FC2ブログ

スローペースで、二人で出来る事を模索しながら。二本松、競馬、などなど。

夢になる

「君が」と言葉にする そんな気持ちで

また思い描いて見たのだ 途方も無く力の限り

失わなかったことを讃えて

挫けそうになったことも慈しんで


その気になれば晴れやかな日に

近づけた詩境に 偽りはなく

微笑み返すように きっと伝わる何かを


「会いに行こう」 ただ何となく呟くのだろう


それさえも夢になる 始まってゆく
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その中

前は向けている 歩めている

それでいて鮮やかさがもう少し欲しい

薄れ始めている何か もっといえば最新を


本当にこの歩みで良いのだろうか


それでさえ自分を送ってゆかなければ確かめられない


空気が乾いて そして囁かな音が確かなリアリティ


その中に、本当に少しだけ 僕を動かす


それは何と言ったものだろう


夜の体温とでもいえそうな


活きたイメージが


視野を掠めてゆく

繋げてきて

難しいという事が分かっていても、やり甲斐がある事だと思えているそんな時。心地よい音楽に浸りつつ、また地平に向かうような感覚で始めてみる。


浅見くんこと管理人O君のブログの更新も励みになるが、関係者K君の読み応えのある記事の更新も楽しみになっている。中学時代からの仲でも、色んなことがあって当時よりも密度の濃い付き合い方をしていると思う2人だから、いつの間にか自分のことのように感じてくるようになっている。


今日は私自身はカラオケに行って来たのだけど、K君もこちらに帰省していたそう。諸手続きもあって大変な部分はあると思うけれど、新しい環境で頑張って行けるように後押ししたい気持ちになる。


そういう気持ちは確かに何かをする原動力で、自分の喜びの為でもあるけれどそれで何か実際の助けになるのであればそれは素晴らしい事だと思う。直接的には手伝えないけれど、例えば作品を通じてとかこの頃では器用な事も出来るようになってきたのもあって、今もそんな何かが出来ればと思って書いている。


文化だって本来は他の誰かもそれに触れられるという事が始まりの筈である。そう考えると原点は同じなのかも知れない。ただ実際上、作品を通じて何かを達成するという風に想像する事は難しいし、各々がやるべき事と作品は関係ないといえばそうだ。だとしても誠実に書く事に向き合っているからこそ思わぬ事もあっても不思議ではないというか、微妙なニュアンスだが「何か」になっているんじゃないかといつも思っている。


それこそ「難しい」と感じているこの感覚が確かであるが故にそこに向かって何かをしていると思うのも理由なきことではないと感じる。


そういえば近年、個人的な音楽の趣味がかなり広がり始めている。新たなものを受け入れられその良さを感じる事が出来る事も一つの可能性だとも思うのだが、そう「言うは易し」の部分があって本当に見つかった時には思わぬ方向に進むことができて非常に面白い。


特に「稀な」ものであればあるほど、出会うことが難しいなら、奇跡では無いにしても相応の気力や根気や努力で手繰り寄せている感覚になる。自分の作品でも「季節に残すもの」という短編で、稀と分かっていても望むことの悲哀と歓喜を述べているけれど、結局それは日々の「難しいな」と思う事への挑戦なのだと思う。


イエモンの「SO YOUNG」という曲の「ひたすら泳いでたどり着けば」というフレーズにもあるように、ひたすら泳ぐしかないと思うのか、「ひたすら泳げる」と思うのかの関係のようなそんな日々である。


なによりK君ことクマスケくんがこの曲を非常に気に入ってくれたことが「文化的なもの」の可能性だと思う。それこそこの曲が必死に泳いで辿り着いたのかも知れない。なんてことをふと思った。


自分の作品もそういうものになれるだろうか?誰かを通して渡り歩くようなイメージが自分の中に湧いてくる。最近短編で触れた最近よく流れる「ワタリドリ」という曲も、イエモンとの繋がりを知って、まるで連想的に惹かれて行く。繋がりを渡り歩く事はとてもシンプルで、だけど時々とてもしんどくて続けてゆくのは難しいのかなと思ったりする。


でも何処かに繋げてゆきたいのも確かだ。


だがそうしていったとしても、それだけで良いのかと思う部分は当然ある。自分なりというか、この「新しい何か」の中でしかできない事もあるんじゃないかといつも思う。


むしろどう転んでも自分の中から始まっているものがやっぱりその独自性を主張していると言うか、「詩のような新しい何か」というのも実は考えている。というか、詩の中で「新しい何か」を実現して行くのが良いんじゃないかと思うのである。


いや或いは「詩」と「新しい何か」を交互にやってみるとか。

かけらと

今は確かにそんな気分

夜に歌いたくなるような

自分の人生が作品になってしまうと感じるような 少しだけ はみ出した気持ち


どこを向いたとしても どう歩いたとしても多分 雪しかないような道で それなのに一歩一歩に熱がこもっているような歩き方で


踏みならされていないって思うんだろう

まだ探せるって思うんだろう

向かわせる事が出来るんだろう


心が溢れ出してくるような場所 そして瞬間


ありふれた事で そして本当に難しかった事で


確かに今 広がり始める胸の中の かけらと

フィクションになる気持ち

触れているような気がしていて それが気のせいでないことを祈りたくて

どうにも行き当たりばったり だからって何にも考えてないわけじゃなく

ただそれがどうしようもなく本当の 途切れそうな繋がりだから


「チューインガム、なんてことじゃない」


味がなくなっても噛み続けている そんな感触だけではないと でも夢に似た香りだったって


言葉の向かう その向こうに 言ってもフィクションになる気持ちを込める


その幾らかは本当でその幾らかは大袈裟で 何も伝えた事にならなくて


でもそれに意味があるとしたら


もう少し本当を知る事であって


慣れてしまうことは「もっと近くに」って願うことで


今週の重賞

難しくて、場合によってはギリギリ良血というような事もあり得るかも知れません。で根岸Sですが、その典型的なパターンとなりました。説明すると、出走馬の母が基本的には□地とか外国産馬だったりして現役時代に目立った成績がないようなのと、まさにダート的な良血とは何ぞやという事を問いたくなる面子です。辛うじて、ですがベストマッチョが良血で人気になりやすいタイプですね。


・ベストマッチョは〇外で父はMacho Uno、母父はストームキャット。父の日本での活躍馬はダノンレジェンドですが、そもそも出走頭数がこれまでに8頭なのでデータがありません。現役時代にはブリーダーズCジュヴェナイルを制した馬なので実力はあると思います。産駒にもBCクラシックを制しているMucho Macho Manという馬がいるらしいです(ググってみた方が早いと思いますが)。ダノンレジェンドがかなり走るのでおそらくデビューから期待されていた馬だと思います。そして実際に4歳でこのレースに出走するとなればかなり期待できると思います。買いどころなような気はしますね。



さて、シルクロードSもかなり選択が難しいです。もうただ配合を見てブランボヌールにします。


・ブランボヌールは父ディープ、母父サクラバクシンオー。なるほど短距離としては良血サクラバクシンオーだなと思うわけですが、ほぼ同種類のキタサンブラックが長距離に出る事を考えるとやはりディープ産駒のマイル以下の適性を考えさせられます。しかも京都だと強そうだなという印象。



この2レースとも人気になる馬だと思いますが、良血という事でそのまま決まるんじゃないかと思ってしまう辺り良血の信頼感が自分にも根付いている事を実感します。

『地元のヒーロー』

新しい何か自体の「新しい何か」的な発展。そんな難しい事を意識していてもしょうがないけれど、
段々とそう言ってもおかしくはない進展を見せているように思える。


今日はというか、この頃はアメリカのトランプ政権の成立と韓国の話題が頻繁に入ってくるように
なっている。政治的な話をするつもりはなく、そういう情勢において意味がある事も変わってきて
いるという事に注意して生活してみようかなという事だけ。国内の話題も横綱誕生という良い話題
と、理不尽だなと思ってしまう話題と統一した印象がなかなか持てない。報われる事もあれば、理
不尽さが見逃されてしまう事も、やはり共存する世界なのだろう。


そんな中でも挫けずやってゆこうという気持ちは意外と昔から持っていたと思う。そう思いつつ室内
に咲いている花に目が留まる。詩にも表してみたけれど、やっぱり「前」を向いてその前に何かがあ
れば自然とそこに惹きつけられて進める。それがあんまりにも意図的だと馬の頭の前に人参をぶら下
げて走らされているような気持ちになるけれど、ブログのように自由にやっている事だとアクセス数
増加とか「いいね」の獲得とか、分かり易い結果を原動力にするのでも十分なのだろう。自分はそれ
で動いて、結果的によい記事がネットに出てくるならそれで良い。



自分はこういう事を続けて昨日みたいに、何かを引っ張り出して友人と共有できるようにしていたいと
いう気持ちがある。しかし悲しいかな、歳を取るにつれて記憶できることも呼び起こす事が出来る記憶
も徐々に限定されてきてしまう。別に回顧厨になっているのではなく、自分の中から内容として語れる
事が誰でも知っている事になってしまうという虚しさが一方にあるからこその挑戦で、その思い出から
現状を振り返ってみるという事は新しい試みだとも思う。



でそれを始めるにあたっていつも「切り出し」とか「糸口」を探すのだが、そう簡単には見つからない
事に気付く。とりあえず今日は昨日の続きで「ファミコンショップヒーロー」の情景を思い出てゆく
事にしてみようかと思う。


結構後になってからだと思うけれど店内には古本などが置かれるようになったと思う。当時といえば
古本屋自体がそもそも存在していなかったし、本の価値をあまり高く見積もっていなかった自分は、
よっぽどの事がなければそこに向かわなかったかも知れない。でも探してた漫画本が見つかったよう
な…「うる星やつら」の文庫本だったような…そんな記憶が僅かにある。



意図的に「うる星やつら」に話を移してみようと思う。そもそも直撃世代ではない私だが、アニメを
見る機会があり、そこから本も揃えて結構しっかりと内容を観ている。世代的にはらんま1/2と犬
夜叉を語れると思うけれど、らんま1/2については浅見くんともどこかで漫画を読みながら話した
ような記憶があるような…。ただ記憶があやふやなので今はその辺にしておく。



大人になると漫画もよっぽどの事がないと読まなくなる。そのくせ好きなシリーズは全巻揃えていたり
するが、その当時の文化が記録されている作品…具体的には「こち亀」などは資料的価値が出てくるだ
ろうなとも思う。惜しくも完結してしまった作品だが、意外とこの「新しい何か」の手法もそういうの
と似ているかも知れない。


こう思い出してゆくとネット時代になってから、「こち亀」で描かれているような「遊び」の手法も
かなり変わって来たなと実感する。「地元のヒーロー」が姿を消したようにネットでクリックしてし
まえば現物が数日後に輸送されてくると、ああいう店は成り立ちにくいのだろうと思う。浅見くんが
時々ツイッターで強調するが、現物を見ながら意外なものに出会える機会が失われるのがちょっと、
というかかなり残念で、まさしく「掘り出し物」に溢れていたああいう店で自分の知らないものを見
つける喜びが、ああいう店に足を運ばせる原動力であったようにも思える。そして皮肉なことでも
あるが、ネット上の文章…例えばブログのようなものも「掘り出し物」のような情報をもとめて一つ
一つ立ち寄るというような事もなかなかし難いという状況に陥っている。



探せば沢山ある。けれど探す労力と読む労力が今度は惜しくなってしまう。



多分こういうのが自分だけではないから「まとめブログ」に走ってしまうのだろう。別に喧嘩を
売るつもりもないし、自分の生活の一部として有効に?利用させてもらうけれど、そうではない
あり方を探ると必然的にこういう感じの長文になってしまうんだなとも思う。ただ「掘り出し物」
を発見する喜びが遠方の店へ運ばせる事があるように、労力に見合うだけの価値のある記事なら
読んでもらえると素直に思える。



考えてみると「地元のヒーロー」という直球の比喩も言い得て妙だと思う。本当に当時の子供達に
とっては「ヒーロー」だったんじゃないか。稀にある良質なもの…ヒーローっぽい。それを目指す
のはスロペ的に荷が重いけれど、『なんか面白い事をしている地元のおっさん』レベルで語られた
りしないかなと思ったり。

げーむから

わずかな単語でも記憶を手繰り寄せる事が出来る。ちょっとした事から色々なことを思い出して行って、それにただ浸るだけじゃなくそこから何か出来ないかと思ってしまった。


言うほど容易くはない。それでも今日はメレンゲの「僕らについて」という曲が微かにイメージされていていつものように文化と記憶の間を縫っていけそう。自分の記憶だけじゃなくて、他の人の記憶を呼び起こさせるような何かは、ゲームのように同じものを多くの人が体験している土壌が必要だろう。


じゃあ今回は万人向けの事から地元の話題を絡めてみよう。浅見くんのプレイ日記が捗るFF4。「セシル」とか「あんこく」とか初歩的な知識が出てくる。自分の体力を削って相手にダメージという技が結構衝撃的だった印象がある。FFシリーズにある闇というか独特の暗さと、その中で輝く光はわりと受け入れやすい設定で、7辺りの人間臭さが出てくる悪の形なのか、純粋に化け物なのかというところも考えてゆくと完璧に王道のストーリーである事に気付く。


それにしてもボスが不気味だったなと思う。


小学生の頃にFF5のごっこ遊びをしていた記憶がある。なんかピュアだった自分はクリアしてなかったので先にクリアしている友達から「裏面」というありもしない設定のストーリーを延々聞かされて、というか自分からせがんでちょっと異様な世界を素直に想像して、早く裏面に行きたいと思っていた。今思うとその頃はドラクエ5とかでも初期レベルが99になる裏技とかそういうデタラメな噂に踊らされて実際に実行していた友人の兄を見ていたので、「裏技」とか「裏面」というのは我々世代では憧れる要素の筈である。 ちなみにFF4にもバランス崩壊系バグ技があって、浅見くんは多分試さないとは思うけど、そういう要素があると何かの裏側を見た気持ちでドキドキしたものだった。


それがプログラム上のバグで、今パソコンのソフトでバグられたら憂鬱この上ないのだけれど、製品に対するかなりの信頼があった頃だとも思う。


今は無くなってしまった地元のゲームショップ。お祭りの時に安売りしてくれた中古のスーファミソフト店のことを思い出す。「ヒーロー」だったかな。FF5はそこで買った。その店内のアングラ感もなかなかのものだったと記憶している。昔はどの街にも存在したそういうショップも、やはり子供の減少で売り上げが落ちてというのがデフォなのだろう、気付いたら無くなっていた。


無くなってしまうと、記憶の中にしかそこはない。私も頻繁に通い詰めたわけではないので思い出せる内容も少ないけれど、今思うと宝の山なんだろうなと思う。以後、倉庫型のホビー店が結構色んなところに建って、そういう品を購入する事についてはむしろ都合が良くなっているけれど、そのなんていうか、二本松の商店街の中にあったから魅力的なのだよと説明するべきだろうか。


そうして思い出してゆくとゲームに纏わる記憶というのは広範囲である事に気付く。これが懐かしいからだけではない魅力なのだと思う。ゲームを語りつつ当時の記憶を蘇らせ、そしてそこから何かを考えると。


語っているうちに出てくるものである。

そんな言葉を

君にいう何かの言葉

ただ前を向くだけでも ただ前を向いてるだけじゃきっと疲れ果ててしまうから

やっぱり花のような言葉が良い

月のような音楽がいい

風のような心地がいい


まだ遠いそんな季節を待ち望んで

朗らかな光を思い描いて

そっと繰り返す そんな言葉


前を、そして今を奏でる シンフォニー

君と僕のある世界に咲く


そういう筈のものを、「また見にゆく」って微笑んでしまう


そうしているうちに近づいて


そんな言葉を

真摯であり

確かに向き合っている。「スロペ」というところで発信し続けるだけでなくて、発信する内容を作れるように生活するようにさえなっている。

具体的な内容に結実する例がここで書いている短編だとするなら、そこが当面の目標として固定されつつあるのも確かで、ある種の究極性ももっている。実際、作品を公開する以上の事はネットにおいてはないのかも知れないし。


生活していて意識的であると微妙に語れそうな事が見つかる。或いは個々の対象ではなく、生活での連なりのように、「連続している時間」が捉えられるとでも言うのか。直観というのは面白い事に、連続した時間も一瞬のもとに把握している。そういう内容が作品になる毎に日々重なっていって、身近な人に共有されているとするなら、凄く面白い事だなとも思う。


ちょっとした努力は、ちょっとした無理を自分の意志でやるような事だと思っている。ただこの頃では、何か労力を伴うようなものじゃないと書く理由を感じない事も多い。書く事が仕事であるわけでもないけれど、「遊びと本気」のその間でにわかに読み応えのあるものが書けたら嬉しいという純粋な喜びで動けている自分を見出す。


スロペ自体が目的や理念を有していると思う。そこに真摯に向き合おうとする事は、もしかしたら望んでいる未来を手繰り寄せてゆくのかも知れない。そう思うと向き合う事もより真摯なものになってゆく。

かそけき

だからとっても 言いようのない程に求めていて

険しいだけの途ではないから 微かに期待して


真実すぎる言葉に感じれば感じるほど



覆われた冬の白さが 記憶の中の場所へと繋がってゆく


いつかの「僕」に訊ねるかのよう


かすれているように 奥にある 軋んでいるように


一言で 遠のくような そんな何かを掴もうと


まだ続いているのだろうか 途切れ途切れに


君との繋がりと 「僕」との繋がり


今に覆われていても そこに強がれるだけの何かが


尊い 眩いばかりの 色褪せないものが

静かな始まりの

重厚感のある風の音。朝まではもう少しというところで、何かを動かしてみたい気分になっている。

もしこんな風のような勢いだったら確かに何かは動きそうだ。どうせなら滅法面倒臭い事をやってみるのもいい。


どこから気持ちは始まっているのだろう。惹かれた瞬間からだろうか。次第にその固有のリズムで動き始めているのを感じる。新しく始めることの難しさがあって、そこから動き出すというテーマに相応しい曲が心に流れている。その感情に直に触れたような気がしていて、決して大きくは間違っていない。と思う。


じゃあ自分は自分なりにどういう一歩を選ぶのだろう。少し前、そんな事を考えた。むしろその無音で、その自分にとって前である方向を選ぶかのように、、、


空白と言う名の白い壁。どうするにしても制約などない。自分が選ぶと言う理由しか選ぶ理由のない色で何かを描くのだろう。正直に言えば選べと言うのがそもそも無理で、立ち竦んだままただ白い壁の前にいて、選べる時を待つ事が答えのようでもある。


素直に虹といえば良いだろうか。でもそうじゃないとしたら、、、


微かな色が見えてくる。そうオレンジ。ちょっと薄いオレンジ。そうじゃないって、わかってる色から始めてみるのも良い。それでいて違いすぎないって思ってるから、それでいい。ちょっと強気のオレンジ。



そんな朝焼けが今日も見れるだろうか。ちょっと頑張れば見れるもの。静かな始まりの音。

柔らかな光

それはコロコロとした気持ち。ふざけているようで真面目で、それとなく言うようでとっても心を込めて言うという。何故だろう、その時僕は出ない涙にも流れた跡があると思えた。戻らない日々を想う時も、必死に前を向く瞬間も、ただダラッと続く毎日もきっと何かの意味はあるのだと思うのだ。ありきたりで、誰もがそうで、やっぱり難しくて。でもそれだけでもなくて。


「〇〇君、今何だか良い表情してるね」


学生時代の先輩が優しげな眼差しを向けてくれている。当時から趣味で絵を描いている人で、新しい絵が仕上がったからと言って今日は家に呼んでくれた。


「そうですかね?いつもこんな感じですよ」


僕はわざとらしく首を斜めに捻って答える。もしかしたら同性の友人よりも素直な心で向き合える先輩で大学の頃のちょっと苦しかった時期も、社会人になって目標を見失いつつあった時もまるで出来の悪い弟にするように一緒に悩んでくれたり、彼女なりのメッセージを込めた絵を見せてくれて、その度に僕は何かを感じてまた歩き出せていたような気がする。


「うん、確かにそうかもね。でもなんか、すっきりした表情だよ」


多分そうなのだと思う。先輩は敢えて言葉にはしないけれど、あの人が去ってしまってからの僕を見守ってくれていたからこその言葉なのだろう。もっと感慨深く浸る事も出来るけれど、やっぱり今はこの人に向き合いたいなと心から思う。


「そういえば先輩、誰か良い人見つかりましたか?いくら地元の景色が好きだからって言っても、いい加減に人付き合いの幅を広げないと本当に見つかりませんよ」


ちょっとイジワルをするように半分心配するように言うと、


「わたしには猫がいるよ。それに、こう見えてもわたしはモテるんだよ」


と妙に自信をもって答えられた。実際言葉通りな部分があるから本当に不思議な人である。テーブルの上のティーカップを口に持っていって紅茶を少し啜った先輩はどこか遠くを見つめるように、ちょっと悩ましげな表情でこんな風に言う。


「自分が面倒くさい人間だって事は承知しているよ。何よりも作品を仕上げるのが本当に好きでさ、そのくせそれで真剣に勝負してみようなんて気持ちになれないんだ。本当に今のわたしはそれだけ…」


『それだけ…』と云うその言葉にはどこか憂いの響きがあったように思える。でも、何かを納得させるように一度「うん」と頷くとまたこちらをじっと見つめ始めた。


「俺、こうやって先輩にいつも相談に乗ってもらったり勇気づけてもらいますけど、先輩も時々弱気になりますよね。そういう時は頼りない姉を持った気分になります」


「そうね。〇〇君も普段は弟みたいだけど、イジワルする時はまるで…」


その時、言葉の続きを躊躇っているかのようだった先輩。


「まるで…?」


「う~んと、何だろうね。ふふふ」


何となくだけれど誤魔化されたような気もする。


「考えてみれば俺達の関係も何だか変ですよね」


「そう?普通じゃないの?」


「いや、「普通」だって思う事が既にして普通じゃないという…そんな変な関係だと思いますよ」


「別に清い関係だから良いんじゃない?もしその関係に具体的な名前が欲しかったら…」


「欲しかったら?」


「『アーティストとその作品のファン』っていうのは?」


「あ~言われてみればそれもそうですね。結構しっくりくるかも」


思わず頷いてしまった僕。すると先輩は慌てて、


「え…待って!わたし今冗談で言ったんだけど…」


と言った。その表情に思わず笑ってしまう僕。何てことのない先輩とのやり取りだけれどその一つ一つで大切な時間が刻まれてゆくのを感じる。しばらく僕をじっと見ていた先輩が、


「あ…わたし新しい絵のテーマ決まった!」


と突然何かを思いついたらしい。


「え…?どんなのですか?」


「『秘密』」


「えぇ…教えてくれてもいいじゃないですかぁ」


と僕が愚痴ると先輩がかぶりを振って、


「ううん。ちがくて、テーマが『秘密』っていう事をテーマにしようと思って」


一瞬何を言っているのか分らなかったけれど少し考えて理解する。


「あ、え?そういう事ですか。どういうじゃあどういう「秘密」なんですか?」


「それは秘密」


今度は悪戯っぽく笑った先輩。思わず吹き出してしまったけれど、僕はその意図が何となく分かるような気がした。多分先輩は作品でそれを伝えてくれるのではないだろうか。これまでもそうしてくれていたように。僕はそしてそれを楽しみにこれからの日々を過ごしてゆくんだろうなって思う。


「じゃあ楽しみですね」


「そう?」


意外そうな顔のその向こうの窓から射し込んで来る優しげな光の下に猫が佇んでいる。その時感じた僕の気持ちも秘密にしたいような、伝えたいようなそんなものだったかも知れない。冬の季節らしい柔らかな光だった。

シンプルな感情から

シンプルな感情である。ただ喜びを味わいたい。その為に苦しい事も厭わないというなら、それは凄いエネルギーによって成される事だろう。


もう一段階の努力があるとすればそこを自覚した上でという事になる。何となく出来そうである。

今週の重賞

今週はGⅡが2つの週。好きな重賞の一つであるAJCCはダビスタなどでよく出走させていた思い出が
ありますね。出走馬の中でとびりき良血なのはリアファルですね。


・リアファルは父ゼンノロブロイ、母クリソプレーズ。兄弟にはクリソライト、マリアライトなどがいます
が、同馬も良く走ります。ところで私が2年前にPOGで指名したアルマンディンは父ステイゴールドで
全く走りませんでした。良血だからと言って常に走るというわけでもないという具体的な例ですね。



さて東海Sですが母を見てゆきますと良血と呼べそうなのはロワジャルダンくらいでしょうか。


・ロワジャルダンは父キンカメ、母父サンデー。母はアグネスショコラという馬でその母がスキーパラダ
イス。代表産駒はゴールデンチケットと同馬のようで、キングカメハメハとの相性がどうやらいいのか
それとも単純に良血の力技という感じでしょうか。

星の元に

「何で私がそんな事しなきゃいけないのよ」と誰かに言いたくなってくる事がある。誰かが要求してくるよりもわたしの方が要求したい位なのに、結局いつも外れくじを引いてそれが「元の鞘だ」と言わんばかりにいつもこう言いたくなる展開になっている。


いつのまにか『そういう星の元』に産まれた事になっている自分を時々恨めしく思う。肝心な時に頼りない先輩をフォローしても誰も褒めてくれない。もちろん「褒めて」なんて言ってないけど、それがあたり前になって、周囲にもそういう風に進めてゆくっていう暗黙の了解が出来あがってきてるのもなんとなく癪だ。


いつのまにか「仕事が好きな人」になっている。いつの間にか「任せられる存在」になっている。


<でも…でも…!!>


と内心で燻っている気持ちがあるのをいつも感じている。見ないようにする事も出来るけど、見ないでいるのも結構苦しい事もある。自分でも厭なんだけど、身近な人にはついつい愚痴ってしまって前の彼氏はそれが疎ましくなってきたとかそんな理由で…と今では一人振り返ったりしている。友達は「そんな薄情な人だったらどうせ続かなかったよ」と慰めてくれたけど、「じゃあどんな人なら続くの」って時々聞きたくなる。



都合の良い人を探してるんじゃない。でも受け止めてくれる人が居たらいい、ってそう思ってしまう事は間違ってはいないと思う。


「その辺はね、まあ妥協というかお互い様って事だよ」


「達観してるけどさ、そっちの相手はすごい理解あるじゃん。わたしにも優しいし…」


「あいつも外面がいいからねぇ。一緒に居ると気を遣わないけど、わたしもあいつも「面倒くさい」ってところは共通してるからねぇ」



友人の話は何となく分かる。まあこの友人自体がちょっと不真面目っていうか、肩の力が抜けてるから一緒に居て気が楽で自分もいつかそうなれたらいいなって思うけど、やっぱりわたしは自分の中の棘というか角張ったところが取れてないと感じる。



その日は10時を回ったところで近場の飲み屋さんを後にして、電車で帰るつもりだった。外は冷え込んでいて、町の明かりも少なくなってくる時間だと一層寒々として来る。そこから近くのコンビニに寄るつもりだったからそこで友人と別れる。


「まあ、たぶんなんか良い事あるよ。あたしゃ、あんたみたいに頑張ってる子好きだからさ」


「ん。ありがとう」



優しい言葉が身に沁みる。そういう事をすらっと言える辺りが同性から見ても好かれる要因なのは分ってるんだけど、器用にそういう事ができないんだなぁと改めて思う。秋の一時は祭りで賑やかになる商店街の道も、冬場はこう言うのもなんだけど何だかぎりぎり商売が成り立っているような、そんな静けさがある。今日は明日の仕事に支障が出ないようにもう少し一人で飲みたい気分だった。



そこだけ少し暖かな光に包まれているように見えるコンビニ。時間的にもうほとんど人は居ない。入店した時には店員さんも作業をしているらしかった。店内が暖かいのでついつい見回ってしまう。


<チューハイ…とハイボールどっちにしよう…>


なんてちょっと迷っていたけど、結局両方抱えてレジに持ってゆく。不在だったけど「おねがいしまーす」と言うと急いで駆け付けてくれた。そのまま恙なく清算し、特に何も感じないまま再び外へ。その寒さに「ふぅ」と息を吐きながら顔を上に向ける。


「星空ねぇ…」


この間降った雪はすっかり溶け、空には雲一つない。妙な具合に綺麗な星空が一瞬目に入った。「この中にわたしをわたしたらしめる星があるんだろうか」なんて愚痴めいた事を誰かに言いたくなったけど、人気がない場所ではそのテンションでいるのもなんだか疲れてしまう。



心の中で「誰か」に文句を言うようにして続いている自分は、本当に存在するんだろうか。何の為に存在するんだろうか。普段は特に何も感じない哲学めいた事が、今日はシリアスな響きになっている事に気付く。





何かを諦めるようにまた歩き出そうと思った時だった。一台の車が向こうの道路から入ってきて目の前の駐車場に停車した。少し不自然に薄着の男性が何か忙しなく車を降りて、コンビニの中に入ってくるように走ってきたと思ったらそこで突然立ち止まった。何か「しまった!!」というような表情でわたしの方というか、何処かを観ている。気になったので、


「どうしたんですか?」


と訊ねると男性は「はっ」とした表情で、


「あ…いや、財布わすれちゃったのに気付いたんです…恥ずかしながら」


「え…?…っぷ…すいません」


その慌ただしさもあったし少し酔っていたからかも知れない、失礼だと分っていたのに思わず吹き出してしまったわたし。


「あ、いや。こんなサザエさん的なボケをかましたので笑われても仕方ないっす」


男性は苦笑いしていたけれどだんだん堪えきれなくて自分でも吹き出してしまった。その笑顔が気持ちの良いものだったので、


「何を買うつもりだったんですか?」


と自然に訊ねていた。


「あ…その…買うっていうか…ライブのチケットなんですよ」


「え?ライブって、あああの端末を操作して取るやつですね」


「ええ、そうです」


「ちなみに何のライブに行くんですか?」


わたしは話の流れで聞いていたのだけれど男性はとても嬉しそうに、


「お姉さん、知ってますかね…フジファブリックっていうの」


「ああ、何となく名前は聞いたことありますよ」


「ファンクラブとか入ってなかったんですけど、さっきなんか取れちゃったら…急いで来て…で財布忘れたと…」


「へぇ…でも良かったですね。取れて。そういえばバンドでおススメの曲ってあります?」


今思うと自分でも大胆だったなと思う。もしかすると寂しさもあったかもしれない。でもその人はその時じっくりと考えてくれて、


「そうですねぇ。『星降る夜になったら』とか、気に入るんじゃないかなって思いますよ。じゃあ、俺また戻るんで」


「『星降る』…ですか。分かりました」


今日は何か「星」に関係ある事が多いなと思いながら「ありがとうございます」と言って私は帰路に就いた。男性はすぐ車で家に戻ったようだった。




歩いて家に帰宅して、すぐに暖房をつける。何だか飲む気分でもなくなってしまったけれど、そのまま眠るのも勿体ないような気がして先ほど男性から聞いた曲を探してみる事にした。ダウンロード用のアプリを起動して検索して、視聴してみる。その曲の出だしから何だかすごくいい感じに聴こえたのですぐに購入してみる。


「なんか…どこかで聞いたことのあるような、なんか不思議な感じ…」



歌詞を確かめながら聴いていると、まるでどこかに連れて行ってくれそうな気持ちになった。その後そのバンドについて色々調べてみて多分他の人と同じようにしんみりして、そして凄くなんというか…



その先を言葉にしないままわたしは窓辺に立って空を見上げた。こういう自分が続いている理由が何となく分ったようなそんな気がした。こんな星の下でも悪くないかなって。



で…後日、あの時会った男性に別の場所で再開して、ちょっといい感じになったという話はもしかしたら蛇足だろうか?

巻き込みつつ

同じことの繰り返しのようでいて、何事かの進展がある。「今を特別に」とはゆかなくても、
今を何らかの意味で「前」に位置づけておきたい気持ちはある。言葉だけでは空回りだが、
言葉を吐くにしても「何かを掴んだ」からこそ意味を持ち、実際に吐くことが出来る、そん
な跡付ける事を置いて行きたい。


積もった雪がかなり溶けてきている。寒さも加わって通行が困難だったり、意気を挫かれて
しまう状況でも「同じこと」ができるならそれはまた違う「意味」や「価値」を持つ。結局
は当人にしか分らない難しさがあって、それを共有するのは更に難しい。


個人とかある人々の間で価値があるものよりも、「社会」にとって価値あるものをとなれば
容易ではない。となれば『自分』というところを少し広げた、


『自分達の為』


という事の中で動かしてゆくのが紛れもなく「前」だろう。その『自分達』をどのあたりまで
広く採るかという事に違いはあるかも知れないが、自分の中だけでは期待できないような事が
もしかしたらそこから広がってゆくのかも知れない。



今年に入ってO君こと浅見くんが彼自身のブログで動き出した。ゲームの話題一つだけでも彼
と同じ時代を生きている自分としても「共通する記憶」に揺り動かされる部分があり、少しばか
り語りたくなってくる。


彼がプレイし始めたFF4は自分は未プレイだが、弟がPSの移植版をせっせとやっていたを
覚えている。かなり難易度が高いRPGらしい。FF5で育った私としては、その微妙な近さ
もあって記事が新鮮に感じられる。ドットの良さを感じる自分も興味がある、

https://www.nintendo.co.jp/software/switch/pot/index.html


「オクトパストラベラー」という作品も一つの「流れ」として感じておくべきだろうか。



また「特別な何か」のところでも書いたようにK君ことクマスケ君の創作も大分大詰めに入っ
ていて、結構その文章で心動かされているのも確かだから期待してしまう。刺激し合える関係
でもあるので、ちょっとした事でも少し膨らませるように書いていると思わぬ発見があったり
するのが楽しい。



そうして書いてゆくと結局文章の最初の段階に戻ってくる。自分達のそういう進み方を観てい
ると、社会の進み方もそれに似た部分があるようにも感じる。自分にとっての「前」は何らか
の意味で、誰かの何かになるのではないか。常にそうであるわけではないかも知れないけれど
、時々自分の作品を完成させたいと思うのは、たた「前」を見たいからとか…勿論それはちょ
っとした「期待」の問題なのだが、今までそうやってきて割と裏切られてないなとも感じる。



巻き込みつつ何かを語ってゆく、その可能性が多分あると思う。

あの時の「それ」

あの時のそれは「それ」でしかないけれど。


ずっと昔の話。ただ幼かった僕は、でもそれなりに物思いに耽る時間があったように思える。天真爛漫に明るいだけのその根っこにある、誰とも共有できない密かな孤独をあの頃は当時あまり飲めなかった濃い炭酸ジュースのように時々「味わって」いたような気がする。時々自分が何者か分らなくなるような感覚で友達とサッカーをしてテレビゲームをして…


それは自分にしては妙に憂いているある秋の事だった。憂いているといっても中身はしょうもない事で、近所の遊び場でちょっとした問題が生じた為に行きにくくなっていたのと、買ってもらったゲームをその時ほとんどクリアしてしまってする事が勉強くらいしか無くなってたのである。習い事もそこそこあった小学生の頃だったし先生達がしきりに「高学年になったら」と言うようになってきて、自分にとって得体の知れない年上の人のように自分もなってゆくんだと考えた時、少し不安になったのだと今では思う。



それでも何とかいつものテンションで乗り切った学校帰り、友達が用事があって学校に居残りするという事で僕はいつもと違う帰り道をとぼとぼ…というかぼんやり歩いていた。今でもそうだけれど知らない道を通っていると自分の知らない世界に行けそうな気がして道に迷う怖さもあったけれど、その日はそれでもいいのかなと思っていた。



本当に一瞬迷いにそうになりかけた時交差点でちょっと立ち止まって、


<今来た道を戻っていけばいいんだけど>


と冷静に考えた。でも何だかそう思ってしまっている自分が頼りなく思えた。もしかしたらただ同じ道を『戻る』という手間がいやだったのかも知れない。とにかく僕は躊躇いを振り切るかのように知らない道を進み始めた。


<だってどこかに出れるはずだし>


頭の中で拙い理論であり常識でありながら、漠然と歩いていればいずれどこか知っている道に出てゆくはずだと信じていた僕は、歩いているうちに目まぐるしく移り変わってゆく光景を必至に目に焼き付けながらまっすぐ進む。だんだん自分の意識が狭くなってゆくのを感じた。町はだんだん知らない顔をするようになっていって僕はもう近くの事しか意識できない。途中、全身真っ白な猫が悠然と歩いているのを観て、少し見惚れているうちに、いよいよ完全に自分の居場所を見失ってしまった。



いつもなら不安になっていただろうけど、その時の僕は不思議と泣きそうな気持にはならなかった。勿論いつかみたいに迷子になって母親に心配されるのは嫌だったけれど、もうこのまま知らない場所でそのままどこか知らない町に行ってしまってもいいんじゃないか、そんな風に開き直ってしまいそうな具合だった。その時、正面から女の人が何か僕を気にするかのように近づいてくるのが見えた。


「あれ?〇〇君じゃない?」



僕はその時異様に驚いたのを覚えている。目の前に立っているのは多分「女子高生」だったのではないだろうか。それくらい身長差があって、しかも顔つきも大人びている。だからか今でも顔を良く覚えていないのだけれど、その人がとても嬉しそうな表情で微笑みかけてくれたのは覚えている。


「ほら、まえ〇〇で会ったよね。私、覚えてる?」


僕は誰かと勘違いしているんじゃないかとその時思った。でも、しっかり僕の名前を呼び、確かに以前行った場所の事をいう目の前の女性が知り合いでない筈はないという常識的な判断がその時働いて僕は、


「あ、うん」


と少し曖昧さがありながらも肯定した。実際その時の僕の記憶はいつもどこか曖昧で、あったような気もするしなかったような気もするという事が結構あった。もしかして忘れているだけなら相手に失礼だとも思ったのかも知れない。とにもかくにも女の人は、


「こっち側に住んでたんだ!!」


と陽気に笑いかけてくれる。


「うんと、今日はちょっと違う道を通って帰ってるの」


誤解されると何となく悪いなと思って僕は正直に答えた。そう言うと特に意外でもない顔をして、


「そうなんだ。〇〇君って何年生だっけ?」


と訊ねる。「4年生」と答えると、


「そっか、じゃあ来年から『お兄さん』だね!」


と言った。先生から言われるのとは違ってその「お兄さん」は不思議と優しい響きだった。もし彼女のいう「お兄さん」になったら、この目の前の人ともまた違う気持ちで向き合えるのかななんてことを子どもながらに思ったのも知れない。「そうだ」と言って、その人は僕にポケットに入っていた飴をくれた。



「知らない人からもらっちゃダメだって言うけど、私だったら大丈夫でしょ?」



ちょっと悪戯っぽく笑うその人の柔らかな声を聞いていると僕も魔法に掛かったように、「そういう感じ」で良いんだなと思えた。



「じゃあね」



別れ際僕は多分僅かに手を振ったような気がする。貰った飴にも勇気づけられて、僕はそのまま自力で見知った場所まで漕ぎつけて何とか帰路に就けた。今思うとその記憶が本当だったのかさえよく分からないのだけれど、その時食べた飴の味がマスカット味だったのを覚えている。




時代は下り、すっかり現在アラサーになった僕。さして波乱万丈でもない人生で、それでも時々『道』に迷う。あの時住んでいた場所からはいつともなく去ってしまい、あの後その女の人を一度どこかで見掛けたきりでそれがどんな人だったかも覚えていないかも知れない。



深々と降った雪が朝になってどっしりと積もっている庭。


<今日は出掛けられないかなぁ…>


などと思いつつテレビを見る。すると近くでガサッガサっと雪をスコップで掻いている音が聞こえ始めた。自分もやり始めた方が良いなと思って、ジャンパーを羽織り外に出てみるとなんとそこで雪かきをしていたのは小学生くらいの男の子だった。


「あれ、雪かきしてるの?」


びっくりしたのもあったけれど思わず声を掛けてしまった。しかも見た通りの事を訊ねている。


「あ、はい。ちょっとやってみたくて」


「偉いね。今日は量があるから大変だ」


そういって笑いかけると、男の子もなんだか嬉しそうに笑いかけてくれた。そのとき僕は「あっ」と思った。


「ちょっと待ってて!!」


僕は男の子に声を掛けると一旦家の中に戻った。あんまり嬉しい話ではないのだけれど僕は最近目が疲れ気味でブルーベリーに凝り出していて、たまたま家の中にブルーベリーの飴があったのを思い出したのである。それを少しばかりポケットに入れてまた外に出た。


「はい、これ。結構美味しいよ」



そういって僕はその子に飴を渡す。流石に近所の『お兄さん』…おじさんだから飴を貰っても大丈夫だろうという常識的な判断がまた働くのを感じた。男の子は嬉しそうに、


「ありがとうございます!」


と言ってくれた。雪かきが一段落してコタツに潜った僕はしみじみとあの時の事を思い出していた。結局僕は普通に『お兄さん』になったし、何かが変わるかなと思ったけれどあの時想像していたかのような全く見知らぬ存在になったとは思えない。


「でも」



と僕は一息をつきながら考える。あの時の飴は飴でしかないけれど、魔法の飴だったんだろうなって。そして同時にそれはあの時の「それ」だから、そうなったのだと。そして『お兄さん』の役目というのももしかしたらそんなものを渡せる存在になる事なのかも知れない…と今さらになって思うのだった。

今週の重賞

今週は重賞が3つあります。3場開催ですし存分に楽しめそうですね。土曜日の愛知杯からは
マラムデールとレーヴデトワールを。


・マラムデールは父フレンチデピュティ、母フサイチエアデール。半兄にフサイチリシャールが
いてGⅠ馬ですから、母の実績的には本馬ももう少し走ってもよさそうですが現6歳なので繁殖
として期待でしょうか。フサイチエアデールにはどうやらフレンチデピュティとかクロフネと配
合されているらしいですが、今年3歳になったインヘリットデールというルーラシップ産駒が居
ますね。走るかどうかちょっと注目したいですね。




・レーヴデトワールは父ゼンノロブロイ、母レーヴドスカー。既に母の名前で有名ですね。どち
らかというとGⅡまでのイメージがありますが、レーヴディソールはGⅠ馬ですし完全に「良血」
の血統と言ってよいのでしょうね。日経新春杯に出走するレーヴミストラルは父キンカメ。母父
はハイエストオナーですが日本では珍しい血統です。ちなみにレーヴドスカーの今年の2歳馬はオ
ルフェーヴル産駒でPOG指名必至ですね。


日曜の中山の京成杯はちょっと良血といえるかどうかは分かりませんが面白そうな血統という
事でニシノアモーレを。


・ニシノアモーレは父コンデュイット、母父ニシノマナムスメ。おやっと思ったかもしれませんが
大丈夫です、ニシノマナムスメが父アグネスタキオンで、母ニシノフラワーなので血としては揃っ
ています。新馬戦の勝ちっぷりからするともしかすると当たりなのかも知れないなと思いますが、
とにかくこのレースを見てみないことにはという感じ。


そして最後日経新春杯はモンドインテロが良血と言えそうですね。


・モンドインテロは父ディープ、母父ブライアンズタイム。この血統だとスタミナ型が期待されるわ
けですが見事にそういう馬になっていますね。今年春天あたりで激走するかも知れないなと思いま
した。

デモデモ

『だってどうしようもないじゃん』

女々しいのかなんなのか分らない。そう言って潔く諦めているならいいのだが、どうしたって「でも」が続く。


『でも、わたしは諦めたくないんだよ』


夜、たまたまテレビを付けた時に放映されていたドラマのワンシーン。ちらっとネットで調べてみると夢と恋で思い悩んでいる等身大の女性像がウケているらしい。


<共感できるけど、共感できないかなぁ…>


そんな矛盾した思いを抱きながら視聴していると私も段々現実に毒されてきたかなと思ったり。まだ熱い気持ちとか十代の頃に輝いて見えたものに憧れ続ける部分もあるけど、どちらかというとそういう自分を無理矢理作っているように感じる時もある。あんまり一括りにはしたくないけど男なんて大体似たような事を考えていて、どこかで幻滅してしまうもの。期待しないからかえって魅力的に思えたりする部分を発見する事が、今の私らしさと言えばそうなのかも知れない。


『わたしは…』


「ん…」


そう言いつつ想い人に何かを伝えようとして言葉に詰まってしまう主人公にちょっと感情移入しかける私。ドラマとしては面白味に掛けるけど、私だったらここで言ってしまうかも知れない。甘さ控えめのチョコレートを少し齧って、紅茶で流し込んで静かに見守る。だけど思った通り、ここで相手の携帯が鳴って挫かれてしまう主人公。


「あーあ…」


期待外れでモヤモヤしている私にもタイミングよく届く一通のメール。『ごめん明日行けないかも』。よく遊びに行く友人からのキャンセル。もともとどうなるか分らなかったから、ダメかもなと思っていたけれど、やっぱりテンションは下がってしまう。



「あーあ…」



そのままテレビを消してしまう。しばらく無音の空間でスマホを弄ってみるけれど、どうにも発展がないのでこういう時は音楽が良いなと思った。最近流行りはじめているバンドのある曲が今日はしっくり来るような気がしたのでスピーカーに接続して流してみる。部屋に鳴り渡る爽快だけれどどこか熱を帯びたサウンドに合わせて自然と首が上下する。


<やっぱりいいな~。そういえばちょうどこの辺りに白鳥が飛来してるんだっけ>


洗練された都会のイケメンという雰囲気があるボーカルの低音と高音が心に沁みわたる。曲のテーマを考えながら彼がどんな気持ちで歌っているのか想像してみる。私みたいな子を勇気づけてくれるっていうか、一緒に羽ばたいてみようって誘いかけているっていうか…


「明日カラオケ行こっかなぁ…」


聞いているうちに私も思いっきり歌いたくなってきた。「よし」っと一人頷いて決意する。




翌日の朝、目が冴えるような気持ちで起き上がる。祈るように窓の外を見ると、それほど路面状態は悪くないという事が分って一安心。朝の時間にカラオケに行くつもりだったからちょっと心配だった。身支度を済ませコートを羽織り万全の態勢で出掛ける。



いつも行くカラオケ店。もしかしたら『田舎の唯一の娯楽』になりかけているかも知れないこの店は私の想い出の詰まった場所でもある。成人式とか、同窓会とかでも利用した。ついこの間、20になったばかりの子たちが成人式の後で盛り上がったのだろうなと微笑ましい気持ちで入店する。私が一番最初らしい事に若干気が引けてしまったけれど、怯まず笑顔が印象的な女の定員さんにコースや機種の要望を告げてゆく。


「今日寒いですよね」


機械を操作しながら何気なく話しかけてくれる定員さん。


「雪があんまり降らなかったから良かったですよ」


そう答えながら入室する伝票を受け取る。そのままスムーズに移動すると「ごゆっくりどうぞ」という気持ちのよい声が後ろから聞こえた。



気ままに一人で好きな曲を歌いながら<そういえば、最近あんまりヒトカラは来てなかったな>と思う。一人が嫌だというわけじゃなくて、そこまで歌いたいという気持ちが湧きあがって来ないというのもある。少し経って近くの部屋から聞こえてくる若い男の人の絶叫とか、あんな風に歌えたら気持ちいいんだろうなと思うけど、この頃ではしっとりとした雰囲気で聞いてて心地よい曲が好きなってきたのもあってなるべく綺麗に歌いたいなと思うようになっている。



選択するのはどちらかというと懐かしめの曲。でも当時から進んで聞いていたのではなくて、本当に後からすっと入って来るようになって聴き始めた曲。切なさとか、細やかな情緒を気持ちを込めて歌う事で聴いている人には確かに伝わってるんだろうなと思う。その代わり、その人がある程度成長しないと伝わらない事もあるんだと自分の経験で実感してしまう。



予約していたとある曲のテロップが出たところで私は一度目を瞑り、ここには居ないその誰かに届けるような気持ちでその人を思い浮かべる。



<届くわけなんかないのにね>



意味のない事だって分かってはいるけれど、でもそんな気持ちで歌う事は決して無意味ではないと思う…。昨日聞いたあの曲もそうだ。誰も聴いていないかも知れない、でも歌い続けたというその事が私を勇気づける。歌い終ると妙に満足感があった。



その日私は2時間歌い続けた。心地よい疲労感とわずかな不完全燃感に包まれ、ちょっとふわっとした気持ちで会計を済ませ店を出る。「またお越しくださいませ!」という元気な声に頷くように「ふふっ」と笑って外に出ると少しひんやりした空気で意識がはっきりする。でも空を見上げるとなんだかまた穏やかな気持ちになった。



笑っちゃうくらい晴れ晴れとした空だった。朝路面にあった雪はもう何処にもない。そしてその時一通のメールが届いて私は本当に笑ってしまった。


「まったく。『明日なら大丈夫って』昨日言ってくれれば…」


そのまま「良かったのに」と言いそうになった時、私は周囲を見渡した。「でも実はこうなっていた方が良かったのかも知れない」そんな風に感じられる今を大切にしようと思うのだった。

徐々に

何らかの意味で進んでゆく物事。自分の経験が整理され、よりシンプルに必要な事に向かえるようになるのも進歩の一つと言えると思う。


過去となった物事の中にある、ポテンシャルの高い経験。今もなお何かを引き出してこれるような瞬間。圧倒的な今の印象を凌駕するようにまだ乗り越えていないのかも知れないと思わせる。


今の何かに「本気」を感じる事が出来れば、殆どの事は意味あるものとなる。むしろ経験があって、それを踏まえての自分が本気になっているという事を自覚するなら、もっと意義深いものであると感じられる。



それは生まれ変わりというのだろうか?生まれ始めた意味の中で物語を紡いでゆくような、そんな心境。

日々の中でそれを

相撲を見ていると気持ちが清浄になるのを感じる。スポーツで気持ちのいいアスリートを見ている
心境だけではなく、日々の中に当たり前に続いている風習として何かを思いだすからかも知れない。
当たり前にあると言っても、数年前に紆余曲折があった相撲という競技はそれ以降、分かり易い解
説で特に意識しないで観ていた駆け引きの部分に注目させてくれて新しい魅力を提供してくれてい
る。日本人力士の奮闘によって金星を挙げる事が多くなったのも人気に一役買っている。



相撲もそうだが、坦々と次の『場所』に移ってゆくというのも面白い。何でも「前に」進めるのは
難しいし、前に進むにしても形式的なものも精神的なものも含めて「引き連れて」ゆかないとそれ
は前とは言わないのかも知れない。


K君にあるアーティスト…まあフジファブリックなのだが、私が書く作品に彼等のある曲の雰囲気
があると言われて、意識している事はやっぱり伝わっているのだなと実感する。というか今生きて
いる方向性がその曲の向こうというか、その曲があって何かを感じたその「先」なのだと思ってい
て、具体的にその先というのはどういう風に進む事なのか試行錯誤している部分はある。



何かをやり終えて、少し立ち止まりそうになった時、粛々と執り行われている相撲の雰囲気が何か
を思い出させる。それは「日常」という不変なものというより、どちらかというと何かを受け継ぎ
ながら次に向かうという弛まぬ歩みの中にある毎日であるように感じる。


ニュースを見て今日起った事を確認する。代わり映えのしない毎日で繰り返しであるように思えつ
つも、例えば今日のある力士の大金星はやっぱり何かの発展だし新しい流れを期待させる。昨日K
君に会った時に感じたのも、以前とは違うその新しい段階に居るような雰囲気だろうか。



そういった歩みの中にあって、同時に自分の中での「その先」と言えるような事を見つける。多分
目指しているのはそれなのだ。

僕らは少し

昨夜は帰省していたK君とカラオケのフリータイムで歌い続け、そして語らいあった。生活にどれほど歌と創作が密着していて、どれほどそれが生き甲斐になっているのかを改めて確認できた、そう言っておこうか。

K君小説、通称「どんびき」に登場する杉田君というキャラクターのモノローグ中の台詞が自分達の有様を代弁しているように感じた夜でもあった。


カラオケでも歌で表現できて、しかもしっかり伝わるその力。むしろそれじゃないと想いを伝えられないような生き物。毎日のことや過去があって今自分の中に息づいている曲への共感、「なんか良いよなぁ」と思ったり、凄いエネルギーを感じる。



エネルギーだけで言えば我々と同様に夜通しで歌い続けていた成人式の後に集まった若人のこわいものなしというのか、テンションの高いノリとか、溢れ出す何かはやっぱり凄いなと感じる。


でもどしっと構えて、目の前のことに立ち向かって行こうとするエネルギーは確かにお互いに感じていたと思う。


「僕ら」が「僕ら」である証が、やっぱりこうして30を過ぎてもカラオケであの時と同じような情熱を表現できる事なのだし、アマチュアだろうと創作について熱く語れる事なのか、、、そんなような事を思ったり。


今こうして一人で回想する今は余韻に浸りつつも既に自分が向かい合うべき事を意識し始めている。創作の時間は孤独なものだけれど、何らかの意味で同じく前に向かっている友人達の事を想いながら、また書いてゆけたらと思うのだった。

区別が

文化の中で自分を立ち上げてゆくのが「新しい何か」だとするなら、「遊びと本気」はまだ自分にとって意味のある事とか個人的な事を書いて行く側でもある。

つまり

誰もが記憶の大切さは知っている。それは殆どの場合再構成しなければならないから、特に想起する事の方が難しい記憶もある。

再生されたりいつでも確認できるようにしたものの心強さに対して、それだけでは再現する事のできない情報をやはり共有したいという気持ちはあるように思う。


あの紅白の歌唱の時間はやっぱりこれからいつ振り返っても良いと思うだろうし、自分で直に見たライブで感じた事もそうだろう。とても大切なことが詰まっている気がするけれど、振り返るにはそれなりの機材が必要になる。常に振り返れる訳でもないし、やはり「最新の」情報も見たい。



伝説になった事は人類の財産でもあるのかも知れない。それが記録され、記憶として共有され、語り継がれる事で人類の、そこまでではないにしての多くの人の人生を左右させているとも言える。スロペで足跡を残しておきたいというのも、何かしらの事を打ち立てて、その後に影響を与えたいという気持ちからという部分は大いにある。



そうやって残したいと思うものは大体は何らかの精神のような気もする。勿論そういうものがあるという事ではなく、実際に読んだり見たり聞いたりしながら引き継げるようになった精神性、というか気概とでもいうのか。



でも、必ずしもそればかりという事でもない。むしろそういうものを培った文化とか自分達が語り継ぐべきだと思っているものをしっかり語って置きたいのだろうと思う。それもただ語るだけではなく「強くそう思う理由」も添えて。そして強くそう思っている事を証明するように書きたいのだと思う。



あらゆることが集約している瞬間がある。イエモンの「SPARK」という曲でいうなら永遠が決まってしまうような「一瞬」。その一瞬を語り尽くすにはあらゆるものを巻き込むような、そんなとても大事な事。


あらゆるものを巻き込んで、その重要性を示している、そんな風に語るなら確かに証明にはなるのかも知れない。



記憶の想起にしても個人的な記憶の場合と共有されたものの中で確かめられるところで異なっている。個人的な記憶を抜きに純粋に書かれたものだけで読み取った場合にも何かであるように書いて行く必要がある。


「新しい何か」はそんな挑戦かも知れない。

重たさ

何かを動かしているような感覚が、その「重さ」に喘いでいる。まるで(書き)連ねてきたものを引き連れているかのよう。


書いたものを価値あるものにするという意気込みで書くとそうなってしまうのだと思う。少なくとも読む価値があると、そう言えるところまで向き合っているだけのような気もする。


興味がなければその人にとっては価値がない。誰もが興味ある事で気の利いた一言でも考えれば価値になるのやも知れない。でもそうなってゆくと仕事になる。


ただはっきり言えば「価値があるのだ」と思って書くときっと見返りを期待してしまう。それに何かを与えた気になってしまう。だからこその困難で、でもだからと言って価値を気にしない書きものでもいけないとは思う。

同じ未来

その向こうに僕の見たいものがあるのだろうか。


新年を迎えて間もなく僕は何とも言えぬ気分に浸るように暮れかかる空を見上げていた。昔は年が改まるとみなで一斉に一つ歳を取ったと数える風習があったらしい。考えようによってはこの印象深い時に気分が改まるのだし、新しい始まりと捉えるのも自然なのかも知れない。漂う雲が黄色く色づき、その周りを少し黒みがかった雲が囲んでいる。どこか冴えない年明けで、時間の限り覚束なさのある小説を読みながら過ごしていると本当に今が今なのかよく分からなくなる。


ぼんやりしていると周りにとけこんでしまうようなそんな明り。すっかり緑が消えてしまった風景の中にところどころ疎らな色合いを見つけて、『求めていた未来はこんなものなのだろうか』などと思っても無いような、もしかしたらどこかで感じているのかも知れない言葉が浮かんでくる。


<その言葉は多分、僕のものじゃない>


そう言い聞かせるように少し意識的に動いて家の中に入る。中では炬燵とストーブで暖められた居間で家族が寛いでいる。例年のごとくこの部屋で食べるだけ食べて、飲めるだけ飲んでいた。久しぶりだというのにすっかり馴染んでしまう自分が居て、今さっきの憂いもここには似合わない。


「そろそろご飯だから手伝ってちょうだい」


母のきびきびした声が響く。それに頷いて台所に向かうと正月でもやはり忙しげな様子がある。そんな夕食はやや豪勢だった。テレビを見ながら変わらないのは向こうもそうだなと思ったりした。


<この人達が求めていた未来もこういうものだったのだろうか>


どこか冷めた目で、笑いの絶えない出演者たちを見守っている。きっと数日前収録されたその番組に綻びなどありはしないのだろう。危げなシーンがあったとしてもそれは滅多にお茶の間に現れる事はない。仕事を滞りなく進めるように、番組も滞りなく時間通り展開させようとする筈である。



あるタレントが年の初めの抱負を述べる。彼女の口から語られる近い未来の予定は「未来」を意識させない。何があるかは分からないとしても、凡そ分っている部分がある、だから合理的な「期待」が生じる。まかり間違ってもこのモデルから引き抜かれたであろう女性が年末に歌合戦の司会をやるという未来はどうも無いように思われるのは、言うなればあの舞台さえも既に着々と何かが準備されていると予感されるからである。人によっては出来レースというかも知れないし、それに値する「実績」を積んでいると判断するかも知れない。



なんにせよ、「順当」な未来があってそこを覆すのは難しい。その未来を昔自分が使っていた意味での「未来」と同じと言ってよいのだろうか?



「どうした?ぼーっとして」


「いや、ちょっと暑くなってきて…もうちょっと夜風に当たってくるわ」


「上着着ておいた方がいいぞ」



父に勧められてコートを羽織り、何も考えず外に出る。一面の暗闇。寒空の下、上空に輝いている月と星を見上げ、<やっぱり田舎の空は清んでるな>と思う。興が乗ってきたので近くを歩いてみようと思い、一度玄関から居間に向かって、


「ちょっと近くを歩いてくるから」


と告げる。坦々と、それでいて足を前に前にと意識するように1キロほど歩いたところで薄明るいオレンジ色に包まれた人気のない橋に至る。下にはこの辺りの平野を二分するような川が流れていて、何処となく見知った光景だなと思った。駅から反対側のこの辺りの道を歩いていたわけではないから見覚えがあるというのもおかしな話で、たぶんそれは自分が勝手に思い描いていたイメージに似ている場所だったのだろうと思う。


「この向こうには何にもない」


そう思うとそれ以上向こうには歩けないような気もする。その時僕はふと「何でも同じだな」と思った。この向こうに、未来に何もないと思ったら多分もう一生懸命には歩けない。夢らしい夢はいつの間にか目先のちょっとした物欲に変わってしまいがちで、でも実際にはそれで良くて、何も考えずその餌につられて歩かされていればいいのだろうと思う。世間や社会と足並みを揃え、同じ未来に向かって進んでゆく、その方が迷わない。



ただそれを望んでいるのかどうか。



ここに来たって答えが出るわけじゃない事は分っている。橋の欄干に身を委ねてしばし川を見つめる。静かな雰囲気は自分に合っているなと思う。それにしても開けている空間だ。電柱もないし、建物もないから遠くまで見渡せる。ふぅと息を吐いて、眼前に目一杯広がった空を見上げる。


「やっぱり月が綺麗だな…」



金星が近くに見える日だった。


「こ~のほ~し~ぞら~のし~たでぼ~くは…」


その時自然に浮かんだある曲のメロディーに乗せて口ずさんでみる。『同じ月』というその曲は坦々とした日常で、ふと夜空を見上げそこにあった月に何かを想うという様子を歌ったもので、場所は場所だけれど妙にしっくりくる曲だなと感じた。今も誰かと同じ月を見上げているんだなというそんな単純な事が、僕に一つのイメージを与える。


「同じような気持ちで月を見ている人もいるのかもな…」



そう思うとこんな言い表しようのない事も無駄ではないような気もしてくる。



「君はそれでいいのか?」



僕は誰かに問うてみたくなった。君は…僕はそれで…



「じゃあどないせぇっちゅうねん…」



まるでツッコミを入れるようにひっそりと呟いてみて、「ふっ」と笑う。わからない、でもまったく分からないでもない。分っている事はツッコミを入れたくなるほど面倒くさいだろうなという事。



挫けつつ、それでもまた何かを探す事。そんな毎日を続ける事。



宵の心細くも暖かな明りに僕は励まされているのかも知れない。そんな事を思いながら家路に就いた。

ありきたりが

何故だろう。いや理由は分かっている。とにかくありきたりと思われる事が妙にしっくりきてしまった。

おそらく「限界」というのは理なく限界という事ではなく、情で、しかも深い情があるが故に必然的にある結論を下すようなそういうある運命めいたものによって成り立っているのだろう。


それは世の中がそうなっているからだし、自分がそうだからでもある。何かを忘れないでいる、そうしていればなるようになって、自分でも気付かなかった何かに自然に気づいてゆく。



巡りゆく何か。繰り返してゆく何か。人々の中にある何か。「忘れないから」、「忘れたくないから」人々の中で何かが繰り返されてゆく。想いは時間が掛かっても確かに伝わるから、伝わった想いが動き始めるから。


もしかして、本当に単純に人々の中に「生きている」のかも知れない。だからこそ選ぶ道がある。選んでいる今がある。それはごくごくありきたりの事なのだとも。

今週の重賞

金杯が終わったばかりですが、日曜日も重賞があります。フェアリーSとシンザン記念はともに
3歳重賞。良血も沢山いそうな雰囲気ですね。フェアリーSからはキャスパリーグを。


・キャスパリーグは父ディープ、母父ストームキャット。 明らかに『配合で良血』といえる馬で
すね。母の実績はまだないと言っていいものの、この配合ならほぼ走るだろう判断でしょうね。実
際父ディープの時点で「良血」と言ってよいと思いますが、これから続けてゆくにあたってどういう
基準で紹介するのか考慮すべき例ともいえます。


シンザン記念はアルアインとペルシアンナイトを。


・アルアインは父ディープ、母父Essence of Dubai。この血統は母がドバイマジェスティという米国
の馬でやはり実績はまだないものの、ディープを相手に生産されている様子。デビューして2戦とも
一番人気できっちり勝っていますし、ここでは最有力のような気もします。もちろん、こういう馬が
どういう戦績になってゆくかもこのコーナーでは関心事です。


・ペルシアンナイトは父ハービンジャー、母父サンデー。母の母が二キーヤですが、見覚えがあると
思ったらゴールドアリュールやゴールスキーの母なんですね。母のオリエントチャームもそこそこ
活躍した馬で、ハービンジャー産駒として期待大という感じ。



2回目となりましたがO君には面白いと言ってもらっていて、私としても既に血統の奥深さを実感して
いるところであります。

麗しき人の夢 ⑬

やはり「初夢」は想像しているものにならないのだろうか。新年になって2日の夜に見た夢が初夢らしいとツイッターで知ったのだが、どうも思い描いていた縁起のいい夢にはなららず、どちらかといえば悪夢のようにも取れるあまり印象の良くない夢を見た。そんなに夢を気にしていてもしょうがないといえばしょうがないけれど、初詣に行こうかなという気持ちにはなった。


年末に一度実家…と言っても経緯からあまり実家という気がしない隣県の家に行って、両親や兄弟に会ってきた。マロもケージに入れて連れて行ったのだが、やはり慣れない環境らしく一泊して自宅に戻る事にした。猫ブームという事もあるけれど母が何枚も写真を撮って絶え間なく愛でていたのは少し微笑ましかった。


「今度そっちに行くから」


と言われたが、勿論本来の地元であるN市の様子だったりマロが目当てなんじゃないかなとも思ったりした。そこから時間は過ぎ、お正月も3日目となると何だか気ぜわしくなってくる。昨日までは大晦日に紅白で熱唱したあるアーティストのシーンを見返したりしながらモチベーションを高めて創作に打ち込んでいたけれど、流石にこの日は気分転換をしたくなったし、地元で一番有名な神社に行くのが無難だろうなと思った。


『ああ、俺は昨日行った』


ツイッターのやり取りで地元の友人Oが教えてくれた。彼の印象だと今年は結構神社に行く人が多いらしく、特に子連れできている人が目立つとのこと。実際に行ってみると果たしてその通りで、どこか厳かで清浄な雰囲気が漂ういつもとは違う神社に、なんだか頼もしさを感じた。体力のあった学生時代は大晦日の深夜に友人とこの神社に集まって、元気よく初詣に行ったものである。当時は願掛けというよりは特別な夜の楽しい「ノリ」としてわくわくしたものだが、一人で訪れてみると少し違う印象を抱く。




襟元を正すようにしっかり二礼二拍手一礼をしてみるとやはり気持ちが改まるのを感じる。長く続いているこの国の文化に抱かれるようにその場の雰囲気を受け入れ、しばし余韻に浸る。近くに停めていた車に戻って、少し慎重に運転しながら帰りに今年初めての買い出しに出向く。ストックがあって食糧は困っていないのだがマロのおやつが減ってきていたのである。ところが手近なところでドラッグストアに寄ると、何となく買っておいた方が良いものが目についてそこそこの荷になった。



そこからの帰り道、車でラジオを聴いていると「初夢」の話題で盛り上がっていた。メールを投稿してきた人が、自分と同じようにあまり良くない夢を見たので『厄除けにステッカーを下さい』とねだる様子はなんとも正月らしいなと思った。とはいえ、3目という事で早くも明日からの仕事で憂鬱になりかけている人の投稿も相次ぎ、自分もそれにつられてますます創作どころではなくなってきていた。


<明日から本当に始まるのかよ…>


それは友人のOやKもそうだったらしく、Oに至ってはTL上で『サザエさん症候群』についての呟きをしていたのを見かけた。もちろん正月が特別な時間であるという事は承知している。こういう気分も結局は常態化している物事によっていつの間にか失われてしまい、意気込んで立てたはずの新年の目標も埋もれてしまうという事も毎度毎度同じなのかも知れない。


家に帰ってきて惰性でぼんやりとテレビを見ながらSNSをチェックしていると、こんな文章が思い出された。


『昔から「一炊の夢」という言葉があるけれど、むしろ本当の人生そのものが夢のように儚いのかも知れないと感じることがある』


それは確か、あのエッセーの最後の方の章ではなかっただろうか。人生を一炊の夢で体験するというのなら、逆にこう体験している人生ももしかすると一瞬の事なのではないのか、そんな風に問いかけるこの文章はどこか不思議だが不安をもたらすような響きを有している。



どうあっても時間は有限である。まだまだペーペーだと思っていた自分もそれなりに立場が与えられて、いつの間にやら歳相応の分別を身に着け始めている。淡い夢は夢のままで、いつかいつかと思っていても結局日々の生活に追いやられてしまうのが世の常。意義深い事を中心に考えた人生は、日常に希釈されているようなもので、実質中身のある時間なんてそれこそ『一瞬』なのかも知れない。



そんな風に黄昏そうになっていると、ツイッター上のあるツイートに目が留まる。


「あ、K君更新したんだ」


それはK君が作品を公開しているサイトにあった文章のリンクであった。ツイッターと連携させるサービスで更新するとそのリンクが張ってある呟きが自動的になされるのである。


「お…これは…」


それはK君の「新春の決意表明」ともいうべき文章で、それまでの彼のイメージとは何か異なる印象を抱いた。4月にこちらにも戻ってくる彼も今年は仕事の方で転換期ともなるはずである。新しい環境に向かう為に、気持ちを新たに強い言葉でそれを述べている文章を読んで、自分も何か大切なことを思い出せたような気がする。


「そうだよな、時間は「今」あるんだ」



その日なんとか作品の続きをアップロードする事ができた私。
プロフィール

二人の管理人

Author:二人の管理人
ブログには珍しく二人の管理人で更新してゆくブログです。

二本松のこと、競馬のこと、これから手探りで何かを
やってゆこうと思っています。




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