をどういう風に越えてゆくかだなと思う事がある。ツイッターにしても読書にしても、新しい分野だとか、追っているもののその先がどうしても分からなくなると「ここまで」という感覚に左右されやすい。たとえその向こうに期待を上回るものがあったとしても、そうイメージしてみても、実際はそこまで身体、動かす手が動いてゆかない。


比較的マイナーな需要の創作をしていても、反応の手応えがあったり「良いもの」が見つかって創作欲が刺激されたりという事が関わっているから、知らず知らず「ここまで」というところを越えていけない部分があるし、常識的にその辺りで済ませておいた方がいいよなという判断もある。自分の「ここまで」が他の人にとっての「そこまで」ではないはずだけど、逸脱し過ぎてない魅力というのもある筈で。


それでいて、労作というのはやはり価値を認めたくなる。現代は検索とかランキングとかおすすめ機能のお陰で幾らかは、、、大分辿り着き易くなっているのだろう。スマホにアプリという容易さだから可能な地点も確かにある。侮るなかれ

この辺りまで

言葉になる以前の、とでもいうべきちょっとした気持ちの「揺れ」。


「こうしようか」、「ああしようか」という具合に既に感覚的にしか捉えられない。
それにどういう違いがあるのかも上手く言い表せないのだけれど、そもそもそういう
繊細なレベルの事を表現してゆくかいかないかについて、一方で意味があるのかもな
と思うし、もう一方では大して意味がないんじゃないかと思われてくる。


漠然と、この辺りまでかなと思う。

なんか

活字に限らず日々多種多様な情報を詰め込んでいるし、時には深く染み込んで活力になったりもする。けれどその日は「もういくら見ても頭に残らねーぞ」的な充足感に加わった頭の中が左右から圧迫されているように感じる感覚は何なんだろうなと思う事がある。


個人的にはある程度まとまってアウトプットしてまとめておきたい事がある場合というか、書いて記録しておいて空きを確保するレベルの事象なのではないかと推論しそうになっている。


芸能人、特にお笑いの人でかなり活字が好きという人の例を知ると、それこそ物事の停滞中にやけくそ気味に読んでいれば何か活路が見出せたりするんじゃないかという淡い期待が形成されてゆくような。


死ぬまでに一度は読み通しておきたかった源氏物語を終え、平家物語に移行し、恐らく日本の文化的な到達点のラインをそこに読み取り始めているのだけれど、いつか自分が考えたようにそういった限界地点にあるものに「魂」の表現、行き着いた場所で雄弁に示される「魂」の跡がそのまま自分に感動的に実感され、消極的な意味だけれど文化の中で魂が不滅という言葉もすんなり受け入れられるようになっている(ひどく回りくどい表現になってしまったが)。


神話にしても「神」という不可侵なものとの関係で語られる人間の行為、というかそういう超越的なものを項として考えないとうまく伝わらない凄さがあるのかも知れないし、逆に自然界の中では大した事のない行為を驚異的なものとして捉える為の余計な項を捏造しているのかも知れないし、どちらにせよ、それに意味を持たせて文化的タブーを作って、あるいはタブーになって「限界地点」となっている中で示されている何かを実感する。


素朴な人間性にとって、失ってはいけない捉え方、感じ方があるとするなら、それこそ現代に意味を失いつつ乾いた見方で無機質なものになってしまっているよりは、ギリギリでも人間性からの評価を続けていけるならその方が良いように思える。


そういう風なことを考えてしまうのはだいぶ乾いた見方だけれど、やはり自分も祖先から明示的なだけではない風に受け継いできた何かとの関係の中で自分の在り方を反省的に捉えているような気もするしそれを大事に思う以上、何というか口先だけの事よりも行為と歩みを継続する事で分かってくる「魂」もあるんじゃないかなと思う。



まあそれと活字を読む事がどういう関係なのかで言えば必ずしも自明では無いのだけれど、書いておきたいなと思う事はこうして出てくる。それこそ「情報の繋がりをそこに見る」というのも場合によっては人間的にそう解釈しているのだと思われるし、「語る」という行為も情報を吐き出すだけの事じゃない。



でも何というかそういう話をすっ飛ばして、意図が分かんなくても自分だけそれで良いやと思っていることを続けても別に良いんだと思う。例えば自分の中で重要な意味を持っている何かを巡って、傍目には分からない抗争をし続けたって、それでも完結しているわけだ。



説明するのは何故だろうかと思うこともある。



まあそれがそのまま文化なんだろうなと思う。ストレンジカメレオンという曲の歌詞のように「化石」の一つになっているだけなのかも知れないけど。でもそれもおんなじ事なんだよなとも思う。むしろ自分というものの中に含まれている成分の方が大事なんじゃないかとさえ思えてくる。



なんかはあるわけだ(要するに自分がそう感じた事に従えば、こんな風に書く事も悪くないと思えるとか、そんな感じ)。

微妙で

「頑張るぞ」という気分と「でもなぁ(溜息)」という気分が入り混じったような心境だ。低くも高くもないテンションで、そこからどういう風に動いてゆくのが良いのだろうか、みたいな感じ。


楽しいこともありつつで、うまく言えないのだが。「敢えてそうする」理由を探しているような状態かも知れない。この言い方が微妙だということもわかっているけれど、

地元ニュースを


雨の日。どちらかというと降水量が少なかったので望まれた雨という気もするが、週末に
外出する予定があった人にとってはやや複雑なのかなとも。地元紙で話題を探していると
「あだたらイルミネーション」が今日からという情報を得る。


ここ


遠景として家から見える位置だが「もうそんな時期か」という印象。イルミネーションに
ついては数年前にあったお城山の一夜城のような企画があればなと思う事がある。夜にも
関わらずお城山が人で溢れかえっていて、何だか不思議な感覚だった。


また全国ニュースにもなったエビスサーキットの『ドリフトタクシー』も見逃せない情報
だなと思った。外国人によるいわゆる『インバウンド』の為にも魅力的な企画なのだろう




ここ



また歴史の勉強をしていて気になった「列藩同盟」という文字列。


ここ



観光も段々質が変わってきているのかなとも思う。

今週の重賞

今週の重賞は東京だけですね。GⅠもありますが、大阪杯が加わった事もあり流石に『多いな』
という印象になってきました。土曜の京王杯スプリングCはほとんど紹介した馬になってしま
っていて、該当馬がいないようなので今回はVMだけにしようと思いましたが、そのレースに
ついても同様なので、GⅠのVMの予想をちらっとするだけに留めておこうと思います。


やはり有力どころだとミッキークイーン、レッツゴードンキ、スマートレイアー。穴っぽい
ところでC・ルメール騎乗のアドマイヤリード。応援するとすれば前走福島で勝ったウキヨ
ノカゼでしょうか。この中で実力的に抜けている馬がいるとすればミッキークイーンと見ま
す。



実はダービーを観戦しに行く予定で、今週のレースよりもその日の想像で頭が一杯になっ
ています。

雑文2017511

一見すると無内容に思える気分。一方で確定した事の中で過ごしていて、無暗に余計な情報で
不用意に動いたりしないでいられる。


「シリアス」というか「シビア」に捉えつつ、その中ではっきりと知れる事が価値を持つよう
な時間なのだと思う(ゆるいフィクションの世界には入り込みにくい)。こういう時こそ、は
っきり確かめられる事で足場を固めておけるのではないかと、ちょっと思った。


意識してなくてもSNSの情報が入ってきて、自分が知れる事身の回りの事よりももう少し
広く世界の事に確信をもって踏み込んでゆける状況になって、当然のことながら人々が意識
しなくても無視できない世界情勢の事が、情報の集まりから漂ってくるような気がする。



地元の天気が悪いからこういう気分になるというだけではないのだと思う。お隣の国の事情に
対しての態度の採り方、個人的な繋がりがあって互いに影響し合っている事などを考慮しつつ
、どこかしらに『配慮』の跡があると思われる。こういうのも「語られない」こととか「語れ
ない」ことの存在を予感させる。



「語られない、語れない」というのは現実的に意識的に表現しようとしても、諸事情あって難
しい事なのだと思う。例えば福島県で言うと今朝新聞で読んだ「松川事件」の世界記憶遺産登
録の申請についても、語られない、語れない領域が大きいのは推察されて、しかも妙なリアリ
ティーをもって、「何かがあった」と実感、或いは確信めいたものになるような「既に分って
いる」事実関係も現実にある。



一般人なので言論をそれほど意識はしないけれど「既に分っている事」の重要性は日々痛感し
ていて、粘りつつそこに到達してどっちつかずの立場を何とかしたいという欲求はある。普段
は緩やかに不確定な情報の中でそこそこ自由に想像する事も面白味がある事だが、身の振り方
に関係する事だとそうも言ってられない。



目下気にすべきことは、やはりSNSでの振る舞いについてだろうか。自分にとって価値ある
情報、発言というのはあるのだろうけど、そういうものに至れるようなメディアなのかどうか
も『雰囲気』が変わってくれば当然時々刻々と評価を変えなくてはならないと思う。



何にせよツイッターは既に(少なくとも自分にとっては)社会的影響が大きいツールだ。自分
がどの位責任を持った発言ができるかで関わり方も決まってきて、結果的に月並みな事しか言
えなくても自分の身の丈を実感できるメリットもある。



そういう繰り返しの果てに、どういう環境になってゆくのかというのは興味深い。

キープしつつ

ここしばらくかなり気合を入れて生活していたように思います。意識的にできる事が結構あるなと気付いてからというもの、ブログで書き残しておく内容から部屋に配置しておくメモの力などでかなり「自由意志」を体現していたかもなと思うのです。


「どこまで自分が動きやすい環境にできるか」という問題はさておき、自分の気持ちをキープできるような環境に近付ける努力は存分にすべきだと実感します。微弱な電流のようにピクっとしか反応しない肉体でも意思を伝えるようなイメージで、例えば薄っすらと浮かんでくるものをなんとか具現化するにも、それを外部に出し易い条件にしておくのは有意義です。忙殺されている時とか、面倒だなと感じる時にも「僅かな努力」で動かせる条件にあれば対応できることも見越してです。


脳科学の本を読んだり自分の経験から、自由意志と言っても人間は無意識で既に判断してしまっている部分が多いのだと実感しています。そして「意味」があるものについてしか本気では動けないわけでして、自由意志の始まりは「そうする事」に意味を感じる力だとも思うのです。でもそう感じる部分とそうとばかりも思えない部分も同居していまして、意識的できる迷いや葛藤はなんとかなっても無意識の部分で自由にはならない領域もあります。そうなると「動かせる」領域で動かし続けるのが難しくなった場合には、動かせる領域で無理なく動いてゆく領域を増やしてゆくという工夫が必要だと感じます。


日常的には「自分を盛り立ててゆく工夫」がそれに当たるわけで、その時々の気分で「意味があるように感じられて」やれたりやれなかったりする事を、なるべくそう思える時間を増やすようにまず工夫してゆく、という方針を立てるのはそんなに極端でもないと感じます。というか、その事自体はあまり意識せずにやっている事で、ただそれさえ意識的にやれて、実際にやった場合にはどういう事が起こるか確かめたかったのです。



そうなると最低限、良い状態の「キープ」は可能になります。立ち直り易くなるというか。じゃあ続いての段階は、それを続けてゆく事ですね。キープする事がゴールではなくて、あくまで目指すべきところへの努力に向かい続けられるようにするという。あるいは、どんな状況でもキープし続ける事が出来るなら、それだけでも何かは出来ているのかも知れません。


ただ創作をしていて、シンプルに作品にして表現したいという気持ちはありますね。自分を盛り立てるのとは別に、本当に良いなって思える作品ですね。それを作ろうと思うことも「気持ち」ですが、難しいのは確かです。やっぱりその両者が融合したような作品をイメージしますね。

フレミングに宛てて⑨

「自分が何を表現したいか…それを作品に出来るのか…」


珍しく必死に頭を捻りながら、小林さんと歩いたその日の夜僕は創作に取り組んでいました。創作と一口に言っても色んな種類のものがありますし、規模も様々です。僕のように知り合いとか身内にひっそりと聴いてもらって感想をもらうのが嬉しくて、それ以上のところへ出してゆくにはまだ勇気が足りないというような人から、半ば趣味半ば仕事のレベルで作品をネットで発表している人とか、もっと凄い人はそこからプロの活動に繋がってゆくような人も数は多くはないかもしれませんが確実にいるわけです。作品の形式は違っていても、創作活動を続けていて共通する事はやっぱりあるんだなと僕は素朴に思うのです。



「表現したい事…って難しいよな…」



部屋で一人ぶつぶつと口に出していると母に心配されそうですが、作品を作ってゆく上で大切な事だと思うので何とかして自分の中から見出して行きたいのです。でもどうも「音」の世界でそれを表現できるのかどうかも含めて少し疑問というか、どうしたらいいのか分らない部分があります。僕はまだ自分がイメージする曲を作れるかどうかで言うと、偶然メロディーが浮かんだりするから何となく繋げていって曲にしてみるという感じで、それが自分が最初にイメージしたものと言えるのか、ちょっと分らないと言えばそうかも知れません。


『同じなのかはどうかはわからないけど、技術的な事は練習すれば何とかなるような気がする…かな…まずは『雰囲気』かな…』



何らかの意味で自分より先に進んでいるように見える小林さんから作品を作るコツのようなものをちらっと窺ってみた時の言葉を思い起こしてみます。散歩から戻る時に写真を撮りながらこの無茶振りに答えてくれたのですが、『雰囲気』というのは少しですが音楽でも思い至る事があります。アーティストによっては「空気感」という風に表現したりしますが、意外と旋律ではない部分だと音の質感とかで作品の全体的な雰囲気、空気のようなものが感じられる事があります。それが個性というアーティストもいると思うのですが、いざ自分でそれを出してみようと思うととても難しい気がします。


『何となくだけど、お前の作った曲って感じがするな』


一緒にカラオケに行ったあの友達に幾つか出来あがった曲を聴かせてみた時に言われた言葉です。個性とはまだ言い難いものかもしれませんが、もしかすると「ある傾向」のようなものは自分にはあるのかも知れません。それが何なのか…


「それかな…」



何となく近いような気がします。とりあえず僕はPCに繋いだ楽器のキーボードで適当に音を出していきながら「自分がこうしたいな」という展開に合うような音を拾っていってみます。


<何ていうか、これまでに無かったような曲にしたいよな…>


もし今みたいに常日頃思っている事が「表現したい事」なら、まあ漠然とした答えにはなっているのかも知れませんが『じゃあどんな曲だ』となると、結局自分が発見するしかないような気がします。それこそ技術的な事は幾らでも勉強は出来るんだと思いますが、実際に作品になってゆくかどうかには、何か他の事も必要だなと感じている今日この頃です。



ある程度集中して作品に向き合って、ふと


<人探しの方も続けておかないとな…>


と思います。菅野くんとの会話やメールでやり取りした事をもう一度しっかり思い出してみて、何か手掛かりを探すための「キーワード」のようなものはないか。ツイッターでフォローしてみたラッパーの発言で「フリースタイル」というラップのジャンルと、その『聖地』と言われる場所の知識を得て、


<むしろこういう田舎に住んでいる人なら割と安易にそういうところに惹かれて行ってみたくなるんじゃないかな…>


と自分に当てはめて想像してみたりしたのですが、そもそも僕は菅野くんの友人「高橋くん」の人となりははっきりとは知らないわけで、そういう判断はもしかしたら菅野くんに直接訊ねながら絞り込んでいった方が早いのかもなと思い、そこでこれまで調べてみた事を整理した文面でメールを送ってみました。普段ならすぐ返信が来るのですが、この日は夜も更けていた事もあり連絡はありませんでした。

ある世界が

意志でどうこうするという、それが一時無くなってしまったように感じる事があります。「新しい何か」では自分の意志で動かして行きつつ、自分に近付けてゆくものを選んで行く事で、文化の中にありつつも、ある方向に自分を導いてゆくことを考えましたが、意志でどうこうするということを考えない場合です。


ただそれでも既に選んで整えてきたものによって、ある方向にあるものを選びやすくなっています。労力のない何気ない「自動再生」のリストに集めていた音楽が、確かにどこかに連れて行ってくれるように感じます。


もちろんそれを見越して意識的にやってきた事ですが、こういう環境だと「無理なく行けるところ」というのもなかなか良いものなんじゃないかなと思えてきます。


そこに何かを付け加えるかどうか、そんなところでしょうか。

それをとらえて

ときどき感じる、「もう十分じゃん」っていう感じ。本当はそうでもないのかも知れないにせよ、そのタイミングでどうこうできるという事がないと、何となく気合を入れてゆくのも難しい。


前は向いていて、探し続ける状況が続くんだろうなという時。探せば何かが見つかるとは思っていても、探す時の「期待」と「探す難しさ」のバランスが絶妙に「ここまで」という領域を作っている。そこから動いてゆくのはやはりエネルギー、意志が必要で、見えないものに向かっている感じはある。


それでも自分が向かいたいところがあると、ぼんやりとだが思えている。少し踏み出しつつ、何かを掴めていけたらと。そういう気持ちだろう。

この感じ方で

ゴールデンウィークの最終日。目にするものから微妙に読み取れる「終幕」を惜しむような気配。
自分自身も明日からはまた平常運転という気分で過ごすのだから、その切り替えをどの辺りでし
ようか少し迷っているかも知れない。


気持ち次第というか「感じ方」が違えば伝わってくるものも違ってくる。休日の感じがずっと続
くような世界だと思って物事を見てみれば楽しい雰囲気にも思えるけれど、じきに訪れるであろ
う「月曜」の心境で物事を捉えているとむしろ前日の発言が『浮かれ過ぎている』ように見える
場合だってあるだろう。



心境についていえば一週間の周期というよりも、学生気分、社会人気分、中年になって等、様々
な感じ方を経験するし、どの捉え方が基準かで物事の見え方も違ってくる。『黒歴史』としたい
過去の捉え方もしっかりとその時期を生きた事の証であるならば、そんなにおかしくはないと思
う。


とはいえ「現在の感じ方」がずっと続くようにしか思われないのも確かなのだろうと思う。不調な
時に『一時的』だからと思いこもうとしても、そこからの出口が見つからなければ「ずっとそのま
まだ」…とどんよりしてくるのも仕方ないといえばそうだろう。後で「当たり前過ぎて」意味が無
くなるとしても、もしかしたら冷静に考える余裕がない時などは、その時々で必要な事は違ってく
るだろう。



「現在の感じ方」が続くとしても、それなりに何とかやっていけるように整えてゆく。これまで
続けてきた事はそれに集約されるかもしれない。ネットでフェイクのニュースがあったり、世界
情勢でも駆け引きが見え隠れする情報が時々小出しにされたりして、最低限期待できる事はどう
いう事なのか揺らいだりする事がある。



惑わされず自分の判断で生きていけば良い…とは理想だが実際それを続けようとしても、情報は
知らず知らずに入ってくるものだし、むしろ「自分にとって意味のあるニュースがない」という
状況が続いたりすればそれはそれで社会に関心を持ち続けるのも難しくなるし、生き易いように
と考えてゆくなら、自然と無理なく続けられる「感じ方」というのもあるのだと思う。



そもそも「感じ方」自体、世の中はどういう風に動いていて他の人がどういう風に捉えているのか
という、『疑念と信頼』のバランスの問題だと思う。「良い方向に進んでいる」という感じと、
「ちょっと変な方向に進んでいる」という感じも、結局はそれぞれの人が誠実に前向きに生きよう
としているのかどうかという事についての信頼があるかどうかのような気もするのだ。



何にしても考えすぎていたり疲れる「感じ方」というのは芸術とか創作なら独自の場を持つかも
知れないけれど、それを日頃から続けているならやはり三島由紀夫的な捉え方になってしまうのか
なとも思う。もちろん「理想」を掲げない生き方はそれはそれで「それでいいのか?」という疑念
と隣り合わせだと思うし、何というか現状に不満を抱きつつ過ごしているのも自然と言えば自然
といえるような世の中である。




そうなるとやっぱり、「この感じ方」の中でやれるだけの事はいつもやっておくことにするのが
最善なのかも知れない。

なにか不思議な

迷いの中で続いてゆくものを

その感じ方の先に未来がある

この言葉の向こうに何かがあるなら


言うほど容易くはないのかも知れない

けれどまた何かを見つけて行けるなら


繋がってゆくのだろう

今しばらく

午後から雨が降りそうだったけれど、夜になって少し道路が濡れているような音に聞こえる。カエルの合唱は相変わらずだけど、一日違うだけでもどこか雰囲気が変わる。


春は桜の季節がメインなのだとしたら、この時期の妙に芳しく爽やかな感じが何だか夏っぽく思えてしまって、実際観光地でもアイスが無性に食べたくなる。


自分なりにやれる事を続けていた一日。どこをどう弄ってそう感じたかは判明ではないのだが、確かに気持ちがあって行けるところまでは到達したんだなと感じている。


管理人O君とK君とも少しやり取りをしつつ様子を窺っているけれど、今しばらくは勉強に集中した方が良いのかなと感じる。

なにかのその

行き場を失った時でさえ

まだ何かをそこに見つけられると

鳥が歌うかのような


そこで花を愛でながら


ただそれも行き着くところまで

静かに見守りながら

かわずのね

田舎特有とでも言うのか、夜中に起きて外から聞こえるこの時期の風物詩の音に耳を澄ませる。「カエルの歌が聞こえてくるよ」というメロディーの雰囲気とはちょっと違う、控えめな合唱である。田んぼに水が張っている事の証。


この頃ちょいと旅行に出かけたり、テレビなどでも専ら違う地域の光景が焼き付いたりするせいなのか、地元では「当たり前」でもそうじゃないんだなと意識しながら物事を捉えたりしている時がある。


スローペースを心掛けるにしても、更新の回数などではないところで、そういうゆったりとした何かを感じてもらう方法はあるのかなと漠然と思った。確かにこういう内容をじっくり描写するのも、スローペースの現れとも言えるのかななんてこじ付けてみたり。

気持ち

気持ちがあっても実際にできる作業がなければ成果にもならないですね。そういう気持ちがある時用にコツコツとできる事を予め用意しておくというのも重要ですね。具体的には、気の遠くなるような知識系の勉強とか、身の回りの整理、環境作りとか。


発信する情報にしても具体的な事の方がわかり易いですし、確認できる事として発信した方が何かが動くというか、はっきりとその前後で変わってくるなと思っています。


気持ちがある事の証明が行動で、行動した結果として得たものとか情報はやはり貴重です。用意しておく作業についても、ある程度まとまったものになれば成果が現れてくるのも確かだろうなと思うのです。


各種「辞書読み」は一つ一つの項目が僅かな気力でも辿って行けるので、おすすめです。それ自体でも何かを新たに知って得した気分になるので続けられるのですが、やはり具体的にそれを活かせた時とかは、ある意味その気持ちが辿り着かせたところに来たのだと思うと、一つの成果なわけです。


「ちょっと特別」あるいは「ちょっと稀」な繰り返しも実を言えば小さな意志というか、何か具体的な事として覚えておきたい「何か」の繋がりなのかなとは昔から思っていたのです。小説で言えばいくつもの伏線を張りまくっていて、それが必然的にどこかに向かわせるようになってゆくというような事なんですが、こう長くブログを続けていると「いつかは」と思ってちょっとずつ踏ん張ってきた事がもしかしたらだんだん活かされて来てるようにも見えるというか。


一つには昔拙くも将来の自分に残しておきたかった意志というか気持ちが、しっかり残せていたり蘇ったりする事ですね。「一瞬」だけ意識的にやれた事が、ずっと出来るようになってる。本当にそうですね。当時からそれが一番難しい事だと思っていたので、いかにしてそこに近付けてゆくかとか工夫の連続で、、、


同じようにスロペの方針にしても、伏線を張ってゆくようにその時々で動いてゆくというか、その時出来る事を探して粘ってゆくというのか。気持ちをキープする事が難しいとは思うんですよね。だからこそそれを維持する工夫も含めた作業もありまして、結局どこからがそれに関わっているのかを考えると「本当かよ」と言われそうなくらいかも知れません。


何にしても気持ちですね。

今週の重賞

ゴールデンウィークという事もあるのか前回の更新からあっという間にまたこの時間です。
POGの事も意識し始める頃ですが、良血馬紹介の副産物的にできたリストが意外と面白い
事になっているので今週紹介する馬の分もいずれ。さて京都新聞杯からはサトノクロニクル。


・サトノクロニクルは父ハーツ、母Intikhab(ロベルト系)。ヘイルトゥリーズン、ノーザンダンサー
のインブリードでサトノラーゼンの半弟。既に早い上がりが使えるタイプのハーツクライ産駒ですので
、日本ダービーに間に合えばというところでしょうか。ちなみに弟はゼンノロブロイ産駒でマイハート
ビートという名前だそうです。


日曜日の新潟大賞典からはちょっと例外的にムスカテールを。


・ムスカテールは父マヤノトップガン、母父サンデー。ヘイルトゥリーズンのインブリードですが、
この馬自身はまあベテランですので今回興味があるのは弟とかですね。父がルーラシップに代わっ
て、3代目ヒシマサルが弟ですがのその全弟が現2歳でグロンディオーズというらしいです。




NHKマイルCは予想を。勝ちそうだなと思っているのはカラクレナイ、ミスエルテあたりかなと
思いますが勝って欲しい馬が結構いまして、管理人O君のPOG指名馬のディバインコードとモン
ドキャンノはやはり友人として応援したいですし、エピソードを知っているキョウヘイと何となく
好きなアエロリットです。実力均衡、実力伯仲という気がしますので手広く買うのが良いのかなと
思う一方で、しっかり見極めたい気持ちもあります。
プロフィール

二人の管理人

Author:二人の管理人
ブログには珍しく二人の管理人で更新してゆくブログです。

二本松のこと、競馬のこと、これから手探りで何かを
やってゆこうと思っています。




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