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スローペースで、二人で出来る事を模索しながら。二本松、競馬、などなど。

一部になること

「奥州二本松」というムックを読んだ。地元のコアな話題がコンパクトにまとまっていて、歴史を学ぶには手頃な本だと思う。


そんな話題を始まりにして少し話を広げようと思う。「地元の歴史」というキーワードを使うならば、どんな地域にも歴史はあると言って良い。語られる事が歴史の条件だけれど、内輪の事実の積み重なりとかも何かに関係付けて語れば歴史の一部になる。


ある種、文化と歴史は切り離せない。文化の歴史性とかも当然考えられて、作品にしても前後関係とかオマージュ、リスペクトがある。ツイッターなどで、誰かのツイートに刺激を受けて自らも呟いてゆくその連鎖も、追ってゆけば面白いのかも知れない。


地元もそうだが、やはり身近なところから始まる何かがネタとして最適であるという意識がある。身近なところ、ひいては自分のちょっとした気分とか気持ちから生じたちょっとした行動になってゆく過程も興味深い。よく自分が変われば世界が変わるという言葉を引用する人がいるけれど、ニュアンスは違うけれど自分から動き始めるというのはきっと何かを世界に齎しているのだと思う。


で、その際の「気持ち」というものも、実際何によって生じているかというと、テレビだとかラジオだとか、そういう受動的に受けている時になんとなく生じる事もあるだろうし、逆に意識的に何かの方向に自分を動かして行って良い情報を見つけてゆく過程の場合もある。



極小的で全く自分の連想とか思考で起こってくるものとか意識的にそういうものを生じさせるという事を私はやっていたりするけれど、どうしても一方で自然な捉え方でスムーズに生じさせられるようになったらと思う事がある。


「奥州二本松」というムックの出版は世の中の出来事としては地元を知るというモチベーションにとっては大きい事で、これを下地にして日々何かを見つけて行ったり感じたり出来ると思うなら、もしかしたら「そういう連鎖」に自然に入り込めるのかも知れない。


大きい事から共有されるというのは当然な事だ。ニュースにしても日本よりも世界、地元よりも都心、それはそうなってしまう。ただそこに住んでいる人にとって意味があるのかどうかで言えば、全てが一様というわけではない。もともと個人の世界は狭い事が多いのに、それでいて大きな事を意識せよというのも難しい。それに社会的に大きいとされる事も、人類の歴史とか科学の発展という観点からすると本質的ではない場合もある。



表面的な事にしないと確認できない。けれど表面の、表層の事の繋がりだけを追おうとしても上手くいかない。水面下で動いている事とか表には出てこない事情を知ってこそ上手く捉える事が出来る。


社会がそうなら自分の意識もそうなのかも知れない。奥の方で沸々と煮えたぎっている、或いは燻っている感情が折に触れて爆発したり、ちょっと解放される。新しい何かの「源泉」が表面に何かを送って、表現された以上のものを想像させていたりするのなら、可能性はまだある。



その源泉も実を言えば歴史的なものなのかも知れない。というか歴史の部分と重ね合せて語るレベルに感情というのか。ルーツを辿ってゆくのも、個人的な感情というだけではない何かがわかる事もある。ファミリーヒストリーという番組もあるように、今の自分を形成している家族の歴史もあるに違いない。


それでいて、何か他の人と共通する感情も何処かにあるのだと思う。色々な状況でそれぞれが乗り越えなきゃならない壁を前にした時に、結局最後は何かに勇気付けられたりする。自分がそうだから思うのは、本当の内容というのはそういう状況下でどうするのかという事だと思う。



何らかの意味で前に進んでいると信じるしかない。色んなものの助けを借りるようにして、励まされるようにして、進んでゆく。その一部になれたらとつねに思っている。
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精一杯、そして

その新しさで何かを言う時、囚われがなくなったかのようで、一つの生まれ変わりなのだろう。

ある種突き抜けてしまうような心がある。囚われの中にあっては否定的なことも、その向こうではそうばかりではないような。


時間は動いている。自分が捉えた何かは時間の経過によってそう出来たのだろうし、自分が捉えて変わったという事が時間の経過を証明している筈である。時計は絶え間無く動いている。



いつか誰かが言ったような気持ちで、その向こうに。まっさらなスニーカー、色付けされていない未来、何処にもなかったこの上ない喜びに。



君だけが知っている、君らしさを。君がそれで良いと思う、そんな時の向こうへ。頼りない願いなのかも知れない。ただ全てで、嘗てないほど全てで僕は選ぶ。


何かを選ぼう。記憶の彼方にある、精一杯のメッセージと共に、明日の光に誘われるように。



言葉を選びながら、何かを思い浮かべている。連れ合いのようなそのイメージの端に、きっとどうしようもなく行ってみたい場所がある。


漫画の「ふきだしほにゃらら」なんて。


有馬でありました。

競馬コラムは時々書いていますが、今年の中央競馬が終わって最後地味に感動したので少し書いて
みます。


有馬記念は枠順発表の特番も観ていましたが、何となくその時点でドラマチックになりそうな雰囲
気があったように感じます。JRAコラボの「おう松さん」のアニメも楽しんで観れましたし、新
たなファン層を獲得したのかもなと思いながら福島競馬場で迎えたレースの時間。


少額ですが馬連で1-11、つまりキタサンブラックとサトノダイヤモンドを買い好きな馬という
程でもないですが、どちらも応援していました。O君も多分この2頭で決まるだろうという事は
想像していたと思うのですが、後で話を聞くと「旨味がない」という事で本気では狙っていなかっ
たようです。とにかく今年最後に当てて気持ち良く新年を迎えたいという気持ちで一番自信のある
組み合わせを選んだのですが、どちらが先着するかという事については正直分らない部分がありま
した。


レースは予想された流れだったように思います。キタサンブラックにとっては厳しいというよりは
むしろ好都合な面もあったと思うのですが、やはりゴールドアクターとサトノダイヤモンドの2頭
にマークされれば最後脚が鈍るという事もあり得たんでしょうね。逃げ馬の宿命でもあります。で
も観戦しているものとしては、最後「キタサンが残った!」と思った瞬間からのサトノのもう一伸
びだったので、差し切った時は何か凄みを感じました。良いレースだったと思います。



過去のレースではグラスワンダーとスペシャルウイークの99年がやはり「ザ・有馬記念」という
気持ちなのですが、もっと昔だとTTGで決した有馬記念とか、トウカイテイオーとかオグリキャ
ップとか、好きなレースも多いレースですね。


今年はこのレースに限らず毎週レース後にツイッター上のトレンドで馬の名前が挙がるのが面白かっ
たです。結構見ている人は居て、特に午後の3時代での大きいニュースになるわけですし一時的に
トレンドになるということで注目度を実感できたというのか。特に有馬記念とかJCの後の何か
社会現象とでも言えそうな盛り上がり方は競馬ブームの再来なのかなとも思ったり。



このブログでは毎週血統に注目している競馬の記事を書いていますが、終ってみればディープインパ
クトだし、クラシックディスタンスよりも長い距離でGⅠ2勝目となったサトノダイヤモンドの大物
感についてはイメージを払しょくできるかもなと思ったりします。ただし、個人的にはあまり似た血
統だけになっても日本競馬の為にはならないと思ってますし、実際はモーリスの凄さも際立った筈で
す。配合シミュレーションをしていて、サンデーの4×4になったりとか、場合によっては3×3を
目撃したりとか、もうそういう時代なんだなと思うしかないのですがフランケルの登場で少し別の流
れが出来てくるかも知れません。



来年の事もそろそろ意識し始めます。念願の凱旋門賞も毎年毎年「今年こそは」と言ったりしますが
、キタサンとダイヤモンドの2頭でなんとか有利にできないのかなとも思いました。

そうしたい

何でもない日に当たるとは思う。でも年の瀬でなにかと気ぜわしい部分もある中で比較的マイペースに
過ごせている事はけっこう良い事だなと思う。テレビは年末のスペシャルが多いし、国民的アイドルの
解散が世間的には大きな事で諸行無常とはいえ、これからは折に触れて振り返ったりもするような気も
する。


「文化」について考えてゆくと、当たり前のようにそこにある存在はそれがあって当然というか、世の
中にあることが前提とされているだけに、無くなってしまうとどうもそれまでと同じように立ちいかな
くなる事もあると思う。というか、自分もそういう事をよく知っているつもりだ。「続いている」のは
、やはりそれを支えている何かがあってこそだと思うし、一方でそれは「条件に過ぎない」という事も
当然考えられる事だ。


仏教的ではなくても、何かが成り立っているから他のものもスムーズに成り立つという事は想像しやす
い。無くても何とかなるけれど、と言っているわりに結構難しくなったりで。



もちろん時代が変わってゆけばどこかで世代交代というのもあるし、ある意味で新しい事の始まりなの
かも知れない。やはり普段の生活の中に次に向かってゆく方向があって、新しい発見もある。そこに向
かう気持ちとか気力とかを日々の中で少しづつ養ってゆけたらとは思う。



場合によっては精神論ばっかりでもと言われるかも知れないが、どうあっても新しい方向に進むのは
根性とか気持ちの部分である。そして生きていればどうせそちらの方に行くしかないのだから、その
モチベーションを切らさずにいることは日々の中では必要だろう。あとはそこに「一区切り」という
目印をつけておくのも大切だと思っている。



文化の網目で色々なもので養われて勇気づけられて、やっぱり向かうべきところに向かう。何の事はな
い、そうしたいのだろう。

そういう見方

クリスマスはクリスマスで浸っていたい気持ちもあるけれど、そうしている間にも時間は過ぎてゆく。だからまた次の目標に向き合ってみる。

漠然と語り継ぐ事とか、既にある良いものとか、努力さえすれば報われるような世界というような事を考えてみたりする。最後のは綺麗ごとなのかも知れないけど、そう思える人が増えてゆくならそれはいい世の中に向かっている事だとも思う。


どういう努力かということもあるけれど、少なくとも一定のレベルまでは努力で辿り着けたり、辿り着け易かったりというのがあると、嬉しいかなと思う。まあ漠然としている。成果がでるかどうかより生きやすいかどうかという次元かとも。



知恵の部分とか、情報の部分でも最終的には生きやすいとか充実している事に繋がる事が大切だ。でもそういうのはもっと大きな視点から言えば豊かさがなければ無理な部分もある。でも他方でその豊かさを手に入れるにしても精神的にハードだったりならどうあったってギスギスしてくる。



多分、普段の生活の中でのちょっとした嬉しさとか安らぎのようなものがあって、頑張れるという面もある。思考というよりアイディアとか、心遣いなのだろうなと思わなくもない。じゃあ始まりは優しさなのだろうとも。


クリスマスがイメージにあるのはしょうがないのかも知れない。何故ってそれが幸福のイメージそのものだから。ミスチルの「Melody」という曲そのものと言っても良いだろう。



優しく、と言っても優しい嘘でというのはどうも自分には合わないらしく、それは創作でいいと思ってしまう。むしろ優しさだけではなく、どうあっても本当の事を、そう受け止めた上で、それでも何とか一緒に乗り切って行きましょうと、そう本気で言える方が好きなのは自分が熱血漢だからだろうか。


綺麗なものを見ようと思ったってしょうがない。むしろ綺麗事ではなく、やり易くするというのが根本的な解決方法なのだろう。そういうところでの地味な作業の根にあるものが数学だなと自分は信じている。



まあそこまで行くとまた別の話になって来そうだけど、基本的な事に留まるなら創作の範囲で何かを収めた方がいいのだろう。それこそ世界が美しく見えている時の感動とか、それ自体が奇跡のようなものを作り出すとか。何よりも生きようと思える。



生きようと思えるし生き易く。


そんな風に要約できるなら、どのレベルでそれをやるかだけの気がするのだ。そして知なのか美なのかということ。


やや壮大なテーマになってくるけれど、何にせよ難しいと思っていて中々向かえないそういうところに進んでゆきたいだけなのかも知れない。

それはそれでよく

「そんな優しい気持ちになれる日も確かにあるんだな」


その日が来てみるとやっぱりで、なのに意外で


笑顔があふれている


今日だけなんて事ではないけれど


こんなに自然に微笑んでしまう日は特別なんだと



また来年もこの日を迎えたい 気持ちを覚えていたい



とまあ、そんな事を言っていると薄れてゆくものなのかも知れない



赤い服を着たその人も結局見掛けなかったし



子供の頃とは違う風に良さを実感するものだけれど



僅かだけど本当に何かを届けたい気持ちになる



できるだけ素敵なものがいい 



それはこんな書き出しのストーリーかも知れない



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煌めいているどこかの街で 妙に暖かい光に包まれていたように思える


あの時


また今年も誰かには見えているのかも知れないなぁ、なんて思う



僕に見える野暮ったい世界の姿など 見えない方が素敵かも知れないし


見え過ぎるくらい見えているから改めて素敵だと思えているし


どちらにせよ温かい気持ちになれるそんな夜に


僕は夢を見た


自分がサンタになった夢をである


\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\

おくりもの

聖夜に穏やかな気持ちで、少し心がぎゅっとするような事を考えながら書き始めている。すでに特別な感じは失われ始めている気もするけど、やっぱり世の中はどこか浮き足立ってて、その日じゃないと起こらないことも確かに。


一方で早くも年末という雰囲気が漂っている。自分なりに、そして出来る限り頑張ったはずの一年も終わりに近づいてくるとやり残しがあるような気もしてくるのは仕方のない事なのだろう。だって上手くいった事ばかりじゃないから。


それでもこうやってゆったりと余裕を感じながら過ごせる日々は、ある種の理想であって、むしろここから何を望むかという事もこの頃は意識し始めている。やっぱり曲を作ったりというのがやってて楽しい事だし、創作も次のステージにという気持ちが奥の方にある。クリスマスネタもなんとなく欲しいなと思ったり。


今日だからという訳ではないけれどやっぱりあの一言を言ってみたくなる。


メリークリスマス


本当にそれはこの日を迎えた人を労うような言葉のようなニュアンスがあるんじゃなかろうか。ハッピーニューイヤーまでの僅かな日々だけれど、こんな気持ちで過ごせていけたら残っている気持ちもスッキリするのかも知れない。

次を選ぶこと

どこに向かっているのかという事が時々はっきりしなくなる。妥協なく悩んで選んだものは何にせよ結果的にそこしかないと思えるようになるけれど。

Mステで生放送を見ていると時代を彩ったアーティストが何となくだけれど期待に応えようとしている姿に思えてくる。時代がそう望んだものがなんだかんだで発掘され、取り上げられ、ある立場になってゆく過程。


程度は甚だしく異なるけれど、ブログも何らかの役割を担うようになるなら、空気のような何かを捉えるように求められている事を行なってゆくのかも知れない。


日々を生きることは、どうあっても「意外」の連続である。誰かが何気なく言ったことも誰かにとっては重要であったり、逆に重鎮の発言もそれほど自分には関係がないという事もあり得る。友人との間にあるこのブログにとっては、友人のめでたい話題ともなればそれがとても大きい事で、今後を左右しうる事と言っていいかも知れない。


まるで自分が過去に読書メーターである本をレヴューしたように身近さと大きな事が複雑に絡まるような事が実は当たり前にあるのだろう。アーティストの個人的なことは、ファンにとってもまるで拡大された意味を持つようであって、そういう事も重々承知しているアーティストなら、何かを背負うように何かを発しているという事もあるだろう。


個人的な事を拡大解釈するのではないけれど、自分が健康に過ごして望まれている事を続けるのは多分、邪推とかなしでも普通に望まれているだろう。むしろそう望まれている中で生きていた方が健全で。


よくよく考えてみるとどこがスタートなのかもよくわからない。勿論自分の中での意味づけはある。けれどこのブログとかこの活動の中での今の一歩はどういう意義があるのか、実際のところ分からなくはなっている。多分、何か役割を持つようにという視点で考えるなら自然とそうなってゆくのだろう。



自分が捉えきれていないものの中で何らかの位置をもっている。そういう感覚である。たまたまその捉えきれていないものの中で何か必要となってそうある、そういう感覚もある。



自分達の何が、もう少し広がりを持ちうるのかという事なのだろう。というか自分達の関係性を通して、自分達の等身大のもがきを何かに当てはめるように見て何か似た状況に意味を持たせられうるか、何てことが本来重要なのも知れない。状況をそんなに知らない他の人が見ても何かを感じれるようなものになった時に生じる、拡大された意味のようなもの。



でも自分達はまだそこまでのものを感じれてはいないだろうと思う。でも一つ一つが「重み」を持つかどうかで言えば、次第に重みを持ち始めていると思う。



何でもいいというわけではない。それだけは確かだろう。だからこそ出てきたものがまた何か意味を、役割を持つのだろうとも。

連れて行ってくれそうな

目覚めと関わっている情報、とでも言えるのだろうか。ふと何かを思い出して、しようと思ってたことを再開するという事が最近続いている。忘れているというよりも、浮かぶまで運とか成り行きに任せている感じで。


結構当たり前の事だと思うけれど、世の中に情報としてあるもので自分のテンションがあがったり、覚醒したり、やる気になったりするものはどこかに眠っていると思われる。そこにたどり着くまで探す労力、気力などで物事を進めるというのはやっぱり決まってくる。


精一杯外に出て探す、ネットで調べ尽くす。知り合いに聞いてみる、そんな手繰り寄せ方で可能な範囲で知れるものの中で動いていて、あとは想像というか。でも想像で決めつけて、行動に移してゆくのもなかなかしんどい。


文化というか情報の自然な連なり、方向性というものが感じられれば、それはその果てに何かを思い浮かばせる。暗示とも似ていて、文化にしても最初はちょっとした「流れ」から始まってムーブメントになるのだから、流れから自然発生的に起こるものが大事である。


「新しい何か」的な流れに身を委ねて、何となく語り始めるという事をしていると、やはりその時その時で浮かんでくるものが変わってくる。曲だったり、フレーズだったり。本来的には繋がりがあるのかどうかは、そう自分が繋がりを感じて語っているだけとも、もともと創作物同士にある関連とも言えるのか。


何にせよ発見はしているわけだ。一つの入り口から、何処かに繋がって行って新しい意味で解釈する。その向こうに、探しているものがあるようなと思うのだろう。



寝起きのおだやかな情緒である。始まりであり、自然に浮かんでくるものが付けてゆく跡が何だか続いてゆきそうで、そうでもないような。この目覚めは何の為なのだろう、この目覚めを何にしよう、多分今は今だけで閉じていない。



多くが眠っているから見えるものがある。自分に根付いたものが導くというか、そこからの目覚めなのだろうと思う。


何処かに連れて行ってくれそうな、コードに乗って。

今週の競馬

いよいよ今年最後の週です。というか明日も競馬があるのでちょっと楽しみです。
土曜日の阪神Cから見て行きます。


・グランシルクは父ステイゴールド、母父Dynaformer。ヘイルトゥリーズン系同士の
配合ですが、むしろこう言う配合の方が繁殖で都合の良い場合があります。成績は
結構安定していますが重賞馬ではないのでシミュレーションはまた今度。



そして日曜のホープフルSですね。話題性から言うとコスモスを取り上げるのが良さそう。


・コスモスは父フリオーソ、母父ゴールドアリュール。ブライアンズタイムの子とサンデー系の
子の配合でインブリードが少し薄まっているというのが特徴でしょうか。ダート血統ですが
芝でやれるかどうかは未知数のような気もします。



そして有馬記念ですが、ここは僭越ながらちょっとした予想をさせていただこうかなと。展開
としてはキタサンが逃げずに番手辺りで折り合う可能性もあるかなと思っています。サトノダ
イヤモンドやマリアライトといったディープ産駒の瞬発力を考慮するとやはり早目に脱け出さ
なければならないでしょうから、後半からのペースアップが考えられます。ゴールドアクター
が地力で勝ってしまう事もありますが、馬券としてはキタサンとサトノダイヤモンドの馬連
が無難と言えば無難かなと思います。もちろんゴールドアクターも押さえておきたいですね。

共有してるなんて

「新しい何か」として始められる、そんな気配を感じつつ、ではどういう方向に舵を切ろうかとそんな気持ち。

やはりブログの統一感から言って地元二本松の話題に絡めつつ語ってゆく方が良いだろう。



駅前などがライトアップされているらしい。近所や自宅でもちょっとしたイルミネーションがチカチカと点滅していたりして、具体的な文化が身近なところで展開されているなと感じる。一方でそれは元々は外国の文化で、それが日本に輸入されて、地域レベルになっているという過程を経ている。逆パターンもありや?と想像してみるが、二本松発で何か身近なものに、というのは難しそう。ケンミンショーなどで取り上げられる「ざくざく」がぎりぎり語れそうな単位かなと思う。


もちろん菊人形や二本松少年隊という具体的な見所もあるけれど、なんというか身近なところにあるようにはし難い部分がある。とっつき難いというわけではないけれど通好み?



ローカルな文化と言っても普段から語られるようなものの方が理想ではある。管理人Oくんに「文化の一つとして自分達の何かをはめ込みたい」とDMしたのだが、彼が返信してくれたように「気がつけばそこにあったみたい」なそういうものになれればブログの本望とも言える。


それは多分、余計な事をそぎ落として言ってある種の「パターン」のようなものとして共有されるというか、「セット」として機能する何かだろうなとも思う。ここで生きてきた知恵が作り上げる型というのか。そうなると「ノリ」とも少し違う、気もする。



実際のところ「二本松の人」として語るよりももっと単位の小さい、スロぺ管理人としてとか、個人とかそういう風に語っているはずである。だが勿論、「二本松の中のスロペ」という位置を何処かに持ちたいなともこの頃では思う。



言葉で表現するほどそれは容易ではない。ただ何かに近づいていっている感がある。



そういうものになるには実のところ地元だけを意識するだけではダメだと思う。現代はSNSで「近さ」の感覚がぼんやりしてきている。何より大規模な文化があってそれとの関連の中で生じてくる身近な例が、ある種の文脈をもって興味深く映るのである。



それほど知られていないアーティストのクリスマスソングをイメージしながら続けてみる。「共有」というのが何にしても大事な事だと思う。イルミネーションも明かりを共有していると考えてもバチは当たるまい。


https://m.youtube.com/watch?v=3MXXyo2pTMU


本当のところその根元にあるそういう共有したいという気持ちを共有、、、してるなんて。

ここからそこに

やや感覚的であるものの、理と事実を通して関節的に確認しているぼんやりしたものを少し信頼して書いてみる。


そのぼんやりしたものが実は創作などで新しい何かを受け入れる体制を形作っているとも言える。暗黙の了解とか、暗黙の前提とか、語らないけどみんながそうだと思ってる事とかも。もっと具体的に言うのなら、漠然とそう思っているけどまだ何がそうなのか特定できてない事。


「何が」、「そう」なのだろうか?


「何か」ははっきりしないけれど「そう」であると認識はしていると思う。つまり言葉にはなっていないし、特定しない限り何を語っているのか分からない。でも確かにその何かに主語があってしかもそれが「ある新しい何か」だと言うのなら、「ある新しい何か」は「匂い」のようなものを与えていると思う。



そう言っても分からないかも知れない。ただそこにある運命めいたものとでも言うのか、道はないけれど何処かに繋がりうると思えるというのか。そうやってこちらから動かしてみるから、誰かから動かされたものに至れるという、そんな感覚である。

今週の重賞

今週はぐっと冷えましたが、週末はどうなるのでしょうか。毎週続けてきたこのコーナーも段々安定してきて
いますが2歳の血統を見る度に時代が移っていくなと感じます。先週勝ったフランケル産駒のソウルスターリ
ングに続いてミスエルテが今週出走、しかも朝日杯にですがやはり激走を見せるのでしょうか?
まずは土曜日のターコイズSですが、紹介できそうな馬はエテルナミノルですね。


・エテルナミノルは父エンパイヤメーカー、母父フジキセキ。血統表をみるとかなりインブリードが多く、
その分裏を返せば配合でアウトブリードにもしやすい血統でもあります。ノーザンダンサー系、というか
デインヒル系などの馬で安定しそうにも思えます。日本だと選択肢ではハービンジャーになると思います
が、

http://www.jbis.or.jp/topics/simulation/result/?x=30&y=2&sire=0001115148&broodmare=0001171061


ノーザンダンサーとリファールの5×5が入っていて結構いい印象です。


そして朝日杯ですが、今年は何となくマンハッタンカフェ産駒が多い印象。O君こと浅見くん指名の
モンドキャンノも有力馬ですね。やはり距離が心配ですが、地力はありそうです。ミスエルテが牝馬
なので次回にするとして、妙に気になるのがレッドアンシェルです。


・レッドアンシェルは父マンハッタンカフェ、母父Storm Cat。この血統ならばミスプロ系の母で
なんとか活かせそうな気もしますが、とにもかくにもマンハッタンカフェ産駒となると活躍しないと
種牡馬入りは難しいのかも知れません。



さて来年からのこのコーナーの事も考えないといけなくなってきていますが、O君にも少し相談してみる
事にします。時々注目した馬が勝ったりするので自分としては続ける意味はあるのですが見てる人はいる
んでしょうか?

新曲です

自分のできる範囲ですが音楽も結構楽しんでやっています。
少し前にできた新曲「道の上」です。
メロディーから作ってみたらどうかなと思って、イメージだけ決めて
全然出てこない日が続きましたが、ある日すらっと言葉とともにメロ
ディーがでてきたので何か違う気分になります。


タイトルの「道の上」というのはけっこう意味があって、意識はしてませんでしたが
ミスチルの「くるみ」という曲の最後の「君のいない道の上」というフレーズを引き
継いでいるような感じで、やはり道が「未知」という風にも聞こえるので未知=新し
い世界にという気持ちが入っていると思います。

麗しき人の夢 ⑫

「うわ…」


その朝妙に印象に残るストーリーのある夢を見ていた気がした。なんというか、中国のような苦境に生まれ育った若者が誰かの復讐をしようとして只管矢のような道具で遠くの的に当てる練習をしている、というような夢で夢を見ているのは自分なのに、完全にその人物になり切って生きていたように思う。


現代ではあり得ないけれどその念の凄まじさが生々しく、ちょっと思い返しただけでもしっかり筋のある話になっていたのでちょっとした映画を見たような気分だった。ただ刺激が強すぎたのか、冬になりかけているのに少し寝汗を掻いてしまっていた。


「ってか…マロいたのか…」


寝汗を書いていたの理由はもしかするとそれだけではないかも知れない。布団の胸元には普段は足元で寝ている猫のマロがちゃっかり入り込んでいて寝息を立てていた。そのちょっとした寝苦しさが見せた夢なのかも知れない。ここで起き上がって夢で見た誰かの人生のようなストーリーをメモしてみようかなと思ったけれど、そんな殺伐とした世界を好き好んで観たいとは思わないだろうなと思い直し、6時までのあと1時間程二度寝する事にした。



二度寝した時の夢は何か起きているのと同じような夢だったような気がする。



12月に入り一週間ほど経ったその日、外には早くも白いものが降りていた。マロが寒がったのも無理はない。車を出すのに障りがあるかないかギリギリの積雪量で、何にしても早めに出る必要があった。この現実感で夢の事はほとんど薄れてしまったが、考えようによってはこれも「厳しい世界」の象徴だろうし、いよいよ気持ちが引き締まってくる。



職場の話題も専ら雪の事であった。車で出社してくる人が大多数の職場だが、無理をせず電車で来たという人もいるらしい。愚痴ではないにせよ、雪への恨み節は尽きる事がない。天気を恨んでも仕方ないのだが、ほぼ雪国であるこの地方では季節の落差が激しく対応が容易ではなく、スタットレスに履き替える時期という悩ましい問題もある。できる事ならはっきりといつからいつまで「冬」と決めてくれた方が、降雪量が同じでも大分気持ちが違う。


同僚の佐藤君にもちょっと戯けた感じでそんな事を口走ってみたら、


「まじそうですよね。今週も出掛けようと思ったのに、これじゃあ無理かな…」


と熱心に同意してくれた。考えることは大体同じという事だ。



帰りには雪はある程度融けていたが、逆にそれはそれで路面の状態が良くない。帰りにマロのおやつを買って行ってあげようと思ったけれど、その日は辞める事にした。帰宅して出迎えてくれたマロにご飯をあげてから、冷蔵庫にある材料で適当に料理を始める。なんとなくその日は野菜炒め。



夜の一時は安定して創作に当てられるようになっている。物語もしっかり動き出してくれたようで、書いているうちに徐々にコツを掴み始めて、ある程度一定のペースで書けるようになってきた。投稿している小説サイトで時々もらえる良い評価も自信を深めさせてくれるという好循環もあった。



一時間程集中していた時、同時に起動していたPCのツイッターに反応があったので確認してみると、友人達とやり取りしているDMだった。そこにはちょっと大げさかもしれないが我々にとっては驚くべき内容が…


『4月でN県からこっちに戻ってくることになりました』



それは今年再会したK君からの連絡だった。つまりこれは隣県のN県にいるK君の仕事場がF県になるという事である。


『うぉ!!それは良かった!!』


『おめでとう!!』



私と友人O君は雰囲気的にすぐ祝福のメッセージを送った。K君も前に会った時にいずれはこちらに帰ってきたいという事を話していたので、希望どおりのはずである。ただ考えてみると長く住んだ場所を離れるというのもなかなか大変な事で、特に仕事では引継ぎなどでこれから色々困難もあるだろうなと想像されたので、「良かったね」というばかりでは足りない気がした。とはいえこちらとしては会い易くなるという意味で嬉しいのは事実である。



嬉しさでテンションが上がり書きもののペースも際立って上昇したのだが、ふと冷静に、


「といっても、まだ先の事なんだよなぁ…」


どうやらK君は最後にN県で過ごしたいという事から年末には帰ってこないらしく、私としても年末の予定はあまりなさそうである。


「まあ創作に当てられると思えばね」



やはり冬は冬である。

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この町にも

何かによって成り立っている自分。直接的な言葉だけじゃなく、誰にという事もなく届けられたもの。自分から出ているだけではなく、その媒介のようにも存在するのかも知れない。


それともただ可能なのがそういう自分でしかないからだろうか。受け入れたものの向こう、まばゆい電飾の暖かさに誘われ、ついそんな気分になってしまうような、その繋がりの中。


見えない何かなんて大層なものじゃないけれど、思い出せば記憶に止まっていることが確かな、そんな重なりがどこかに留まって居てほしい。


この町にもあの街にも。

本腰をいれて

本腰を入れて取り掛かる。といっても作業の内容は特に変わり映えがしない。
実際、数日で何とかなってしまうような事ならば進捗状況もはっきりしてい
るし取り掛かり易いだろう。


このスローペースな上にさらにスローになりそうな取り組み。比較的大きく
強固な部分に対して働きかけているのかもと思う。けれどそれに向かってい
ても何かはっきりした何かが出ているわけではない時の、その難しさである。


「気持ち」の方はわりと意識でどうにかなるものではないけれど、「意志」
については、意識的にそういう方向に向けることは出来るという意味で重視
している。


でも全体的には安定してきたなと思う。

向かい方

「そこから更に」というのは結構難しい。これまでの取り組み方とか意識を切り替える必要がある場合などは。


重々しい自分の心が深いレベルで動く。多分、現実との向かい方すら変える必要がある。

ほれぼれ

「言の葉の庭」をちょっと前に観て、「Rain」という曲に惚れ惚れした。今ひたすら漢字
の勉強をしているけれど、文化の身近で最たるものが「言葉」とか「文字」なのは間違い
ない。


本来は感覚的に判断しているかも知れないけれど言葉にして伝えられるものになった時、
何か違う可能性が開けてくるように感じる。書き残して後にも振り返られるものにでき
るというのもあるけれど、他者に伝える可能性も。

今週の重賞

有馬記念も近づいてきました。2歳のGⅠですが今年はなんだかまだ力関係が分かりません。
とりあえず土曜日のチャレンジCから。マイナー血統のケツァルテナンゴを見て行きます。


・ケツァルテナンゴは父チチカステナンゴ、母父クロフネでサンデーの血は入っていません。
もしかすると大化けの可能性もある馬かも知れません。シミュレートする場合にはやはり
父ディープの牝馬などが豊富なので試してみましょう。血の袋小路の感じが強いデニムア
ンドルビーで、

http://www.jbis.or.jp/topics/simulation/result/?x=72&y=22&sire=0001153692&broodmare=0001126790


ノーザンダンサーの5×5のみ。母の強さで何とかなってしまいそうにも思えます。


日曜日のダート重賞のカペラSはコーリンベリーを。


・コーリンベリーは父サウスヴィグラス、母父ミシックトライブ。ミスプロ×ミスプロという
血統で既にGⅠも勝っていますが牝馬なんですね。ダートならゴールドアリュールが常道
という気がするので試してみると、

http://www.jbis.or.jp/topics/simulation/result/?x=1&y=13&sire=0000619768&broodmare=0001137798


ヌレイエフの3×5という通な配合。


最後に阪神ジュべナイルFは血統的に面白そうな馬を紹介してみます。


・ゴールドケープは父ワークフォース、母父デュランダル。ワークフォースがキングマンボ系なので
あまり変わり映えがしませんが、こういう血統で走る場合には主流が変わる可能性も。



・ソウルスターリングは父フランケル、母父Monsun。母系が非常にマイナーですね。ほぼ日本馬で
はないですね。

悪くない味

鍋が恋しくなってくる寒さが当たり前のように到来する。スーパーでは当たり前のように鍋用のパウチ式の各種スープが並び始める。そしてやはり僕はごま豆乳を選ぶ。


多分どの街でも似たような光景があるのだと思う。最近では特に。SNSなどで窺い知れる人々の生活はそれほど大きくは変わらない。『大体』は同じ事が関心事で注目が集まっているものに自然に意識が向かい、みんなもそうしてるんだなと思いながら鍋をつついている。


「こんだけ置いてあるのはやっぱり売れるからなんだろうな」



鍋文化に、或いは小売店の上手な商売に少し呆れ気味に感心しつつ放り込む具材を探す。豆腐はマストであとは野菜多めに。


<やっぱり日本中で売れてるんだろうな>


そんな事を考えていると少し不思議な気持ちになる。何かがあるとしてもこの町だからという事でもない。僕が地元に思い入れがあったとしても、違う場所に住む人は何らかの意味でそこに愛着を感じているだろうしその人にとって特別な場所になってゆく。時々覚える特別な情感もこの町だから生じるというわけではないのかも知れない。


「…」


春菊を取る手が一瞬止まる。


<これで良いのか?>


いい筈である。悩む事なんてない。いい筈なのに、「良い」と言ってくれる存在は自分の中には見当たらない。どこか誰かに確認したくなるような、けれど確認しようのないそんな迷いも時々ある。何に迷っているのかさえ正確には分らないのかも知れない。自分で何となく「これで良い」と思えればそれで良しとするしかない。


特に変わり映えがするというわけではないが、何となくしっくりきた方の春菊を選んでカゴに入れる。



セルフレジで会計し終わってから店を出る。雪こそないものの、冷たい風が身に堪えて思わず震えた。いそいそと車に乗り込んでエンジンを掛ける。そこからの挙動はもう慣れたもので、ほとんど何も意識しないままに駐車場の裏から細い道を選んで公道に出る。ラジオから流れる男女のパーソナリティーの漫才のような掛け合いに時々頷いたりしながらなるべく一定のスピードを心掛けて走らせていた。



何があったというわけではなかった。何かがあるほうが面倒くさいと思う性格だから、その方が良い。普段ならそう思う。でも午前中にとある邦画を見て、少しくらい何かがあっても良いかもなとその日は思った。ただそれだけである。



この町も、あの舞台と大きくは変わらないのだから。



それでもこの町は秋が過ぎれば例年あとは静まってしまう。それはまるで次の時の為に何かを蓄えるようでもあり、ある意味では本来の姿なのかも知れない。そこで何かを探すという事は、ひどく低い確率の抽選会をしているようなもので時々馬鹿らしく思えて家に籠って本当に望んでいるわけではないけれど、気晴らしができる話題に目を向けてしまう。



今も帰宅してテレビを点けたところだ。土曜日だけあってそれなりに面白そうな番組もある。



賢明な在り方だなと思う。この町にしては見どころあるものも、「この町にしては」という修飾語を除いてしまえば余所と比べて格別すぐれているわけではないことくらい承知している。それでも見慣れた駅前が少しでもライトアップされた様を実際に眺めれば何か不思議と特別な気分になったりする。



この国のどこか知らない町を知名度があるタレントが歩いている。少し前に収録されたものがこちらでは遅れて放映されているらしく、まだ暖かそうな雰囲気がある。



夕食までの時間しばらくそれを見ていようかなと思った。するとどちらかといえばうらびれた通りを歩いていた男性のタレントが感じ入った様子で何気なく呟いた。


『なんか、こういう静かなところも趣があるというのか』


僕がそれを聴きとった感じでは無理に繕って言っているようには聞こえなかった。本当にそう思えて言ったというそんな感じだった。


「そういう風に感じる人もいるんだな」


自然に声が出ていた。なぜだろう、その時僕は妙にその言葉が心に残った。




数日後、僕は仕事上の事務手続きの為に午後から休みを貰い役所に出向いていた。窓口で申請するとさほど時間が掛からずに済んでしまったので少し空いた時間ができた。ほんの気紛れで近くを歩いてみようと思った。



ここ数日に比べると外は過ごし易い暖かさで、平日の昼間という事もあるけれど辺りには穏やかな雰囲気が漂っていた。地元の事はよく知っているつもりだったけれど、実際に道を歩いてみると印象が違う。



「でも趣はそんなに感じないかもな…」



あのタレントのようには感じれない自分が本当なのだと思う。けれどそれとは別なものが僕の中にはあるような気がする。その時、それが何なのか確かめたくてしばらく歩き続けた。ふとある建物の前で僕は足を停めた。


「ああそういえばここ、あいつが話してた」


それは「有限会社〇〇」というごく普通の会社の建物だった。今も経営されているのかは外からでは分らないけれど、何故ここが目に留まったのかといえば中学時代に仲の良かった同級生が、


『『有限会社〇〇』の傍にある自販機に…』


とまさにここにある自販機について頻繁に口にしていたのを覚えていたからである。何でその自販機なのかと言えばその友人の学校からの帰り道にあるその自販機にその友人が好きなマイナーな炭酸飲料水があったかららしい。今でもその友人が『ゆうげんがいしゃ』の部分を強調する得意気な声が蘇ってくるようである。



見るとその自販機にそれらしい飲料があった。試しに買ってみても良いなと思ったので財布から小銭を取り出す。ボタンを押して出てきた缶ジュースの味は妙に懐かしく、そして妙に甘かった。そう感じるのは舌が大人のものになってしまったからだろうし、もともと友人が甘党だったからかも知れない。


<悪くはないな>


そう思った時、僕は先ほど感じていた僕の中にあるものの正体がなんとなく分ったような気がした。一言で表現するならそれは…



知らないのに知っている



という事ではないだろうか。この町に住んでて知らず知らずに与えられていた情報は普段は意識しなくても確かに自分に息づいている。それがこの道を、何かそういう印象にさせるのだろう。


「悪くないな」


そう呟いてジュースを片手に道を引き返す。帰りにまた「ごま豆乳」を買おうと心に決めながら。

うた

ある曲がふっと心に浮かんだ。なぜなのだろうと考えてみたら、この前O君がカラオケで歌った曲だった。ゆずの曲だけど。


またカラオケに行きたいと思った。


歌は心を繋ぐものかも知れないとぼんやり思う。無理やり説明すればそれらしい事も言えるかも知れないけれど、何か行き詰まったところで何処かに繋いでくれるような気がする。

ささやかに

何が変わるでもないけれど、少し気持ちが動いたような気がする。冬に切ない映画を観ると特に沁みる
というのか、観終わってから何かを求めたくなっている。大きな事に比しての日々の変化は取るに足り
ないものなのかも知れないけれど、そういう見方はある意味で自分という存在の歴史を覆い隠してしま
う。世界にとっては僅かな差異、けれど自分にとっては確かな変化。


どうしようもないくらいに自分は変わっていってしまっていて、同じ映画を以前に観た時とはまた違う
感情が芽生えているのに気付く。それが妙に心地よく、切ないだけででもない感じ方になっている自分
に頼もしさすら覚える。



ささやかに加えてゆく、昨日とは違う何か。

この中で

ずっと続く日常。日常という漢字はもともと太陽が永遠不変の存在であることを言うそうである。


なるほど、物理学的には成り立たないのだろう。自分が感じていた違和感もそれである。太陽が不変ではないと知った頃から、徐々に日常というのはフィクションのようにも思われてきたのは確かである。


だからこそ、現実に寄り添うには日常よりも「新しい何か」と呼んだものの方が相応しい。その現実感の中で何かを語ろうと思う。

それは

「加えてゆく」と言っても大したものではない。イエモンのブルーレイを観て本当に良い時間を過ごせているし、考えていることは殆どない。それでも純粋に何かを願って、こんな日々が続いて行くようにと思う気持ちはただ心がそのまま言葉を紡ぎだしてくれるようである。


なんだかんだでいつも最後には前を向く。それでも前に向かうべきものがあると思えれば良いなと感じる事も多い。結局は誰かの幸せを願うことが自分のエネルギーなのだと最近では思う。「身の回りをちょっと良い感じに」くらいが必死でやって出来るか出来ないかの存在なのかもと思う部分もある。やらなくてもおんなじなのだろうなと思う反面で、やれるだけやって、抵抗するというのか粘り切ってみたいという想いも強い。


もし本当に良い方向に動かしたいと思うならというわけではないけれど、具体的に他の誰かとのやり取りがあってその上で自分が本心からの動けるような事がやっぱり本当に望まれているもので、むしろ良い方向に動かしたいのは結果的にその方が誰かの為でもあると思われるからと考えた方が正しいのだと思う。


自分にとって特別な存在、特別な気持ちにしてくれる存在、いや自分が生きようと思える理由の一つであるような存在は、、、。



なんだかそれも後から思えば意味のない思考なのかも知れない。意味あるものを加えることは難しい。

見つめて

やればやっただけ結果(成果)が出るという『何か』はやはり続けたいと思える。その何かが
例えばポケモンGOだったり、創作だったり仕事だったり…と続けてゆくとそういうものはわ
りと少ないんじゃないかと思えてくる。


工夫は必要だ。けれど工夫していい方法を見つけるにもまず取り組んでみるしかないという気
もする。他方で、かなり長い目でみればやればやっただけの反応があるというのはある程度確
かかもなと思えるような事があって、結構満たされた日。


自由にやっている事は「ここまでやればいい」というのが実際決まってなくて、ある種自分の
気持ちが続いてそのクオリティーまでは漕ぎ付けたという事の繰り返しだ。自分で何かを決め
て、それが面白そうだったらやってみる。一度やってみた事が『過去』になり、それと比較し
て今が確認できるという事もある。


散歩をして綺麗だと思って撮った「彩雲」をこの前ツイートしてみた。今日見た雲はそれより
は彩が少ないけれど、何か空に重なった部分が奥ゆかしさがあるように感じられた。比べられ
るというのもやはり「過去」があるからだ。美しい景色の発見とか情景との出会いも、やはり
長い目で見ればやっただけ良いものに出会えるような気がする。もちろん、何も見つからない
「間」があって、結果が出るという事を信じられなくなってくる。



むしろ、そう思えるまで続けて結果を出しているだけなのかも知れない。



主に創作の事でまた「工夫」というか、意識をする事が増えたような気がする。意識をする事
が多い場合に、それを持続させるのはなかなか大変ではあるがある種創作をする場合にはキー
となる要素だと思っている。意識して見続けるとか、続けるのも何かの成果に繋がると、自然
に思えている。

今週の重賞

今週から三場開催ですが大きいレースが多い週です。土曜日のレースから見て行きますがステイヤーズSは
アルバートが有利でしょうね。さすがに一年を通してこの企画を続けてきたので紹介できそうな馬がいませ
ん。というわけでちょっと強引に金鯱賞に移ります。


・デニムアンドルビーは父ディープ、母父キングカメハメハ。休養明けで無事走ってくれることを祈る
ばかりですが、引退も近いでしょうし繁殖としても相手を考えなければならないと思います。おそらく
この血統であるが故に現役にこだわる部分もあるのでしょう。無難なところではクロフネですが、

http://www.jbis.or.jp/topics/simulation/result/?x=32&y=12&sire=0000615577&broodmare=0001126790


ノーザンダンサーの5×5ですね。フレンチデピュティー牝馬とディープの相性がいいのでこういう
のは自然ですがパイロなどもいるので、

http://www.jbis.or.jp/topics/simulation/result/?x=41&y=4&sire=0001085636&broodmare=0001126790


ミスプロの4×5と悪くなさそう。



GⅠのチャンピオンズCについては予想を。枠もいいですし普通にアウォーディーかなと思います。鞍上に
期待するならロワジャルダンがちょっと何かをしてくれそうで面白いかなと。
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ブログには珍しく二人の管理人で更新してゆくブログです。

二本松のこと、競馬のこと、これから手探りで何かを
やってゆこうと思っています。




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