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スローペースで、二人で出来る事を模索しながら。二本松、競馬、などなど。

そのまま

何か新しい感覚。


思いっきりそのまま表現したいという気持ちがある。それは得てして作品になるのだけれど、一回限りとかではなく絶えずそう続いている気持ちがあると、何かその気持ちがあるという事を伝えたいというような自分を発見する。


自分はどこか人間というものの「本当」を表現したいなという気持ちがある。何も考えずにそのまま出したいという気持ちも本当なのだけれど、それはどれ位本当なのだろうか。


自分を冷静に見ている自分もいる。熱くなり切れない自分もいる。ある種ありのままというのはどちらか、ではないのだと思う。そっちもあり、こっちもあり。


そういう風にしてゆくのも良いけれど、そう認めた上でそのままの自分を表現した上での何かを知りたいというのも本当だと思う。
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厳選して

充実した内容を目指して書く事を考える。どうも同じことになってしまっていると感じられる。単純に過去言った事がこの激動の世の中にあってもまだ通用している事を確認するだけのような話になりそうで、敢えて書く必要があるのかと疑問に思ってしまう。


余計な事は言わない、そんな厳選も必要になってくるのだろうか。

また頑張ろうと

関係者K君からのDMが自分にとっては吉報という感じだったので妙にテンションが上がっている。


ただ、それを知らせるという気持ちではなく「今のこの心境」にとってそれがどれだけ大きい事で、また生きてゆく中でそういう事もあり得るのだという感動というか、意外さを含んだ嬉しさが特別だったので何か覚えておきたかったので書いてみる。


そもそも「特別」というのは自分にとってだろうと思うし、自分にとって普通な事が他の人にとって特別である場合も考えられるというか普通にあると思う。心が動くという事ならやっぱり自分にとって特別なのは間違いない。


うまく行く事ばかりではない人生で、それでもそんなものだと思っているその想像を覆す事はやっぱりあると思う。普段は忘れがちで、感動も薄れてしまうものなのかも知れないが、そうではなく生きていてその中でやれるだけの事をやっていれば何かがあるかも知れないなと信じれる時間がある。



そんな時間を特別と呼ぶのなら、もしかして段々とそういう時間も増えて来ているのかも知れない。また頑張ろうと思うのであった。

イントロのような

余力がある時に、それを後の為に活かせたらなと思う。今がそんな感じ。そのまま眠ってしまってもいいけれど、うっすらと「違う」意志が混ざっているように感じる。


静かな夜だがカタカタと小さく何かの音が聞こえる。意識するほどのものでもないし気にならないけれど、まさに自分のうっすらとある意識だとそれなりのものとして弁別している。


この微妙なものを知覚している、こういう澄んだ意識で世界を見て感じているなら何か違った風にも見えてくる事があるのかも知れない。


文化はちゃんとある。けれどその解釈は色々あっていいように感じる。何を中心に、何をメインの概念に据えるかで。うまく言えないけれど、こうありのままの世界があって、そこで考え始めるかについて文化がどう影響しているか、つまり何が自然に想起されるかが大事という気がする。


この頃パスピエというアーティストの「贅沢ないいわけ」という曲が想起される時間がある。歌詞もすぐには理解できないけれど雰囲気はすぐに分かる。今はその雰囲気に近いと言えるのかも知れない。


ただその雰囲気を一旦保留にして、無色で眺めて見てそこから本当に自分が思っている事にたどり着けないものか、ちょっと試している。



とにかく自分から始める。そういう気持ちになっているから「新しい何か」がある。そこから始めたものが何かに結実する未来を思い描いてみるとか、その気持ちが自然に行き着くところを見て見たいとか、つまりはそういう事なのだろう。



大した事は浮かびはしないのだ。言葉にはならないそんな領域があって、語るまでもないから語られない時間、空間がある。それが何処かに繋がり連なってゆく、ような。長く続きはしない意識なのかも知れないけれど、でもそこからじっと耳を澄ましてみる。


つまりはイントロのような文章かも知れない。

そう思うからこそ

早く起きる必要もないけれど寝過ごした感じ。朝ちょっと起きて雨天になりそうだなと思った
ので計画していた市内の町歩きも考え直して、結果的にすることが特に無くなったのもあって
眠っていたのである。


それでも午後からは日課になっている散歩に3時からの競馬と妙な具合に満足感があって、こ
んな日には余計な事をしなくてもいいなと思いはじめたところで、


「何となく勿体ないな」


と感じた。昨晩に自分が意識していた事の続きというのか、その向こうに行くチャンスなので
はないかと思い直して、とにかく「何かを進めよう」と決める。



進めるという気持になったのはいいけれど、何を進めようか。小説、音楽、勉強。どれでもいい
けれど今のこの気持ちをカタチにしたいというのと、進みたいのだから『進めればいい』という
気持ちがあってとにかく「前」と思える事に意識を向けようと思った。



多分、このブログ的には創作も望まれている事で、うだうだ考えているよりも創って見せる方が
良い事なのは間違いない。でもこういう『日常系』も場合によってはブログの意図に沿う事もあ
る。



と振り返りつつ散歩の事を思い出す。近場の散歩でもルートを変えると発見があって面白い。昨
日も少し長めに歩いて、大分風景が変わるところまで辿り着いた。日常というのは真新しい事は
ないけれど、同じ場所に些細な変化を見つけることによって成立しているとも言える。そういう
意味では、はみ出さない程度にちょっと逸れてみるようなルートを選ぶのも楽しい。



最近のポケモンGOの話題では「メタモン」が一番大きいけれど、市内でも普通に捕まえられる。
特にお城山は優遇されている感があって、私はそこで捕まえたのだが管理人Oは更にカイリュー
を捕まえたそう。



ポケモンGOも日常感があるゲームだと思う。特別なイベントはあるものの、普段は地味に歩い
て静かに見つける事が喜びになって、積み重なってゆくものでもある。重い腰を上げるようにし
て行うような事は継続できない。同じように、「その日だけ」物凄い意識で事を行うのはどうも
物足りなく感じてしまう。



なんであれ、凄い事でも地道に積み重ねていかなければできないと分ってきている。地味かも知れ
ないが一つ一つ気付いたことを記してゆくような事を、今は続けていく事の方が「前」だなと
思った。

ネタ切れのように見えて

何度か訪れているネタ切れ。というか素朴な疑問で情報というのは得る情報だけでなくて自分の
考えで何かが分かる事もあるのだから何かしら浮かんでもおかしくはないと思うのだが、その辺
りはいかんともしがたい場合もあるのだろうか。


今日は漢字典が400ページほど読み終わったところ。言葉を深く理解する事によって、すっき
りするのは間違いない。また書かれた情報を正確に読み取る事もできる。効果が次第に顕れはじ
めていると感じられる反面、物足りなさを覚えるようになる。



言葉の勉強を熱心にする時にありがちなのが、使い方は分かっても実際に使われている生きた情
報を得ないと「新しい感じ」にならないという事だろうか。歴史も含めてこれまでの事の中には
知るべき事もあるし、自分にとって有益な事が沢山あると思う。一方でそれは「これまで」の事
という感覚がどこかにある。今とかこれからの事は予測する助けにはなるかも知れないが、実際
はやっぱり違うというのか。



『仮想現実』という事がやはり一つの大きな変化なのかも知れない。ネットの事ではなくて、V
Rのように何か加算された世界を擬似体験できるようになるというのは「夢」の位置が甚だ微妙
になってくる。酔生夢死という言葉があるけれど、夢とも違うし現実とも違う、そういう何かに
浸り続けている時間というのは漢字が造られた頃には当然ないわけで。



実際、夢で体験できる世界とVRとどちらが望んでいるものに近いのだろう。もちろん現実であれ
ばより良い事もある。けれど自分の脳がフル活動してようやく見せてくれる「像」よりも、多くの
人がそれこそ眠る時間を削るように労働によって鮮やかに再現してみせた世界の方が『細部』など
がしっかりしていて見応えがある。それがある程度良い事は、反省的に現実世界との「差異」を
感覚できるという事ではないだろうか。絵画もそうだけれど、人間が思い描くものと現実が乖離
し過ぎていない絶妙なところで意識が冴えわたるような感覚がある。そこには描いた者の意識が
しっかりと出ている。



情報にしてもやはり最後の決め手になるのは細部と整合性だろうと思う。なぜそこまで求めるの
かといえば、やはり生きてしっかりと認識する事がしていたい事だし、その方が深く味わえるか
らだとも思う。そして『本物』に対して感じた事や、そこで起こった自分の感情がリアルなもの
であって紛れもなく自分だからではないだろうか。



もちろん、実際に今目の当たりにしている現実に対して特に深い感情を抱かない、というのも一つ
の本当の反応である事も確かだろう。ただその理由の中には、自分にとって未知である他者がどの
ようにそこまで至って来たかとか、どういう思考、試行の故に今の行動となっているかの全てが
知り得ないからでもある。興味の問題もあるがいまテレビに流れているフィギュアスケートの世界
も自分から調べることによって深い部分が分かると当然面白くなるだろう。そう実感するには自分
である程度のところを体験してみるのが早い…



けれど体験は容易にできるものではない。そこで創作なり「仮想現実」なりが位置を持ち始める。
見えないところ語られないところに迫ったように感じたり、そこに一つの意識を持つ事で解釈を
現実のものに近づけることが出来る。要するにその意識は型のようなものである。難しい言葉だ
とレディネスも関係している。



ただ仮想の場合はリアリティーの度合い『強度』が当然「細部と整合性」によって保たれていて、
何かが綻んでしまったり粗が見えると素直に浸れなくなる。それが『本当だ』と思える意識によ
って生じる感情で動けるのだとするなら(実際そうだと思うけど)、そこは作る側にも注意が
必要である。



そういう事を考えながら自分の創作もその『強度』なり質を高めようとし始める。ある程度の
強度でも長く歴史を持つような…例えばファンタジーでもグインサーガのような超の付く長編
になってくれば相当の労力がいるし、質も高い。逆に一瞬のような短編で強度を高めようとす
ると細部への拘りも、逆に細部に拘らない意識も確かに存在する、そういう自分の意識に迫ら
なければならない。



自分の意識だって緩んでいる時があるし、それこそ夢現の時もある。とは言っても、緩む半面
でかなり意識しまくっている時間もあるわけで、その時の細部への集中力を再現しようと思っ
たら書いても書いても書ききれないのかも知れない。だからこそ、質を高めるのは何であれ難
しいのだろう。



無理矢理なまとめになると、漢字を勉強しているのもある意味書くときの表現力を鍛える為であ
る。とはいえ、その勉強しているその『過程』と作品になるまでの作品の事を意識し続けるモチ
ベーションがにわかには結び付かず、どうも別個の事になってしまうように感じられるのだ。言
葉を勉強する事はそれ自体として楽しい部分はある。けれど言葉は使用してなんぼのものである
。使われているところに向かい、自分も使ってみる…




何にしても一言とか一字で尽くせる事ではない。具体的で分かり易い単位の漢字という文字と
その豊富さを容易には言い表せないそういう現在と、ある意味で対比されるものなのかも知れ
ない。

久しぶりに二本松ネタを

二本松ネタというほどではないですが、菊人形のニュース。昨年よりも観光客が増加したようで、なかなか良いニュースです。とはいえ、私が菊人形を観た感想ですとビエンナーレの一環である「フローラ」の方が目立っていたようにも思えますし、規模も少し縮小したかなという感じがしていました。来年に期待する事にして、あとはここにもあるように県民にとってはお馴染みふくしま駅伝で今年は8位入賞で敢闘賞です。


駅伝の話題だと岳下小学校の練習の記事がありますが、今月の27日に第5回二本松一周駅伝大会があります。詳しくは、


このページ
を。


ちなみにこのページでは広報にほんまつのバックナンバーを読めるページがあります。初めて知りましたが、便利だなと思います。

今週の重賞

今週はJC、ジャカンパック…じゃなくてジャパンカップがあります。いつものように土曜日の京都2歳Sから
見て行きましょう。良血馬ヴァナヘイムは見ておくべきですね。


・ヴァナヘイムは父キンカメ、母父ディープ。エアグルーヴの子グルヴェイグの子が既にデビューしているとい
うなかなか注目すべき状況ですが、母父ディープで活躍するとすればこういう血統だと思われますし末は大物に
なるのかも知れませんね。仮にこの馬が種牡馬になった場合はそれこそ血の袋小路で配合相手に困るのは間違い
ないですね。


もう一頭ダノンディスタンスが面白い血統です。


・ダノンディスタンスは父ルーラーシップ、母父クロフネ。エアグルーヴとトゥザヴィクトリーの血が入ってい
て、しかもサンデーが薄まっているので種牡馬としてはけっこういいんじゃないかと思われます。少し試してみ
るとジュエラーなどはサンデー系ですが、


http://www.jbis.or.jp/topics/simulation/result/?x=53&y=12&sire=0001187872&broodmare=0001168877


サンデーの4×4でミスプロの5×5。ここまでくるとサンデーは一時代前という感じがしてきますね。


京阪杯はマイナー血統のホッコーサラスターを。


・ホッコーサラスターは父ヨハネスブルク、母父ダンシングブレーヴ。この血統がどれだけマイナーかというと
、先ほど紹介したヴァナヘイムを種牡馬としてシミュレートした方が一目瞭然ですね。

http://www.jbis.or.jp/topics/simulation/result/?x=45&y=20&sire=0001192423&broodmare=0001136178


なんとミスプロの4×5だけです。日本でこういう血統を育ててゆくのは大変だと思いますが、やがて
こういう具合に必要になってくるのかもなと思ったり。



JCについては今さら紹介するということもないでしょうし、ちょっと予想を。枠順で言えばキタサンブラック
とゴールドアクターの馬連で堅いようにも思われます。道悪になった場合にもこの2頭はスタミナもパワーも
ありそうですし。シュヴァルグランとレインボーラインをあとは紐に入れるかどうかという感じですね。


というか、そういう展開になって欲しいという願望があります。強い馬には強い競馬をしてもらいたいですし。

麗しき人の夢⑪

マロの妨害のような甘え方を鬱陶しさ半分、微笑ましさ半分で凌ぎながらキーをタイプし続ける。9月ごろから私生活では執筆活動がウエイトを占め始めている。いきなり長編は難しいので何話かに分けて長めの作品を書いてみようと思い立って10月の半ばにはぼちぼち話が膨らんできたところである。誰かに感想を聞いてみたいと思う気持から友人Oに教えてもらった小説投稿サイトに登録してシリーズ物として一話が完成するごとにアップロードしていくという作業を繰り返してみたところ、思いのほか反応はあるようでモチベーションが上がった。


地元ネタを取り入れたちょっとライトノベル寄りの作品にしようと思って設定を考えたのだが、書いていて「そもそもライトノベルとは何ぞや?」と悩みそうになっていったので、あまり気にしないでストーリーを続けてゆく事にした。好きな漫画や小説の登場人物のオマージュが入っているファンタジーで、「猫が人間に変身する」という分かり易い設定から意外と予想しない方向にアイディアが膨らんでいったので自分でも面白かった。


ネット上でのやり取りのメリットを最大限に活かして、休日などに二人の友人に少し読んでもらったりしていたけれど、反応はまあまあ良いような気がする。


『なんか俺も書きたくなってきてさ、大学のサークルの事とかを題材にした作品とか考えてる』


リアルではなかなか会う機会のない友人Kもそんなノリで同じように作品を書き始めて公開し始めた。何となくお互いの作品でやり取りをしている感覚になる。作家という夢にはほど遠いのかも知れないが良い作品にしようという気持ちは結構あって、日常生活でも作品の事を意識しながらメモを取ったりし始めている。女性とその飼い猫を主人公にしているのでなんとなく物の見え方が違って感じられる。


「猫」の観察についてはお手の物である。「マロ」と一緒に生活しているだけでも無意識に色んな事を見ているんだなと実感する。語る事によって意識されるようになるという側面もあって、本来自分はそういう事が好きだから小説を書いているのかも知れない。



「ふう…」


画面に集中し過ぎてマロが落ち着かなくなったのに気付いて一旦目線を意図的に逸らす。何となく窓の外を見たのだが、秋晴れの過ごし易い日に外に出ないのも勿体ないなと思い、マロと一緒に庭に出ることに決めた。椅子から立ちあがって「外でるよ」と言った事でマロはなんとなく察したようで、何となく弾んだ歩様で玄関まで着いてきた。


「よし、出ろ!!」



玄関の扉を開けて飛び出してゆくマロ。時々近くの野良がやってくる事もあるので予め周りをぐるりと歩いて安全な事を確認する。日向ぼっこが好きなマロはしばらく玄関の近くでゴロンと横になって嬉しそうに喉をゴロゴロと鳴らしていた。こういう様子を見ていると、小説の事ばかり考えていてはいけないなと思う。なんとなく近くに腰を降ろして毛並みを確かめるように撫でてやる。


<確かにこういう生活に憧れてたんだよな…>



猫が飼いたかった子供の頃。飼ってみて大変な事もいくつかあったけれど、飼ってゆくうちにそれも当たり前だと思えてくる。愛情が芽生えてゆくという事はこういう事なのだ。5分くらいそのままボーっとしていたろうか、マロが突然きっとした表情になって少し警戒し始めた。足跡が聞こえてくるのでどうやら誰かが庭に入ってきたようである。


「どうも、回覧板です」


「あ、これはどうも」



お隣さんからの回覧板だった。マロは他の人に慣れていないので私の後ろに隠れてしまったが、「大丈夫だよ」と言って抱きかかえる。お隣さんは穏やかな雰囲気のおばあさんで、どうやら猫が好きらしく、


「あら~かわいいネコちゃん」


とちょっとテンションが高くなった。それほど近所づきあいがあるというわけではないけれど朝のゴミ出しなんかをしていて出会うと挨拶はする。マロは少し戸惑いながらもおばあさんの愛撫を受けて目を細めている。



「わたしも猫飼いたいんだけどねぇ…」



彼女がそう洩らした時、その言葉には様々な事情があるんだろうなと感じられた。こういうのは一つは縁のようなものである。もしかするとご近所さんの縁も然りなのかも知れない。会釈をしておばあさんを玄関から見送る。


『夢で出てくる人はやはり何らかの意味で自分と縁がある人なのだろうか』


あのエッセーにもそんな一文があったと思う。自分にとってその人に何かの感情が伴い、その人の人生に関わっていると思っている、或いはその人が自分の人生に関わっていると感じる。だからこそ自分の夢に出てくるのだろう。



漠然とだがそういう「縁」も小説では考えてゆく必要があるなと感じた。物語が進んで分かる意外な「縁」も何か運命めいていて面白いなと思う。


「あ…そうか。あの人と「縁」のある人をもう一人の主人公にすればいいのか…」



我ながら良いアイディアで、同じ作品世界で違うところから世界を観ている人物の物語を同時に書いていけば良いと思った。いわゆるスピンオフのような…


「でも俺に書けるかな…」



湧きあがるイメージとは対照的に力量不足を痛感している今。マロは抱きかかえられているのが嫌になってきたのか、身をよじりはじめていた。

朝に

いつになくスッキリしている。大事だと思っている事がふっと浮かんできて創作になりそうな感覚がある。


前回のように集約するように意識しても結局「今」がなんらかの意味で最前線なのは正しく、うつらうつらと余計なところをそぎ落として、一つの線だけが意識できるような感覚。


「新しい何か」から日常系への移り変わりとでも言えそう。風がビューッと吹いているのが聞こえる。休日だが早朝で、猫は起きて居たりなんとも微妙な時刻。



静かな時ほど小さな音がよく聴こえる。僅かなざわめき、というほどでもなく本当に微かな、、、。


落ち着いてはいるけど小さな地震もあって気にならないと言えば嘘になる。けれど何かしら平常な気分で朝を迎えたのは自分の中に何かが蓄積されているからだろうと漠然と思う。



醒めた意識で、それでも何か期待している。胸の内に秘めた何かが言葉を待っているような。やれるだけやってみようと思う。

これからに向かう

安易に「新しい」とも言えないのかも知れないけれど、自分にとっては新しい気持ちという部分もある。

様々な事が情報として関連しあって、今の自分の意識を作り上げているという見方。現実にはそうではないかも知れないが単純な記憶がそのままの現実を忘れないでいる事だと考えた場合、時系列ではなく音楽や言葉、イメージなどが手続き的に一つの流れをもって想起され、結果的にある瞬間のテンションを再構成し続けるなら、それもまた記憶のあり方なのかも知れない。


場合によっては自分だけでなく誰かの行為や作品によっても何かが刺激され、どこかに立ち返らせてくれる。自分の作品もそういう要素であれるなら、まさに文化とは記憶のようなものなのだろう。


スマホのクラウドサービスのようなイメージで、自分の外に漂っていて自分を補助してくれている何か、として文化を眺める。



作品のどれが前なのか後なのかというのも不思議で、時間が経っても新しい何かはあるような気がするし、時系列では新しいのに懐かしいというものも当然ある。自分はめっぽう新しいところに位置付けていたいとも思ったけれど、スタンダードと永遠に今の瞬間であり続けるという情報も憧れる。


「何かがあって」自分が成り立っているという感覚はある。誰かの詩を受け入れている時の自分。紛れもなく本当なんだなと思えた時に自分の中に芽生える何か。



自分にとっては「新しい気持ち」には違いない。でもそれはありふれていて、共通で時代が変わっても変わらない。自分の意識が「今」の瞬間に向かうようなそういう瞬間こそが今であるとするなら、「今、まさにこの瞬間こそが全てなのだ!」と言い切れるような瞬間に近づこうとさせる良いものというのは奇跡的なものかも知れない。



自分の意識が過去のある瞬間に向かうというよりも、今を覚えておきたいと思うような瞬間にする事、というかまさにこうやって朝っぱらから整理できてていい感じなそのテンションも作品にしてしまうような、そんな行為も悪くはないのかも知れない。



ただ少なくとも今が全てという意識にはならない。むしろ今はその瞬間が訪れるような希望を秘めた、感じている瞬間で「これからに」向かっている「新しい何か」であるには違いない。

まとまりをどうするか

ツイッターに情報を詰めこもうとすると少し無理があるように感じる時がある。情報量からして到底無理な感覚的なものもあるからブログというのは常にその辺りの事をのびのびと書けて丁度いいのは確かだ。


それでもツイッターの枠内に収められるならそれに越した事はない。それも無理矢理な手段よりもシンプルに言い切れる事に集中して収める方がいい。


今日はどうも内容がないというよりも、短い言葉で説明できる事じゃない事を意識していたかも知れない。内容がある場合に一つの単位を考え、どういうものとして出力するかという事も考慮すべきなんだろうなと思う。

静かな

特別な事があったというわけではない。それでもその気分に近いのは自分の成長があったからなのかも知れない。


誰かの視点が少し分かったように感じる時、そこには共感と受け入れる事が続く。何かを自然に受け入れられるようになると雰囲気ではないけれどある風に見続けられるのかも知れない。



受け入れているからこそ意味があるような事もあるのかも知れない。余裕がない時には選択肢がなくて、それこそ「運命」と思って諦めなければならないけれど、惹かれてゆくというのも一つの運命のようなもので、自分にもともとあった要素がそれを見つければ勝手に伸びてゆくような、そんな思考もあると思う。



夜の静寂は、何も起こってないからこそ自分を確かめられる。無限にあるようで、自分に身近なものから始める事が定石で、そうすると実質的に選べるものはそれほど多くはない。それもまた選ぶことに迷わない良さがある。



理屈の部分と、本当にそうなんだなと実感できている部分が混ざり合っている。無理とか強い一時的な意志ではない、続いている何かに合流できる感覚だろうか。


静かな納得だった。

冬を感じる

家の中にも暖房器具が揃ってすっかり冬の装い。意識はしていなかったが店の一角にクリスマス用の
飾りなどが置いてあるのを見て、気分も「あの雰囲気」に近づいてくる。今日は雨だったけれど、妙
に陰影を感じる。雨の日に聴きたくなる曲とか、クリスマスソングとか、何か一日を彩るような音楽
はおそらくは世界のある捉え方を促すのだろうと思う。


世界は自然と人が織りなしているという捉え方で自分だけがある気分になるのではなく、多くの人の
行為や自然のなりゆきがある色やカタチを生み出すときがあるのだと、そう思っていいのだろう。ポ
ケGOが出た事による自然な発展、人々の共通の行動、それをある方向に誘導しようという意図。変
数が幾つも重なって、意外とシンプルな展開になってゆくと独特の世界が実現する。ポケモンがゲー
ムボーイで出た頃にもしかしてこういう『未来の世界』を思い描いた人が居るのかも知れない。



とはいっても、文化は一様ではなくそれとは無縁に行われている伝統とか、オタク的な要素がある
ネット文化とか、一つの世界とは言っても注目すべきところが色々ある。相撲実況を見ていると、
何か歴史と儀式と様式が現物として体感される。それを自然に受け入れられている自分はやっぱり
日本人で、それを見て落ち着くというのもやはりそういうものの良さが自然に理解できているのだ
ろう。相撲も雰囲気が大切である。


ならば『雰囲気』という、「何かが起りそうな感じ」とか「何かがあり得そうに感じられる」とい
う感覚を多くの人が共有していると思っても良いのかも知れない。むしろそう感じている人が自然
に何かを期待して引き起こすアクションを見て、何かを感じ、自分もそれに倣ったり巻き込まれた
り、そういう雰囲気で可能な事をするのだろうと思う。



「新しい何か」は本来、そういう新しい雰囲気を目指しているものだったと思う。というか、染めら
れていない雰囲気で、だからこそこれまでにない何かが起こり得るという発想で始めたと言っても良
い。



最初に陰影という言葉を使ったけれど何を語り強調し、何を語らずにいるかというのも陰影のように
感じられると思う。結局『意識』の事であって、何かを意識すれば他の何かは薄れてしまうという
性質があって、様々なものがある中で何を浮かび上がらせるか、何の線を見てとるのかというのも
先ず主観としては意味がある事である。それでいて、自然にそう見える時と雰囲気を自分で作って
いってそう意識的に「見る」ようにしているのではやはり何かが違っているように感じる。



「今」の何か。言葉では上手く説明出来ないそういう方向性は語るというより、自然とそのノリで
進めてしまう方が良い。それにしても冬めいてきたなと思う。

可能な範囲で

来週くらいからまた仕事の事を考えるとして、今週はひたすら散歩=ポケGOに明け暮れる日々である。
毎日10キロくらい歩いていて、主な目的はポケGOだけれどこれまで歩いたことのない道を開拓して
散歩コースを決めようというつもりで色んな道を通っている。地名にも大分詳しくなった。


基本は「何にも無い」という場所をそれでも目を凝らして見てみるとやはり場所によって様子が異なる
のが分かるし、雰囲気も違う。リアルでシビアな事をいうと除染した土の仮置き場が外れの方に点在
していたり、坂が多くて普通は歩くようにはできていない感じで続けるには根性が要る。でももともと
ポケGO自体がそういう地道でコツコツと積み上げるのが好きな人が続けられるゲームなので都合が
良いと言えば良いのかも知れない。


景色が美しい場所も結構ある。午前中は某公園の周辺を歩いて雲一つない空の様子に目を奪われた。
午後は午後で寒さを感じつつも気持ち良く過ごせたように思う。



管理人O君や関係者K君が仕事や私生活で多忙との事でなかなか一緒に何かをやる事は難しく、昨日
も寝る前辺りに何となく行き詰まりを感じたりしていたけれど、自分もここ一か月はこのペースでは
更新できていなかった事もあるし、毎度のことながらネタ切れも続けてゆくには厳しい案件である。



その辺はあまり格好良い事は言っても仕方ないのかもと思う。気持ちはあるけれど、具体的にどうにか
ならなければ何も出てこないわけで。それでも尚、「せめて」という気持ちで言うとすれば可能な範囲
でやれる事を探すという事だろうか。

容易ではないのです

果てしない感じがした。昼休みに外に出てちょっと遠方を見つめていただけなのだが、すっきりしない天候も相俟ってどうも今日は捗っていない気分になる。


何が「捗っていない」のか。冷静に考えてみると仕事は普段通り上手くいっている部分もあれば練り直しが必要なところがあるような具合だし、プライベートではちょっとした出会いもあって悪くないと感じ始めている。一つ一つを振り返ればどうにでもなりそうだと思えている。なのに、全体として今感じているこの「果てしない感じ」は何なのだろう。


夏の生命力に比べるとだいぶ褪せた色をしている山の方は光が射し込めば映えるけれど、曇りがちの空ではどうも停滞を感じさせる。人間も含めた生命が漠然と感じる厳しい季節の予感。避けがたいものであるからこそ、少し憂鬱で。


<そうか、また巡ってくるまでの果てしなさか…>


直感的にそれだと思った。再び動き出すようなその季節が来るまでに忍ばなければならないその時間はこの気持ちでは果てしないと感じるのだろう。もしいままでのような気分のまま冬を乗り切ろうと思ったのなら、それは眩暈にも似た耐えられなさがある。かと言って何も期待しないで坦々と過ごすのはどうにも分が悪いとでも言うのか。


「どうしたんですか?加藤さん」


色々考え始めていたのが表情に出ていたのか、同僚の遊佐さんにやや心配そうな様子で声を掛けられた。慌てて我に返ってこう取り繕う。


「いや、ちょっと天気がすっきりしないなぁって考えてただけですよ」


最近気になっている女性の同僚に心配してもらえるというのは嬉しい事でもあるけれど、尚のことしっかりしたところを見せたい気持ちも当然ある。遊佐さんは「あ、そうですね…」と頷いてから、


「なんかうちのばーちゃん…祖母がですね、『今日は何だか変な天気だねぇ』って言ってたんです」


「昨日は暖かかったからね。どうもどういうテンションで過ごしたらいいのか分らないよ」


「私もそうですね。なんか仕事はいつも通りなのに、いつもと違うというか…」


自分だけがそう感じているわけではないと知って何となく安堵する。自分より2、3歳年下の女性だけれど色んな事によく気が付く人で、その穏やかな…時代が時代だったら癒し系と呼ばれていた雰囲気の人の表情を見ているだけでも安心するのだと最近気づいた。その感情は恋なのか、それとも親愛なのか自分でもよく分かっていない。秘めたものはなるべく感じさせないように普通を意識してこんな話を振ってみる。


「おばあさんとは仲が良いんですか?」


「ばーちゃんですか。うん、私おばあちゃんと居ると安心して、何だか自分も優しくなれるんです



「ああ、それはいい人なんでしょうね。家は早くに亡くなっちゃってるからあんまり記憶はないんですけど、確かにそういうイメージですね」


「でもですね、そこには落とし穴がありまして…」


「落とし穴?」


思わぬ表現がでてきたので私は訊き返した。


「そう。すっごい古臭い言葉を自然に使っちゃうんです。高校時代から「さすけねえ」とか「容易でねえ」とか、顔が幼い方なのに言葉にギャップがあって、時々笑われてました」


「へぇ~。俺全然気づかなかったよ。っていうか遊佐さん言葉遣い綺麗だよね」


「流石に会社では言葉には気をつけようと思って、なるべく本とか読んで標準語に近づけようとか努力してました」


「おお…」


こういうエピソードを聞くたびに彼女の知らない一面を知ることが出来て面白い。表面的に観ていただけでは顕れる事のない内面を知る事はできないんだなと思うと、自分はやっぱりこの人をもっと知りたいという気持ちが湧きあがってくる。


「じゃあ俺の方もちょっと意外な話を…」


「え…?なんですか?」


若々しくというか、キラキラした眼差しを送ってくる遊佐さん。実は私は一年ほど前からネットでブログを始めていて自分で撮った写真をそこに公開していたりするのだ。始めて以降、なるべく外に出て景色を見つめていたりするのだが、最近敏感に変化を感じ取れるようになった。だからこそ、今日の景色にも感じるものがあったのである。


「うん…でもどうしようかなぁ…別に教えても良いとは思うんだけど興味ないかもしれないしなぁ…」


正直言ってそれを知人に教えるのはどうなのかなと思う部分もあった。完全に知られていない状況だからこそやり易かった部分もあるし、あんまり広まってしまうと恥ずかしい気持ちもある。でも遊佐さんにだったら…


「えぇ、そこまで言ったら教えてくださいよ!」


そう彼女が言った時、他の同僚の女の子が傍に寄ってきた。ここで話するのはどうも得策ではないように思える。


「あ、うん…でもちょっとここでは言い難いかな…」


そう小声で言うと遊佐さんは振り返って同僚の女性と二言三言交わした。するとその人が気を遣ってくれたのか通り過ぎてまた二人っきりになった。


「今だったら大丈夫ですよ。教えてください」


「分かりました…」


結局私は諦めて、彼女にブログの事とアドレスを教えた。「へぇ~」と言った彼女は、


「じゃあ、あとでじっくり見ておきますね」


と心なしか嬉しそうに言ってから先ほどの女性を追い掛けた。やっぱり恥ずかしいのは仕方ないのだろう。




夕刻。定時で帰れそうだったので会社を出てまたいつものように遠くを見つめる。


「今は悪くないかな」


と声が出てくるくらいには良い情景だった。その時背後から、


「写真撮るんですか?」


と不意に女性の声が聞こえた。それは悪戯っぽく笑っている遊佐さんだった。


「ちょっといい感じですもんね。ブログに載せてる写真もこういう感じですもんね」


どうやらしっかり見てくれたようである。確かに彼女が言うように情景を映そうかなと思ったけれどそれ以上に今の私には気になるものがあった。『その表情』である。夕陽のオレンジにほんのりと照らし出された遊佐さんの愛らしい表情。


「その表情、なんかいい感じだね」


自然に声が漏れた。遊佐さんはキョトンとしていたが、すぐ理解したのか


「そう言われるとなんかこっぱずかしいですね…」


と照れ始めた。私は半ばふざけるように、


「写真撮ったりしたらダメかな?」


と微笑みかける。遊佐さんは勿論、


「それは容易でねぇ…かな」


と笑いかけるのだった。

今週の重賞

今週の重賞は2つです。東スポ杯はお馴染みで楽しみなレースでもあります。先ずはその
レースからキングズラッシュを。


・キングズラッシュは父ルーラシップ、母父シンボリクリスエス。なんとなく重たいイメ
ージがある血統ですが、福島デビュー戦を観戦して強い所を見たので応援したい気持ちで
す。実績的にはトラストの方が上ですが、素質では負けてないような気がします。配合
シミュレーションについては次回という事で。


マイルCSはほぼ父ディープのレースで既に紹介した馬とどうも取り上げにくい血統なの
でちょっとした予想を。安定しているミッキーアイルの取捨としては2、3着くらいには
きそうだなと思います。個人的にはマジックタイムが面白そうだなと思っていて、サトノ
アラジンが勝つならまあ頷ける感じでしょうか。ヤングマンパワーの実力をどう観るかで
買い方が変わりますが、そこは枠を考えてですね。

何かがなくて何かがあって

ある意味やり難いと思っているからこそやってみる価値があると思い直す事が多くなっている。歩くにしても、もうこの辺りでいいかなと思えた地点からもう少し歩を進めてみるという感じで。


今日は実際そういう風に活動したと思う。長く歩いたし、景色を見ながら意識的に良いものを見つけようとしたり。それが何のためなのか、結局そうやってみてどうなったら満足なのか、今ははっきりしない面もある。紅葉がまばらだったり、一様でないのでどうも雰囲気が出ないけれど、間違いなく寒い。そんな日に外に出てる時間も多く、やっぱり何かを探しているのかも知れない。



この頃時代が変わっても生きてゆく事の大変さは何らかの意味では変わらないようにも感じられている。何かがあっても代わりに何かがなく、ないようで別の何かがあるといった具合に。



今日はお城山にも行ったのだが眺めも良かったのでツイッターに写真を上げてみた。自分でもよく分からない心境の変化もある。


少しゆるい

なんだかんだでやろうと思うと大掛かりになってしまうのも定めというのか。散歩多めの、録音に力を入れていた一日。とにかく一日で出し切るというよりもかなり計画的に「これ位」と決めたところまでは進めている。


何事もそんな感じで、立ち止まれないようになっているのかも知れない。黄色く色づいた葉とその落ちた様を見ていると物語のようなイメージで、何か一つだけでなく全部が冬に向かっているんだなと感じる。今も強い風。


の割には暖かかった日で、午前中は穏やかで満たされていた。しなくていいと思えている瞬間はあってでもいつの間にか何かを始めている。ちょっと不都合な事もあって限られた中で動いているので仕方なくもある。

メモから

メモを工夫するようになっている。世の中的に手書きのメモは少なくなっているかも知れないが、アナログだから残しておける連続的で微妙さがある線のようなものは、情報として独特のように思える。むしろデジタルが当たり前で普通になったからこそ手前にあると思っていた情報の奥深さに迫れるというか。

個人的に色や太さ、形とか声質、メロディーなど自分で表現にした時に現れてくるものが自分の情報性とも言えるんだと思っている。意図した場合と偶然とかそういうもので出た場合が当然あって、感覚的なものに迫れば迫るほどその手先の動きとなって現れてくる意志というか意識を信用するというのか。


残した情報はやはり後で何かになる。自分の表現したものに印象を持つ事があると「何か」が掴めているのかなとも。



そういう表現に拘り始めてから、先日の宮崎駿さんの意識というのも何となくだが印象を抱けるようになったりイラストなどの絵の細部の情報も感じなきゃなと思えてきた。ツイッターのリツイートしたある絵師さんの発言が非常に納得できた。情報というのは残せるものだけではない。失われてしまったり再構成する以上そのままではありえない記憶とか、そこに依存しているはずなのに薄れてくるときもある。もしかしたら足りなくなった情報性を何かの情報で繋げて復活させるから想起されるのかも知れない。


文化は記録によってなりたっている面が大きい。知らず知らずに肯定したり信用したりしてやっぱり本当なのだと体感した際に何かが自分の中から伸びてゆくようにも感じる。


今日はそんな事を意識しながら動ければ良いなとは思っている。

ハロー

自分にとって特別な日だった昨日。短期の仕事が終わり、少し自由な時間ができた今日。
この変わり目の気持ちはまた特別だ。新しい出会いもあり何だかんだで充実していた日々
はあっという間という感じ。自分の仕事もこれからの活動も供にまた新しいスタートのよ
うな気配もある。


フジファブリックの「Hello」という曲もまた続いてゆく時間の中で前に進んでゆく希望
を歌っていて、今の気持ちにはピッタリ。ポケモンGOを自分なりに遊ぶために散歩しな
がら知らない道を歩いて曲を口ずさんでみた。


おそらくまたいつもの通りの日常がやってきて、スタートしてしまえばその同じ範囲の中
での生活になってしまうだろう。でもやっぱりそこにはまだ予期してなかった事があって
、こんな事ができたのかと思うような事もあると信じる。



余計な事はあまり言わず、また何処かへ。

説明

例えば日常などを中心にするというより、ある広い視点や多重の構造や面から日常を見たり文化との関連を見たりするのが「新しい何か」です。それはまた物事の繋がりにも意識が行きます。

それでも

土曜という気分はあるが仕事での違いから感じている事かも知れない。向き合うべきことと優先順位がやっぱりあって、どれもその時その時のある強さでやりたいと思っているので空いた時間は結局何かに集中するようになった。


紅葉を味わうまえに枯れてしまいそうな樹木を見て寂しさというよりかはあっけなさを感じる。とにかく早い。


ダラっとした流れではないから次に次にと情報が押し寄せてくる。作品はよくできる。その分日常的な事が。


矛盾するようではあるけれど、こういう時だからこそ日常の一つ一つを大切にしたい。できる限り

はずれのゆき

何処かに待っている、そんな何かに。


未だに夢を追い続ける気分というのか、現実に半ば打ち砕かれながらそれでも尚その向こうに進もうという気持ちは少なくなっているのかも知れない。進んで辿り着くところが例えば「廃墟」のような匂いのする場所だったとしたら。



廃墟というか、静かな場所。別にそこが好きだというわけでもないし、そこに居る用があるというわけではない。今日車で移動中に一瞬道に迷ってたまたまそこに入り込んでしまったのだ。この世界に、特に現代の日本に「森」と呼べるような所があるというのも何処か不思議なのだが、この辺りでよく見掛ける小高い山とかすっかり収穫が終わってしまっている田畑とか、そういう人の手が加えられている場所ではなく、まだ手付かずのまま置かれているような観さえある小さな森があったなと認識したところから、結局引き返せそうな道がないまま行きついてしまった知らない場所。特に何かがあるというわけではないけれど、行き当たってしまった工業団地の端。その向こうに進もうとすれば何処かに繋がってはいるけれど多分全然行く気のない町までかなり長い距離を走りそう。



一旦そこで車を停める。使われなくなった材料や妙に開けた空間が『辺境』という感じを醸し出している。地元にこういう雰囲気の場所があるとは思わなかったけれど、そもそも私は工業団地のある場所に用があったのだ。というか、あまり説明したくはないが工場の下見である。



転職を考えてもこの辺りだと工場くらいしかないという話もあながち間違いではないのだろう。自分に合うのかどうかは分らないけれど、とりあえずそういう仕事をやってみても悪くはないというか。まあ微妙な判断だけれど殊仕事に於いてはやりたい事がはっきりとしていない自分にとっては一つの選択のようにも感じる。地元に居てもそういう辺境には目が行かなかったのもあるけれど、そこまでの道は新鮮だった。あと子供の頃に感じたようなちょっとした不安のようなものもあって、知っているようで知らないんだなと改めて感じた。その不安はまあ的中したようなもので、曲がる場所を間違えて直進するしかなかったので行きついてしまったその開けた場所で一度車を降りて冷静に考え始める。



「ほんと何にもねぇな」


都会から来た人がこの町に感じるそんな印象とはまた違うレベルの「何もない」という感じ。それでも人がそこで過去に何かをしていたというのが不思議な気がする。縁がなければ来ない。人気がないのもあって<もしここで何かあったらどうすんだべ>というような考えが一瞬頭を過ぎる。そもそもそんな事すらない静けさで、困る事があるのだったら車が故障する事くらいだろうか。



スマホで地図を開いてナビを見ればすぐに正しい方向が分った。最初からそうしていればいいものを、大丈夫だろうとタカを括っていた。普通に携帯は通じるから何も心配はない。さすがに辺境と言っても現代の技術ではそこもカバーしてしまうという事が比喩としても事実としてもそうなのだ。技術に救われて誤魔化されている部分はあるが自分はもともと器用な方ではない。どちらかというと方向音痴なところがある。むしろこういう時にそれを思い出すというか。



とにかく引き返す事が必要だなと思った。その時、辺りで「ガサ」という音が聞こえた。その方向には猫がいた。あまり見栄えは良くないが体格のよい茶トラの猫。警戒しているのかこちらをじっと見つめて立ち尽くしている。本来的には部外者である私は刺激しないようにそっと動いたけれどその動きでもやはり不安にさせたのか、瞬時に目の前から居なくなってしまった。


「こんなところにも居るのか…どうやって」


恐らくは野良猫だけれど、その生態は実際よく分からない。生きていけるという事は生きてゆける方法があるのだろうし、むしろ天敵が少なく車通りも少ない場所なので安全に繁殖できるのかも知れない。それでもここは猫にとっても寂し過ぎるようにも感じる。



『寂しい』という言葉が出かかった時、私は自分がこの場所に感じている一つの感情に気付いた。



考えてもみれば秋の終わりのこんな時期に、寒空の下一人迷っているような状況は冷静に考えて寂しいのかも知れない。まあ大人なのでそういう時もそういう経験をしなきゃならない時はあるものだと納得させるけれど、ふと立ち止まってしまうと途方に暮れてもおかしくないような日々だったかも知れない。



夢があった。



そう言えば聞こえがいい。でも夢を追っているのかよく分からなかった。本気で夢見ているならそれを追っている筈だろう。でもいつまでたってもどうしたらいいか良く分からなくて、『夢を追う自分』に没入する事ができない。なのに、何かきっかけがあるとつい思い出してふらっと動いてしまう…動かされてしまう自分もいる。アーティストの音楽に、まだ刺激を受けている自分。夢を実現した人の話を参考程度にも聴いている自分。でもこの歳のこの状況で、不満はあっても十分楽しい時間がある人生でそれ以上を望んでいいのかどうか何となく分らなくなる事がある。



誰も何も言っていない。逆にこういう状況だったら追ってもいい。それをしないのはただ自分がそれがしんどいと思っているか、そうしなくていいと思っているか、そう解釈するしかない。今の生活でも『その気になれる』事くらいならあると思う。『何でもいいから自分の店を持ちたい』という漠然とした夢は、自分の思い通りになるような店で仕事をすればある程度満たされるのかも知れない。そういう道ならあった。でもそれではなかった。




黄昏ていてもしょうがないので車の中に戻って移動するシミュレーションをしてみようと思った。ちょうどその時、ひらひらと舞う小さな白いものが見えた。


<ああ、そういえば今日は初雪になりそうだって言ってたな>


短時間で気温が変わったわけではないのに妙に寒々とした気持ちになる。けれど、その寂しげな場所でその一つの小さな煌めきは、何か別な情緒を自分に加えた。


「そういえばあの日もこんな事があったな…」



私はもう少し雪国のある都市に居た事がある。その時はまだ学生で、知らない街を冒険したい気持ちがあって自転車でかなり外れの方に移動したのだ。辺境に向かえば向かう程に、帰ってくるのが大変になるという気持からだろうか、何か不安定な感じがあって当時はそれを楽しんでいた。そしてまさにその街には似合わない場所に出たなと思ったら、そこに既に閉店して久しい倉庫のような店があった。単純な発想で想像すると外れだから人があまり来なくてそうなったのだろう。物寂しいなと他人事のように思っていたら雪がパラパラと降ってきた。



講義のない平日の昼間にそこに居合わせた自分に対して「何をしてるんだろう」という気持になった。でも、そういう場所…ある筈なのに誰も見ていない光景がこの世にあるんだなと思って、不思議な気持ちがした。



それが何だというのか、意味を問い続けても何かが分かるという事ではない。ただある。



今、思い出したあの光景と今の光景は違うけれど何かが同じというか。しかもそれを感じているのはこの世に自分しか居ないのだなと思う。生い茂る雑草や、ここにさえあるゴミとなった何か。言いようのない気持ちが心を占めている。寂しさだけではないのかも知れないなと。




車のエンジンを再び入れる。ここでこの気持ちを知るのは自分だからなのだ。同じようにもしかしたら自分だから出来る事もあるのかも知れない。そんな事を考えながら。

とりとめも

雨が降っている。色々支障が出そうな感じだがそれでもやりたいという気持ちがあるような。


日々何を意識するかというと決まっているようで変わってゆくというのか。「新しい何か」を意識していて自然と出てきた「日常系」とか生活が何か大切なように思えた。何が主で何が従かもはっきりしないというか、時折転倒したりしているのかも知れない。それでもそうやって続いてゆく何かの先が結局見たいのだなと思われる。


冬になってくれば雨も無くなるだろう。ある意味では暖かいという証拠なのだが、雨の日に良いものというのもある種の「転倒」なのかも知れない。予定通りにはならなかったけど、その日はその日で見つかるものがある。


その時その時に目を奪われたり、その世界や生活が全てになってしまうような時、見えてるものは少ないけれど「全て」の印象が出来上がってしまうというか印象そのものが「全て」の直観のようなもので。それを良いものだと思えるような情報は大事だろう。でも雨はやっぱりずっと続くわけでもなく。



続くわけでもないひと時でも長く感じる事はあるかも知れない。それでもひと時だというなら、やはりどこかで終わりを意識しているはず。そこからはまた違う世界で印象で。



なんというか取り留めもない話になる。

情報を意識する

ちかごろ「情報」とか「情報性」という言葉を意識している。寝ていて見る夢と現実の違いが細部に
よく現れるという経験から確かにありのままの情報性は組み尽くせないもののように思われる。紛れ
のない言葉で言い表せるはっきりした事の積み重ねで表現できる情報量の多さというのはそれほど意
識しなくても感覚的に確かめられるような気がする。


自分で続けている「日常系」で喩えるなら、スマホの写真の解像度で写し取る現実の情報性とそれで
は掬い取れないほどの生の様子。



記録しておけば『良い瞬間』に立ち返る事は出来る。その情報性に浸れるとでも言おうか。音楽や絵
画のように感覚的な情報は、完全に記憶する事が一般には難しいからこそ何度も立ち返るようになっ
ている。言葉ではっきりと理解した情報はある意味でははっきりした線のような「構造」として把握
しているようにも思えるけれど、感覚的な情報はぼんやりしている何かもあるのだろう。なんとも掴
みようのない情報…。



難しい言葉で言えばそういう事なのだが、じゃあどういう情報を意識しているのかというと「どれ」
という感じではない。『日常系』のように情景に一つの焦点があって、それが主題にした場合には
話し易い。具体的だからというのもある。



具体的な「情報」ではなく「情報論」をネタにして話すというのも話し難いのだがこれは入口に過ぎ
ない。とにかくブログで発信する「情報」を探していると、「情報」に対しての捉え方が変わるのだ。



突き詰めれば「新しい何か」というものの情報性を考えているのかも知れない。そもそも「新しい」
と言えるような事があるのかもよく分からない。とにかく『それまでの全てと違う』という情報が
あるだけなのかも知れない。その「それまでと違う」という感覚はある種、感覚でありながらも情
報性なのだと思う。既視感でもなく、平常のある程度分っていて予測を大きく外れないで続いている
現実、とちょっと違う…つまり何か知らないものがあるという事。




多分だけれど、スロペでの日常系でほとんど続けてゆくテンションとかは完成している。ただその
視点では見逃してしまう細部とか、強くは意識していないけれど入ってくる情報から進めるという
事がこの後に大事になると思う。そういう情報が確かにあって、そこを語るというのは実を言えば
容易ではない。



どれが重要な情報でどこに集中すべきか、それが明らかではない。どこでどう生きてくるかわからな
いとなれば、語る内容も…

今週の重賞

今週は平地の重賞が4つあります。エリザベス女王杯はマリアライトの連覇かなという気がしています
が今週も仕事でリアルタイムでは見れないのでなんとなく勿体ないですね。とりあえず土曜日の重賞か
らで、まずは東京の武蔵野S。


・ブラゾンドゥリスは父ノボジャック、母父マヤノトップガン。ロジータの血が入っていて通好みの
血統ですね。成績も安定しているので大化けしてもおかしくないと思います。シミュレーションはこ
こを活用なら考えてみましょう。


デイリー杯は夢配合を発見いたしました!


・ジューヌエコールは父クロフネ、母父アグネスタキオン。この時点で既に夢血統ですね。ここにジャ
ングルポケットが入れば3強の配合。試してみます。


http://www.jbis.or.jp/topics/simulation/result/?x=50&y=8&sire=0000325200&broodmare=0001187443


ヌレイエフの3×5ですか。不思議な感じがしますね。日曜の福島記念からはマイネグレヴィルを。


・マイネグレヴィルは父ブライアンズタイム、母父スペシャルウィーク。父と母父が逆だと時代的に
自然ですが、これもどうも不思議な…というか違和感を覚えます。ですがこうなるとわりと配合は
し易いと思われます。が、実際に試してみるとモーリスがいけると思いきや

http://www.jbis.or.jp/topics/simulation/result/?x=50&y=14&sire=0001138240&broodmare=0001138696


サンデーの4×4はいいとしても、ロベルトの3×5という珍しいインブリードになってしまいます。
この場合は無難にアウトブリードですがハービンジャーやルーラシップなどで繋ぐのも良いのかも知れ
ません。


エリザベス女王杯については既に配合をシミュレートした馬ばかりなのでちょっと予想を。やはり
実力ではマリアライトだと思いますが、パールコードがなんとなく良さそうですね。あとはデムー
ロの一発もありえそうだなと思います。

そこに向かい

いい瞬間は繰り返されるとしても稀ならばやっぱりその頻度は少ないだろう。


創作もできている生活で、とにかく努力でなんとかできるクオリティの高いものは労力に見合うというか、集中力を使った分だけ確かにそれが作品に現れる。それこそ意識し続けられたら日常生活でも発見があるだろうし濃密な時間が過ごせるだろう。


稀なのだから、レアという価値観で好いのだろう。けれど稀にある嫌な経験も好いと思うというのは無理な話である。なんであれ稀の稀の人生を送るならそれはやはり辛い事も多い。


それでも自分にとって価値のある情報をもった光景とか、対象を発見できたときの喜びは何ものにも代え難い。奇跡ではないかも知れないがかなり望み薄なところから繋がってゆくこと自体、執念と偶然の産物のような気さえしてくる。



「新しい何か」とは言うけれど、それは成り立ちにくいのではないか?と思ってしまう。



恐らく集中を維持できて言葉にする事とその何かが続いてゆく事はある意味では等しい。言葉の先にあるものを捉えてゆくような。


そこに向き合う時間自体がそれを作っていると言えるのかも知れない。ただそれを何とか繋げてゆくだけとも。



自分の作った「ナンセンセンス」という曲で「今を特別にしようなんて考えても無駄だけど」という歌詞があるけれど、今に何かをする、何かをするのは今にすべきだという気持ちで何かをするのは良いと思う。「特別にしようとする」のではなく、ただ良い方に動いて行きたいという気持ちがあるのだと思う。「今しかない」という緊張感があり過ぎてもしょうがないし、今じゃなくてもいいという気持ちでもない。


じゃあそうじゃない「何か」がこれを書かせているのだ。その向こうにあるものを追いかけてみたい。

ココアのように

『この町はわたしにとって何なのだろう』


そんな答えようのない疑問に似た言葉が心の中に浮かんでくる時がある。この前友人と食事に出かけた時にその言葉を同じテンションで話してみると、


「何か迷ってることあるの?」


と問い返された。予期してなかったわたしは少し戸惑ってこう答えた。


「ううん。そういう事じゃないの」


あとで改めて考え直したら言葉のニュアンスによってはそういう悩みがあるという風にも受け取れるのだと思って妙に納得してしまったけれど、たぶんわたしの疑問はそういうものではない。じゃあどういうものなのだろう、まるで消去法のようにああでもないこうでもないとしばらく考え続けていたような気がする。まだしっくりくるような答えは得られていない。


今ままでの自分を振り返ってみて、わたしは自分の思い描いた通りではないけれど『充実している』といえる生活を送れていると思う。自分にはまだ幼い夢見がちな頃の感覚の名残がある。その感覚でいえば理想の恋人との出会いとか華やかな人生が自分にも待っているのだと信じるのかも知れない。わたしがそう望むなら辛うじてやりがいのある仕事をこなせている現状には満足は出来ないのだろう。でも、わたしにも世間並みの考え方とか、なるようにしかならないこととかが分ってきていて、現実がそういうものなのだったら決して今の自分が惨めだとは考えることはできない。けっこう和気あいあいとした職場で必要とされ、仕事で認められてきているのだから今の世の中の事を考えたら上出来なのだろうと思う。



休日、ココアを口に含んでホッと一息をつく。職場の物知りな上司が冬に向かっている今の季節を「向寒」と呼ぶのだとこの前教えてくれた。主義で独身を貫いているというその40手前の男性は、


「仕事とかやりたい事が沢山あると時間が無いね」


とわたしに笑いかける事がある。それがどういう意味なのか女のわたしには分かるような分らないようなという感じだけれど、与えられた少し大きな仕事に打ち込んでいる時のわたしは昔の自分によく似ているという。男だからそれでいいけれど、あなたはそれでいいの?暗にそう語っているように聞こえる事もある。でもそれは色んなニュアンスの中から聞こえる一つの音色で、ほとんどの場合「一生懸命頑張っている君は偉いよ」という松岡修造的な赤い色のような気がする。



松岡修造、嫌いじゃないわたしがいる。それは受験勉強で励まされたから。今でもあの人は挫けそうになった自分を正面で受け止めてまた前を向かせてくれると思う。



でもこのココアみたいに優しく包み込んでくれる存在が恋しくなるのも事実だと思う。実家に住んでいるから両親にはまだ細かい事で口やかましく言われる事もあるけれど、時々一緒に美味しいものを食べに行ったり、仕事の相談もしてもらっていて何だかんだ心強い。でもそれはどちらかというと「お味噌汁」の安心感といえばしっくりくる。



「特別」なのだと思う。ココアは特別で、優しい。


今日もそのココアをじっくり味わいながらネットを巡回する。この頃意識するようになった地元のニュースで「婚活イベント」があるという事を知る。まだ焦る年齢ではないと分っていても、意識するという事はやっぱり焦りは感じ始めているのかも知れない。地元の事はよく分かっているし、N市での出会いがある程度限られているというのは明らかで、明らかだからこそ地元の人の多くが外に…つまりはM県のS市とかに出ていってしまうという必然も仕方のない事だと分っている。


「じゃあ、わたしがこの町に残ったのって…」



『あの疑問』の答えがぼんやりと出てくるような気がする。わたしは結局大学も地元の大学を選んだし、それで良いと思った。担任に「国立ならもっと上を目指せるぞ」と言われたけれど、その時わたしは本気でそれを目指そうとはしなかったといえばそうなんだろうと思う。『シューゾー』が某動画で『富士山』と繰り返すたびに心の中で地元のあの山に置き換えてみたりしたけど、それもそれで結構な高さなのだ。




妥協しているわけでも、楽な道を選んだわけでもない。



そう思えてくるまで少し時間が掛かったかも知れない。でもわたしは、わたしの心はこの町に惹きつけられている。もしかすると何でそうなのか、わたし自身が知りたいのかも知れない。カップの底に溜まった解け残りのココア。



でも本当はそれだけではないという事も分っている。人間の心はもっと入り組んでいて、すっきりとはしていないものなのかも知れない。やっぱり何かを求めてしまっている。それはまるでココアを飲むとお代わりが欲しくなるような、そんな感情。


「この辺に良い人いないもんかねぇ?」


「まったくあんたは理想高いよね」


その日もやっぱり友達に呆れられながら午後の一時を地元で精一杯のオシャレな店で過ごしたりする。

写真を少し

休みだけれど結構出歩いた。紅葉を見たいなと思っていたところ市内の若宮公園がなかなか良さげでいかにも秋という感じが漂っていた。

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今ポケモンGOをやっている人はどの位なのか良く分からないけれど、自分なりの楽しみ方を見つけてコツコツ積み重ねてゆく事ができるので継続中。10キロほど歩いたので十分だなと思う。コイキングの進化まで連れ歩くつもり。

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夕方の空が妙な具合に美しい。どこか平面的なのにグラデーションがあって透き通っている。電柱などが無い場所なので広々とした感じになる。
プロフィール

二人の管理人

Author:二人の管理人
ブログには珍しく二人の管理人で更新してゆくブログです。

二本松のこと、競馬のこと、これから手探りで何かを
やってゆこうと思っています。




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