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スローペースで、二人で出来る事を模索しながら。二本松、競馬、などなど。

早い時間


深夜ではないけれど、かなり早い時間に勉強のつもりで読んでいた経済辞典を読み終わる。実質3ヶ月
くらいで読んだだろうか。用語を学ぶために読んだのだが、辞書読みの効果は結構後になってからでな
いと現れないという経験則がある。今後新聞などを読んでゆくうちに思い出されて何か発想が深まるか
も知れないと思うと嬉しい。


今度は日本史小辞典というものがあるのでそれをじっくり読んでゆくつもり。


ところでこの時間に書き始めるのは結構久しぶりだと思う。静寂そのものの時間で目が冴えているだけ
に何か述べておきたかったのだが、この頃この時間の方が気持ちが穏やかだったりする。眠り足りない
という感覚は少しあるけれど作業には適している。あ、でも二度寝するかも。



昨晩、友人とのツイッターでのDMのやり取りで実感した事だが、こうやって密に連絡を取りあえてい
る友人がいるというのは心強いなと思った。もちろんネット上でもどんどんコメント等をいただきたい
しやり取りもしたいのだが、やはりお互い顔の見えない状況では既に知っているという間柄でのやり取
りという気楽さがある。ネットが当たり前にはなっているが、もう少し距離を縮めたいという気持ちを
実現してくれる何かはあるのだろうかと思ってしまう。



時計の針の音が規則的に続く。外は遠くの方から早くも赤く染まりはじめているが月も見える。今ほど
後の事をかんがえている時間もないかも知れない。今何かをする必要もなく、どちらかといえばこれか
らの事を計画するべきだろう。



動き出していない時間。動きの少ない時間。動かなくていい時間。動いていないであろう時間。



どこか動きを合わせているんだろうなと思う。この『スロペ』には丁度良いスピードであるだろう。
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今週の重賞

好きなGⅠの週になりました。長距離GⅠは時代に合わないと言われていますが見ていて面白いのは
やはりスタミナ勝負。去年のゴールドシップのレースも時々見て感動していたりします。というか
何故あのレースで勝てたのか、本当に意味不明です。今年はキタサンブラックとゴールドアクターを
応援しています。さて、その前に土曜の青葉賞です。見どころがある馬が結構いるのですが、血統的に
嬉しくなるのはマイネルハニーですね。


・マイネルハニーは父マツリダゴッホ、母父ナリタブライアン。もう母父にしか目がいかないと思い
ますがマツリダゴッホも地味に良い馬を出しているのでこれから期待。キンカメ肌でお決まりになっ
てきたエンジェルフェイスでとりあえず試してみると、

http://www.jbis.or.jp/topics/simulation/result/?x=6&y=20&sire=0001167388&broodmare=0001171856


アウトブリード。これだけだとおざなりなので、インブリードでもうちょっと工夫できそうな馬を
探してみます。ロベルトが入っていたケイアイエレガントだと、

http://www.jbis.or.jp/topics/simulation/result/?x=23&y=24&sire=0001167388&broodmare=0001109939


ロベルトとヘイルトゥリーズンが入っていてなかなか良い感じです。


天皇賞(春)はやはりキタサンブラックを見て行きたいですね。有名な血統ですね。


・キタサンブラックは父ブラックタイド、母父サクラバクシンオー。父サンデー系、ほぼディープ系と
言っていいような馬ですが、母父が種牡馬入りしたら生きてくる血統です。リファールとヘイローを
活かした配合という事でひらめいたのがカワカミプリンセス。


http://www.jbis.or.jp/topics/simulation/result/?x=59&y=15&sire=0001155349&broodmare=0000759762


こういう配合でもし繋げられた場合ミスプロ系で選択肢が増えますし、サンデー系が入っていても4代目
に留めて置けば配合できるというのが魅力かなと思います。

読み続ける

『読み続ける』と心の中で言う時がある。何の事はない読書とか活字を追う事を続けてゆこうという
気概を言い表しただけである。小学生辺りでは読書がそれほど好きではなかったし、もともと数学が
取り柄のような少年だったから国語の方はわりと雑に扱っていたような気がする。ネットが普及して
基本的には文字情報がメインのコミュニケーションになってくると、次第に感覚的に動くというより
は明確に言葉にしてから動くという事の方が多くなってきた。


それでも主に自分の中から発しているものを中心に動いていたけれど、最近はどちらかというと既に
知られている事とか、過去の集積を味わったり学んだりする上で文章を正確に理解するという事の
重要性をいやでも思い知らされて、とにかく短期集中で何かを覚えるよりも多読で『読み続ける』事
に決めた方が結果的には良いのだろうと思って、各種の辞書を中心に読み漁るようになっている。



「読む」という事でいうなら、明らかに知らない情報がたくさん載っているものを読んだ方が良いと
思う。最初は何の事やらわからないけれど繋がりが見えてくると新しい世界が見えてくる。もちろん
自分の考えた事で動くのも重要だし、思考は続けるべきだけど歴史的事実は思考しようがない。この
世界に生きているのに、この世界がどんなものなのかを知らないというのが何故か勿体なく感じる。



知れる範囲で知りたい。そうなると必然的に『読み続ける』と言い聞かせなければならない。




ある意味で「読む」とは受け入れることでもあると思う。批判的に読む事は必要だけれど、一度
読んで得た情報を『本当のもの』、真だと受け入れた上で身体に染み渡らせてから、「やっぱり
何か変だ」と思える事について否定するというプロセスが必要な気がする。




ただ「何を読むか」について言えばもはや答えは無いと思う。確認するという意味では原典が一番
だろうなと思う。それにしても幾らかでも世の中の事が分ってきているのだろうか、途方もない情
報を前に挫けそうになる度、『読み続ける』と言っている。

県文学賞とな

「県文学賞」の募集を新聞で知った。身内から投稿をちょっとだけ勧められていて、悪い気はしない
のだが応募するとしたら『祭りの記憶』になるだろうし、どういう評価を受けるのか或いは全く無反
応なのかが気になるところだが、一度やってみてもいいのかなと思ったりする。


自分としてはネットで発表するだけでもその反応である程度の事が分るような気もしている。自分の書
いたものの気の利かない部分とかは『粗』として見られるだろうし、それが分っているから応募するな
らもっと良いものをという気持になってしまう。けれど気合を入れて書き始めると全然進まなくなって
しまうという欠点がある。


どちらかというと昔ながらの小説の同人のようなものに憧れがある。ツイッターなどでも結構そういう
活動をしている人を見掛けるし、そういう気持だったら自分が良いと思えるものが書けそうな気がする。



もちろん、こういうニュースを見れば創作意欲も上がるので良い事ではある。ただ、本当に望んでいる
のはネットで公開できる作品を沢山書く事だろうなと思う…それが及び腰でなければの話だが。



自分の創作の始まりは友人に送っていた長文メールという事はどこかで言ったかもしれない。内弁慶
とかそれに類する事なのかも知れないが内輪ならやりたい事がやれるが、全く自分を知らない人に対
してはちょっと不親切になってしまうところがある。あとは、ブログにしてもどこからか仕事化して
ゆくのを感じる時がある。親切にというか、読者が望むであろうものを考えてゆくと自分が望まない
ものを書き始めているような、そんな感じである。自分がまるで思ってもない事を綺麗に飾っていう
事が喜ばれるとしても、少なくともそれを言ったからにはその言葉に誠実であらねばならないという
気持ちがある。安易には出来ない事である。



そういう意味で言えば内輪の人に向けて喜ばれるものを書くのはとても自然である。ではこの「県文学
賞」というのはどういう範疇なのだろうか。内輪の気分で良いのか、それとも世間さまに発表なのか。




悩み始める時、いつも「どちらにしても良いものを書けばいい」と言い聞かせるようにしている。その
「良いもの」もぶれる時があるけれど、それでもやはり「良いもの」が出来るようにと何か普遍的な
ものを目指している自分がいる。

麗しき人の夢 ③

桜が満開になるのが例年より大分早かった。桜は長く楽しめればいいのに、桜の性質上すぐに散ってしまう。ずっと見られるようになってしまったら大して感動がないのかも知れない、なんていう風に考えてゆくと情緒が何となく分ってくる。夢見る様な気分で…それは恍惚というものだけれど、桜を眺めている間自分を忘れているような気もする。


それは短い時間だけ訪れる桃源郷とでも言えるのかも知れない。実際、地元のF市にはそれを思わせるような花見山という山があるし、N市も桜の名所で溢れている。特にお気に入りなのが城跡から登って行った所から遊歩道を歩いて見る桜である。地元愛が強くなってきた頃に始まった「さくらウォーク」というイベントで知ったコースなのだが、飽きはしないが「飽きるほど」沢山の桜を見て歩くことが出来る。イベント当日はあいにくの天気だったり既に散ってしまっている時もあるのだが、次第に歩かなくなってきている自分にとっては良い運動だし、人が多くて結構面白い。



スマホという便利な機械のお陰で写真も手軽に取れるので、これまでに相当量の画像がPC上に保存されている。ちょっと思い立って整理していると同じ桜でも色々な表情を持っているという事に気付く。淡いものから濃いもの、豪勢な感じがするものもあればやや年老いているような感じがするものも。県内だと滝桜が有名なのだが、友人は地元愛ゆえか過去の遺恨が念頭にあるのか素直に認められないらしい。自分も歴史を勉強するようになって、何とも言えない気分になったものだが美しいものは美しいという気持も偽れない。



『美しいものは希少なのかも知れない、などという事を時々考える』


そういえば「麗しき人の夢」ではそんな風に始まる章があった。桜について述べているわけではないのだが、「美しいものと夢との交差」を述べるその章の言葉の幾つかは今の十分当てはまるような気がする。


『私は夢の中でも素晴らしく美しい光景を見たりする。脳が再現しているのだとすれば、これほどまでに己に視覚的な想像力が備わっているのだと感動する事もある。けれど何処かしらCGのように思える様な時もあって、一歩間違うとこの上なく醜いものに見えてきたりする。そういう夢を通して、自然の美というものを実感する事もあるのだが、身の回りに『美』といえるようなものはそれほどないなぁと思うのも確かである』


こういう風に述べている著者だが夢の方の経験はともかく、普段から美に囲まれている生活をしている人というのは少数派のような気もする。豊かな自然がウリのこの町でさえ自然の厳しさと裏腹で、強風で倒れてしまった草花を見ていたりすると、整っているとは言い難い光景の時もある。もちろん全体としては豊かさを感じるし、電線もすくなく開けた青い空は美というしかない。けれど著者の住んでいる場所がここと同じではないという事は何となく分る。


『美しきものが溢れていたとしたら、価値は無くなってしまうのだろうか?そもそもそういう事があり得ないからナンセンスだ、とは思わないように少し想像してみるとする。卑近な例だと美人ばかりになったとしたら?美男子ばかりになったとしたら。それはある意味で人類が均一化され過ぎてしまっているという事でもあるだろう。そもそも美醜の感覚が人それぞれ違うのだからと補足しておけば、少なくとも自分が美男美女だと思っている人ばかりになったとしたら、それは何となく愛着が持てなくなるかも知れない。けれど一方で、美しいものは希少だという考えはどことなく正しいという気持ちを捨てきれない』



美男美女を「桜」に置き換えれば、概ね自分の言いたい事と等しい。どこかで希少価値を考えているのかも知れない。そうな風に思っていると膝の上に猫が登ってきた。この茶トラは美しいというよりは「カワイイ」、そして愛らしい。考えてみればカワイイというのは「美しさ」を補うものであるのかも知れない。美しさは希少だけれど、カワイイものは探せば結構ある。



「例えば桜にしたって…」



と一つの桜の写真に目が留めた。それは決して立派な桜ではないかも知れない。「美しい」という風に感じるというよりは、どこか微笑ましくなるような桜である。これは満開になる少し前に図書館に行った際に撮ったものである。静かな図書館に咲いている可愛らしい桜。もちろん、あと何十年もしたら立派な木になって、人々が思わず足を停めてしまうような桜になる可能性もあるけれど、この普段着の気分で見ていられる所にある桜というのも愛らしい。そういえば著者もこう締めくくっていた。


『美しい世界は肩が凝る。むしろバリエーションのある夢を見たい自分としては美だけに囚われる事なく存分にその性質を活かした世界を作り上げていってもらいたいものである』


201604261659345e7.jpeg

暖かい火曜。

暖かい日が続いている。これからは暑い日も多くなってくると思うけれど、鼻風邪がここしばらく
続いていて、もしかして花粉症なのかもと。花粉症はスギではないけれどあって、子供の頃はかな
り悩まされていた。この時期で花粉と言えばスギなのだろうけど、それにしては目がかゆくないし
どうも腑に落ちない。


体調の方はそんな感じだが、精神的にというのか気分的には若干の焦りとこれからまた頑張ってゆ
けるかという部分で不安がある。管理人のO君は先日誕生日を迎えたが、年齢的にはそろそろ若い
という範疇ではなくなってきた世代だろうか。むかしほどモチベーションというのか、我武者羅に
やれる勢いがなくなってきたのを感じる。


どうも「結果がこの位のものだ」という頭があって、全く無謀に思えるような挑戦ができない。あ
とは知るにつれて強固になってゆく常識…主に感覚的なものが、ある程度の結果を先に見越してし
まいやすくさせている。自分を騙すのも難しいし、ある程度予想された範囲でのちょっとした成功
というものが今のモチベーションになっている。



リスクを負わないことにはリターンもない。競馬が趣味でそれは分りきっている事なのだが、普段
の生活の中でちょっとした賭け…というのか期待のあるところに時間を掛ける戦略もなかなか続け
られるものではない。そして具体的に何かを始めようと思っても、何か求めるものではないように
も感じてしまう。



今日もこれから散歩に出掛けるつもりだ。相変わらずどう進んだら望ましい結果になるのかは分か
らないけれど、しばらくは比較的身近なところで何かを発見できるように努力してみようと思う。

迷いに迷って

「伝えられる」という事を考えてゆけば、伝えるのは難しい事を伝えようとしているのかも知れない。
簡単には伝えられない事と分っているのに、何とか言葉にしようとすると複雑になってしまう。そう
なってゆけばゆくほどに伝えられる相手は減ってゆくように思う。


すぐに何とかしようと思わない事が最初なのかも知れない。焦らずに時間を掛けて。



早くも言葉に詰まる。伝えたい事が何かという事が自分でも言葉にはならない。いや、無いのではない
かとさえ思えてしまう。





…こんな感じで『ナンセンスに』で書きはじめようと思っていたのだが、わけあってこちらに載せる
事にする。「伝えたい事」とそれを「伝えたい相手」というのが最近の迷いである。もちろん厳密
には相手ごとに具体的に伝えたい事は違うのだけれど、ブログという媒体で書くにあたってはまず
自分達に興味がある人に向けるというのは基本だろう。最初からそういうつもりではなかったけれ
ど、『ナンセンスに』の方がより広いところを意識しているのもあって、どうもローカルには徹し
にくい。


具体的な部分に立ち入り過ぎないように削ぎ落した感じで書くのと、ローカル臭が漂う情緒的な
内容で分る人には分るように書けるならばどちらが良いのか。むしろ「ナンセンスに」の方が特殊
な層に向けているような感じになっている。訪問履歴を眺めながら、見てくれているところをと
意識してゆくと必然的にそうなってしまう。




夕方、本当に何も考えず長時間散歩した。「ネット」疲れではないけれど、誰も彼もがネットの
意見に戦々恐々としつつも何か良い方法を探しているようにも見えたりすると、少し冷静に自分
の身の回りもよく見てみたくなる。ネット、というかもともと言い表されていないだけのそうい
う感じ方があっただけなのかも知れない。



本当に何もないだけの場所は、むしろ余計なものが無い所ようにも見えてきたりする。この場所で
何をするかが基本で、話題になるような事で自分を表現するというのは本当にしたい事なのか分ら
なくなる。




そもそも伝えようとしている事は何だろう。正直言って今のところは特には無いと思う。ただ、
それも『伝えられる相手』が意識されているからでもあって『伝えられるかどうか分らない』
対象を意識するなら、僅かだが伝えたい事はあるのかも知れない。



けれど、例えば誰もいない道で散歩をしている時のように、伝えられる可能性のないシチュエ
ーションではそもそも言葉が浮かばない。そして伝わりにくい事だと自分で分っている場合も
伝えても無駄だという気持ちがあって言葉にならない。




そういうものを含めたら、伝えたい事はあるのだろう。『伝わる相手』当然、そう思える様な
相手が居たらと思う部分はある。そういう意味で言えば「ナンセンスに」の「ナンセンセンス」
というのは「居るとして」という仮定で書き続けたものだが、それはどこまで意味のあるものに
なっているのだろう。

眠る前に

期待に応えてゆくというほどの事ではないけれど、持て余しているところを出してみたらどうなるのか純粋に興味がある。

それを日常系でやるというのも難しい話なのだが、何気なくやっている事を意識し続けるのも案外エネルギーとモチベーションが必要である。結構ちょうど良かったりする?


さて、日曜の夜である。普段は日中に更新するからちょっと特別なのだが、ダッシュとイッテQで元気をもらった後で明日からのまた始めようという気持ちになっているというのはよくある話と考えていいのだろう。最近のツイッターで自分の本当に大した事ではないつぶやきに辟易しているところでそれが幾らかでも社会的なものになるのはやはりテレビが関係する時だろう。他の人がどんな感想を持つのかが気になるのが自分だけではないという事が分かって安心する反面、気の利いた事を言おうとして自然な反応がしにくくなってしまっている。


自然さなど答えのない形容だけれど、ひねらずに素直に思ったままを口にする方が自分としては好きである。感じたままというのは自分の始まりのようなものだから、素朴だなと思いつつもどこかの自分で安心する事がある。ときどき。


全てが社会化されるというわけではないし、どこまで行ってもローカルを越えないような情報もあるけど、いつからか自分が世間の一部として組み込まれているのだなと実感し始めている。斜に構えるわけでも、特権的な位置から語るでもなく、あくまで内部の一要素としてごく普通の事を言っているだけでも良いのかどうかは分からないけど、それなりに良いのかも知れない。


矛盾するようだが、優れたものを出そうという気持ちがある一方でそこそこ望まれているかも知れないものがたわいもない事を書き続ける、しかも頑張って書き続ける事のような感じである。



ところで優れたもの、というのも抽象的である。イメージとしては誰もが目を引くような内容をもったものなのだろうが、じゃあそりゃなんだと聞かれると基本的には仕事としてやるようなものだろう。数学の仕事なんかはまさに人類の叡智に関わる内容を構成するようなものだから、努力だけではどうにもならない部分がある。


だから自分としては物量をこなしさえすればなんとか出来るレベルのクオリティーを維持したものだったら結構優れているのではないかと思ったりする。ただそういうのを作ろうという気概を持っていたとしてもネタがなければしょうがない。コンセプトとかイメージがまずあってクオリティがあげられる余地があると思う。



じゃあ私の目指しているもののコンセプトなりイメージは?



スッカスッカである状況だ。既に無イメージと化し、とりあえず雰囲気でやろうという事くらいしかない。その雰囲気ですら続ける努力が必要という。


長々と現状を述べたのだけれど、実に静かな夜である。遠くで自動車が走り抜けてゆくような音も聞こえる。すべてではないにせよ、もう明日の事を優先に考えて多くの人は眠りにつく。けれど寝つく少し前、何となくやり残した事があるような気持ちになる事がある。消え去る前にこの気持ちだけでも書いて残しておくのは良いのかも知れない。

今週の重賞

GⅠ連戦の合間の週です。土曜の福島では福島牝馬Sがあって見に行きたいのですが、予定があって行けない
と思います。日曜の2つのGⅡもなかなか面白そう。福島牝馬Sはほぼサンデー系の馬ですが、ノットフォー
マルは重賞も勝っていて、血統的には興味深いですね。


・ノットフォーマルは父ヴァ―ミリアン、母父マンハッタンカフェ。サンデ―の3×3がありますが、キンカメ
とは別系統のミスプロ系なので将来的には重宝するかも。普通にクロフネで、


http://www.jbis.or.jp/topics/simulation/result/?x=29&y=17&sire=0000615577&broodmare=0001157210


アウトブリードを狙うのも良いかも知れません。その次の世代でサンデーが5代目なので何か工夫して
みたいのですが、その次辺りでエピファネイアとかだとインブリードが丁度良いかも。


さて、日曜の東京フローラSではサンデ―が入っていないような馬を探しますとエルビッシュが該当。



・エルビッシュは父キンカメ、母父Eltish(ターントゥー系?)。こうなるとサンデー系でどの馬を
選ぶかだけですが、やはりオルフェ―ヴルを選びたいですね。

http://www.jbis.or.jp/topics/simulation/result/?x=46&y=15&sire=0001090360&broodmare=0001175065


見事にアウトブリード。ヴィクトワールピサでもいいのですが、とにかくサンデー系でも代を重ねて
サンデ―の薄いインブリードが狙えるようにした方がいいのではという気持ちがあります。ちなみに
ヴィクトワールピサだと、


http://www.jbis.or.jp/topics/simulation/result/?x=30&y=10&sire=0001046333&broodmare=0001175065


ミスプロのインブリードが入ります。


福島牝馬Sの週だからか、マイラーズCは牡馬のみ。父ディープの種牡馬としての将来性を考えてゆく
ならフィエロも見た方がいいのかも知れませんが、むしろ実績的にはクラレントの方が面白いですね。


・クラレントは父ダンスインザダーク、母父ダンシングブレーヴ。見方によっては超良血なのですが、
母父キンカメで探すと配合しやすい母系ですね。ここでは多用しているエンジェルフェイスだと、

http://www.jbis.or.jp/topics/simulation/result/?x=33&y=13&sire=0001104873&broodmare=0001171856


アウトブリード。あとはあり得ないとは思いますがアパパネでも

http://www.jbis.or.jp/topics/simulation/result/?x=29&y=10&sire=0001104873&broodmare=0001049318


アウトブリードです。




アパパネはディープが相手みたいですが血統的には恵まれていますね。

たわいもない①

日々は他愛もない事が多い、というのは真理だろうと思う。伝えるほどでもない事。「伝える」という
からには伝えようとしている相手が想定されている。伝えるほどでもない事を伝えるというのも主体
には若干難しい部分がある。けれど、情報の隙間というのか、まさにニッチなものとしてはそういう
他愛もない事に目を向けるのも時に有効といえる。


「それほどの事でもないんだけど…」と前置きして語るようなものだろうか。



そして肝心の内容に入ろうとすると、「内容」という言葉のイメージそぐわない貧弱な断片が漠然と
した集まりを為しているのは分かるが、それをどう語れば良いのか分らなくなる。ネコとのスキンシ
ップは非言語的だし、目を潤ませているのを見ていると考えている事がだんだん消えてゆくのを感じ
る。いっそ自分も猫化して、「にゃ~」という言葉を並べた方がいいのではないかとさえ。


ところで本当にどうでもいい話なのだが、バイトを辞め就活に入っていて、体重が増えやすくなって
いるというのが少し気になる。運動をしていないのだから当然で、書いていて手を動かしたり脳を
働かせてもエネルギー消費というのは省エネで、むしろ走った方が良いような気もするが食べる量
を少しだけ減らし始めている。



それでもカレーのような匂いが漂ってくるとどうしても食べたくなってきてしまう。



そういう気持ちを抑えていると、今日あったニュースが浮かんでくる。プリンスの死去というニュー
スは特に衝撃的なのだが、何故かこのところ音楽界で同様のニュースが多いのでだんだん、アーティ
ストは結構短命な人が多いのかなという認識になってきている。国内のアーティストのライブにも
そこそこ行くようになったけれど、あのエネルギーを発散して生きていったらそれも何となく頷け
てくるというのが怖いようなところ。



けれど月並みだが、『作品は残る』という事だろうか。慣れ過ぎても変だとは思うのだが。

なにとはいえない

安易に語り出したくない気分と言えばそうだろうと思う。やるべき事はあるけれど穏やかな流れに
浸っていたい気持ちが強い。全てが上手くいっているわけではないにしても、気持ちは整理され、
十分に喜びがある。


空に目を遣る。白く雲に覆われ、それほど恵まれているという天気でもない。けれど、どこかカラ
っとしている空気でもあって、曇った中にも明るさが感じられる。

他愛もないものによせて

二本松で大山忠作という画家に関係した桜の絵の展示会があるので行ってきたところ。
絵はそれほど分るわけではないが昔よりも見方が分ってきた。桜というのは幽玄な雰
囲気があるなと思うのだが、特に夜の桜というは特別だ。それが絵になってもやはり
何か伝えようとしているものが伝わっている気がする。


なんとなく絵の自由さに憧れる部分はある。言葉で伝えようとする努力をすればするほ
どそれでは伝えようのない「雰囲気」は音楽や絵を通じてしか表せないようにも思えて
くる。



言葉尻…という語が浮かんだのだが「大切ではない形式の部分」ならば、情緒的に表現
する際には実を言うとその辺りが非常に重要であるような気がする。主体が「ががって」
いるような時に口調も変わってしまうような、言葉遣いの僅かなブレにさえ拘るとする
ならば、どの程度伝えたいものを伝えられるだろうか。



雲のように、まるで霞のように、実体はないのに自分の身体が何かに向かって僅かに動
き出そうとする。ややもすれば危いざわめきの中で、虚空に言葉を放つとしても上手く
声にならない。巡らされた糸が、危いもの同士を支え合って、『なるようになる』とい
う現実を作り上げているような世界観。



全てが自分の中での事ではない。けれど多くは自分の気持ち次第でしかなく、動かされ
るのを待っているような。



他愛もない文句を、ちょっとだけ曝け出したくなった。

日々の選択

やや風が強い。陽射しを浴びて寝転んでいたいような気持になるが、反面やる気があるので
結構きびきび動いている。


「気持ちがある」という事で言うなら、出来るかどうかは分からないけれど何とかカタチに
したいと思い続けている事がある。けれど今すぐにそれが何であるかを述べることは出来な
い。時が来れば、自分の心が動いてそちらに動き出してしまっているような、そういう瞬間
も待っている。


これまで生きてきて「ここだ」という瞬間は何度かあったと思う。機会でもあるし、イケる
と思った時でもある。そういう繰り返しの中でしか、自分の気持ちというのはカタチになら
ないと思う。



非常に微妙なところで日々選んでいるのかも知れない。

輪郭を…確かめる…

『確かめる』という言葉は日常的に遣っているけれど、文字通りの『確かめる』という状態になっている
かというと微妙なところではないだろうか。


まず、確かめなくてもいい事があるのかも知れない。酷い例だと、間違いを犯したらどうなるのかは確かめ
なくていい。極端な例ではなくても、無理に気持ち良くないものを経験する必要はない。ところで、では
確かめた方が自分の為だというなら、例えばそれはどういうものだろう。


ある程度自信がある事について、しかも嫌な思いをするかも知れないというリスクを負うのは自分だけとい
う状況なら確かめた方が良いかもしれない。自信過剰にならない為とか、きちんと確かめて「確信」と言え
る状態に出来るとか、たとえ思い描いた通りではなくても学べるという気がするからだ。


もちろんその『確かめる』行為にどこかしら思い切らなきゃならないとか「ダメな結果だとほとんど恐れて
いるような時」にもそうする必要があるのかというと、そこは人それぞれ。耐性が関係しているような気も
する。



けれど、確かめられる経験もそう多くは無いように感じる。実際に結果を突きつけられて、数字として受け
入れて、判断をするという面白さもある。やってみて認識の甘さを実感する事も多い。勿論、自分の中で整
理する為に数字だけでは分らない部分も想像してゆく事も必要なのだろう。けれど、事実として知れること
はまずそれとして意味があるので、数字は数字なりにその「値」に合った反応するという感じだろうか。少
なくとも「この数字くらいは行く」と思っていた部分があるのだろう。それがそうではなかったと認識する
過程は確実にある。



正直、「解釈」については人それぞれ違うなという気がする。自分の解釈を標準にしても、信頼できる人の
解釈を標準にしても、確定しない部分があるのは確か。それだけに「コメント」というのはその部分を補強
するものであるのだが、そういうものはなかなか望めない。



その部分まで含めると「確かめる」という事は本来はとても難しい事なのだろう。どこか手探りがあって、
なんとなく輪郭が分ってくるような。

さくらウォーキング、感想

昨日は「さくらウォーキング」に行ってきました。あいにくの雨、そして桜が既に散っているという
状況での催しでしたが、個人的には気持ちよく歩けました。抽選会でも物が貰えたので良かったです。


参加者も多かったのが印象的でした。来年は是非好天と、桜に期待したいですね。

空気ではなく…

少し早起きしてさっそくブログ。ブログと一語で言い表すけれど、『活動』というニュアンスを
もっている。活動しているうちに発見する事もあれば、気付く事もある。それが更に次に繋がる
という意味ではなかなか奥深いものだ。


「麗しき人の夢」というシリーズを書き始めて、「猫」を登場させたけれどわが家には3匹の
猫がいる。「ナンセンスに」というブログでも「猫話」として書いているのだけれど、今その
古株がしつこくこちらを見つめて鳴いて何かを訴えている。しかも弱々しいというか、若干た
めらいがあるような切ない鳴き方で、どうもそちらに目が行ってしまう。いつもはうるさい猫
なので朝の静かな時間に活動している私に何か感じるところがあるのだろう。


だいたい鳴き方で文句を言っているのか甘えているのかくらいは分かると思う。



何とは言わないけれど、とにかく表現してみて、そしてそれを受け取った相手から受ける反応で
確かめているような事が多い。そしてやる前から分りきっていると思っている事でも実際にやっ
てみると何らのレベルで意外な事というのは見つかる。そうやって経験したことが今のありかた
を形作っていると思う。



考えてみると、その二つは似ているところがあるのかも知れない。「良いのか」、「悪いのか」
「面白いのか」、「つまらないのか」、その間という感じなのか、猫の鳴き声のように微妙さ
が感じられるというのか、様々な「度合い」が数字にも表れているような感じ。



それは空気を読むというのとはまた違っていて、言葉ではないけれど僅かに何かで出された表現
、或いは意図せずに出されたものから感じ取る力なのかなとも思う。けっこうそれが面白い。

こういう時は

震災があって、どうにも心が落ち着かないのだが自分の事でも最近ちょっと心境の変化があって
なんだか忙しない。


まずは震災の事だろうか。日本国内は何処でも地震が起こり得るとは分っていても、いざ大きい
地震が起るとやはり認識が甘かったのかも知れないと思わされてしまう。東北での地震の記憶も
蘇るのだが、こういう時はとにかくツイッターが一番の情報源である。出来るだけ有用な情報を
出せるといいと思うけど、先ずは冷静に自分の命を最優先にするべきだという事は正しいかも
知れない。



地震のニュースを見ていると、本当に余震が多いなという印象である。経験談でこういう日が続
いてくるとノイローゼ気味になるのだが、あとは食糧の不安だろうか。火災も心配だ。




自分のペースで続けているブログだが、流石に今日はそういうわけにもいくまい。

今週の重賞

今週は皐月賞ですね。もうそろそろPOGの事を考えなければならなくなってきましたが、今週も土曜に
福島競馬場に行こうと思っていて、とにかく毎週が楽しみになってきます。土曜のアンタレスSは重賞馬
も結構出走しますが前走フェブラリーS3着のアスカノロマンが血統的に面白いですね。


・アスカノロマンは父アグネスデジタル、母父タバスコキャット。日本には珍しい血統ですが、ミスプロ
系の別系統で発展していってほしい気持ちがあります。サンデー系の牝馬だと余裕ですね。



さて少しあっさりとした紹介になってしまいましたが、ディープ系が多い皐月賞もマカヒキをさらっと
見てゆく事にします。


・マカヒキは父ディープ、母父フレンチディピュティ。この血統だとキンカメの牝馬でサンデー系が入っ
ていない馬だと大丈夫そうで例えばエンジェルフェイスとの配合では、

http://www.jbis.or.jp/topics/simulation/result/?x=46&y=5&sire=0001171707&broodmare=0001171856


ご覧のようにアウトブリード。仮にこういう血統で次に繋げられたとするとサンデーが4代前になるので
サンデー系が入っていても配合が出来るでしょうし、なんとなく嬉しいですね。

関わりで

自分の気持ちがあって、そこを大事にして選んでゆくという過程があると思います。情緒的な
書きものはそれがあって成り立つわけですが、どうも『気分』だけだと内容にはならないよう
に感じます。


朝起きて<ああ、今日は気分がいいな!>と感じればその日はだいたい気持ち良く過ごせるの
でしょうけれど、むしろもっとはっきりと何かの出来事とかに対して感じたり湧き起った気持
ちや感情の方がより内容があると思うのです。もちろん不快な気持ちが特定の何かを知って起
ったものであり、それに不満を漏らすという事はあまりしたないようにはしていますが、一番
内容があるだろうと思うのは「もやもや」した気持ちだろうと。


「もやもや」が何から来ているのかを自分で確かめるのは結構難しいものです。葛藤だと一口
に言われても、どんな事とどんな事が(或いはさらにどんな事が)関係していてそう感じるの
かというのが自分でもよく分かっていない時の方が「もやもや」というのは感じると思います。
世の中が複雑化しているので、それをまとめるのも一苦労なので「もやもや」したままでもと
りあえずやるべき事をやっているうちに、いつの間にかスッキリしているというような日常が
あるのかも知れません。


主観的なものに思われる「もやもや」が、世の中に対する不満ならば結構どうしようもない事
があるのですが、反対に自分自身に対してのやるせなさにもなり得るという事が微妙なところ
ですね。世界を変えるのは難しいけれど、世界の一員である自分が変わることは出来る、とい
うような理屈をこねたりすれば、まあ変われない自分自身に対する不満とも取れる。



じゃあ具体的に何が自分にとって問題で「どうすればいいのか?」と考え始めると、本当に
色んな意味で壁にぶち当たります。自分の能力の限界、人間関係の限界、世の中の仕組みで
どうにもならない。



…とまあそうやって分析していけるのですが、この記事においては情緒的な書きものをする
際にこんな風に広げてみるというのも必要なのだろうなと感じたという事が内容です。勿論
、「もやもや」したものが少しばかりあるのは事実なのですが、自分だけがそう感じている
わけではないというのが案外救いになったりするもので、世の中の事に全く関心を持たなく
なるという方法もあるのでしょうけれど、出来る範囲で何かと関わってゆく事は決して無意
味な事ではないと思っています。



自分はどこまで関わってゆけるのか、というのが多分「もやもや」なんだろうなと。

麗しき人の夢 ②

猫に髪を齧られて目が覚める。朝ごはんを要求しているのと起きてほしいという気持ちのどちらもあるのだろうと思うけれど、人間が嫌だと思う事をしっかり学習しているこの小さな同居者に僅かに戦慄を覚えたりしなくもない。


今もそうだが目が合うといつも何となく右手で頭を撫でている効果もあってかすっかり懐いてくれているのは嬉しい。急かされるまま部屋を出て階段を降りる。


<少し前まで起きた時の寒さが堪えていたけれどもうそんな心配をしなくても良いなぁ>


台所の皿にキャットフードを盛り付けながらそんな事を考えた。そういえばあのエッセーの著者も猫を飼っているらしく本文にも幾度か登場していた。土曜、日曜でほとんど読んでしまったのだが、内容が妙に心に留まっているような気がする。今の心境だと、


『夢と猫 ①』


という章が思い出される。それはこういう書き出しだったと記憶している。


『猫といえば『寝子』から来ているという説はどんな本にも載っているような定番だが、眠りには夢が切り離せないだろう』



なるほどそういう切り口かと思っているとだんだん眠くなるような話になっていった。


『猫が寝ぼけて夜中に腕を噛んだり、突然唸り出すような事があると知ってからは痛い思いをした反面一層愛着が湧いてきたのを覚えている。寝ぼけるという事は紛れもなく夢なのだろう。午前中の眠りでは鼾を掻く程度で浅い眠りの場合が多いのだが、夜寝室のベッドで一緒に眠っている時はかなり深い眠りに入っているとみえる。


獲物を追い掛けている夢とか、怖い目に合っている夢とか、大抵そういうシンプルな夢だとは思うけれど、では猫にとってストーリー性のある夢とは何なのだろうか?と妙な事を考えてしまいそうになる。


そこには私との触れ合いもあるのだろうか?


そういえば私は夢の中でそれほど猫が出てこない。ただし出てきた時には本物と同じ姿形で出てくるから普段からしっかり観察しているんだなと思ったりする。ファンタジックな夢だと黒猫が人語を話していて、しかも野太い男性の声優のようなはっきりとした発語で喋っていたのが印象的だった。


猫とのコミュニケーションは…』



という感じで次第に猫とのコミュニケーション、ひいては猫と会話が出来るようになったらという妄想を膨らませてゆくのだがそこでも「夢」に関係づけて、


『猫がたまたま毛玉を吐き出したりする前に変な鳴き方をして一瞬人語を発したように錯覚した時の、あの不思議の国に来たような気分はその夢の時と重なる。ネットの動画でもそういうのが一時取り上げられた事があるが、錯覚した時に意外とそれが起り得る可能性を受け入れている自分がいるのだ』



とうまい具合にエッセーのテーマに収束させている。むしろ猫でも一冊書いて欲しいような出来栄えなのだがこう締めくくっている。


『我が家に愛らしい猫が居るという事自体、一つの夢のような気がする時さえある。それくらい理想が具現化した存在だという事だろうか』



これは賛同したい気持ちである。今日もこれから仕事で留守にしなければならないが、仕事場でも疲れてくると猫の姿を見て触れ合いたい気持ちになる。猫を飼って以来外泊のような外出もめっきり減ってしまったけれど、猫よりも私の方が不安になってくるかも知れない。



出来るなら一緒に居る間はベッタリしておきたいものであるのだが、そこはツンデレの代名詞。あんまりベタベタ触っていると嫌がってどこかに行ってしまう。茶トラの太っちょだが、布団の中で抱きついたまま眠るのがちょっとした夢である。


20160412164104d19.jpeg

十分ということ

火曜の朝という特に何でもない時間。探している最中とはいえ仕事に行く時間にあまり遊ぶ気に
もなれない上、朝だから本当に一層そういう気分が強くなる。


これは前からそうなってきた事だが、ネット上に公開するものについては一つ一つに時間を掛け
るようになっている。集中とはまた違っていて、「これで十分」と思えるところまで粘るような
感じ。ただし創作についてはちょっとだけ事情が違っていて、勢いで書きたいと思えているうち
に書き上げてしまうという仕方で書いている。



「これで十分」という感覚はいつの頃からか自分の中に出来はじめていて、何かをやり遂げたとい
う気持ちも、その感覚があると自然に起ってくる。何故十分なのか、を考え出すともう自分では分
らないのだが、多分「余計だ」という失敗を繰り返した中で培われたものだと思う。


ところで、ある友人がネット上での発言についてその責任を負うのが苦痛、或いは追いきれないと
いうような話をした事があった。その頃からブログは続けていたのだが、確かに書いたものを無批
判に受け入れられてしまうとか、何かを説明する為に書きつづけなければならないという状態を続
けるのはなかなかやり辛いものがある。



「所詮はブログ」という面を持ちあわせていても、書いた方は自分が正しいと思った事を書く、
或いは偽らないというような期待があるはずだから、期待に応えようとし続ければ負担になって
くるのも仕方ないと思える。


「これで十分」という感覚が「余計」だった経験から出てきているものならば、「余計」という
のも多くは「サービス精神」のようなものだと思っている。自分の気持ちを少し偽って続けてい
てもそれは一時的なものにしかならないし、かと言ってありのまま愚痴を言うように続けていっ
てもやはりそれは書いている理由を見失う。常にどこかしら建設的で次に繋げられるようにと願
っているのは本当だが、安易な見通しはその場限りのものになるような気もする。




「余計」なものを除いてしまうとあまりにもあっさりし過ぎてしまうようにも思えてしまう事が
あるけれど、「十分」なものは実際後から読み返した時に『頼もしい』とはまた違うけれど、地
に足が着いている、或いは「その時点に即している」というように感じられる。



少なくともその時点でそれが「十分」だと思ってやっている、という事は一つの情報になる。それ
くらいで今日の所は「十分」である。

落ち着いていられる

静かで落ち着いていられる時間というのは何ものにも代えがたい。本来的には世の中がそう
できていないというのもあって、完全に何もしないというのはあり得ないし、今だって何も
しないような感じで過ごしている間に語りはじめようとしている。


世間とベッタリという感じの人間でもないから、自分だけで納得している事とか、ちょっと
変人気味に楽しんでいる事とかがあって世間の一人として発言する事もそれほどないのだが
、気になる事は幾らかある。けれど語るほどのものではない。一方で、そういう話題で自分
がどうにもできないだろうという事を感じると、今自分が出来る事を模索してみようという
気分になったりもする。


一概にネットでの発言が無力とも言えなくなってきているからこそ、というのか、どうせな
ら新鮮な事を得て良いと思うものを提示するという試みも必要なのだと思う。



今さら不勉強などと言っていられなくなっているくらいには勉強はしたと思う。だからこそ
思うのだが、書物から学べることも娯楽も確かに有り余っている。分際を弁えるとしたら、
その中に無いだろうと思われるものをぼちぼちと考えてゆく事だろうか。そうとも言い切れ
ない部分はあるものの、結局は『どこまで求めるか』という事に尽きると思う。



それを考える為にも、静かで落ち着いていられる時間は必要である。

言ってみたり

何とも言えない。諸所の問題はあるけれど、大まかには気にならなくなってきた。この上なく
必要と思える事が無くなってくると気楽な調子で、


「どうしよっかなぁ…」


と呟きたくなる状況になる。あとは自分がそんな感じだから、同じような状況の人を想像する
のか、そういう人でも『是非』と思ってしまうようなものを捻り出すとするとこれまた難しい
という事が分る。



本当に際どいところにあるブログだなと思う。



関係が多様化あるいは複雑化したなかで、収まるべきところに収まるというのか、自分が続け
られる範囲で可能な身の丈に合った立場というものが前よりも感じやすい。今が一番丁度良い
のではないかと思われる程に発信しやすい位置である。



敢えて書く必要はないけれど、まるで書かないのも違う。とか言ってみたり。

ずっと続けてきたもの

ネタというか自分の中の葛藤を題材にする他ないような状況。そんなに葛藤があるという程ではない
けれど…


大体の事はそうだけど、精度を上げて良いものを作ろう(書こう)と思ったらその分労力が必要だ。
大変になってくればそれは当然ある所からは気持ちの部分でやりたくないな、と思う部分が強くな
ってくるのも確か。


事態はもっと複雑でその「やりたくない」が偽りとか程度の問題になるようなより強い「やりたい」
がある。やりたくない気持ちを重々わかっていて、それでも尚、本当にやりたいからやるとなる場
合に自分の「意志」が現れているのだろうと思う。自由意志とは言わないかも知れないが、矛盾す
る気持ちの中で強いものの方に方向づけてゆく事くらいは出来るのだろうと思う。



だから長い時間を通してみれば『自分で選んでいる』と言っていいような状況になっていると思う。
実際、これまで続けてきたことが下地としてあって、『それを活かさないでいるのは勿体ない』と
感じさせるくらいのものだったら、必然的にそれを選ぶ。つまり「一瞬」の意志でどうにかするも
のではなく、長い時間を掛けてそういう方向に選びやすくしているという事も含めて『意志』と
呼んでいいのであれば、既に決めている事も含めて自分の意志だろうと思う。



まあ、それはそれとしても『一瞬』それを保留するとか、付け加えるくらいの事は出来るとは思う。

今週の重賞

今週はいよいよクラシック開幕ですね。土曜のGⅡからみていきます。NZTは重賞馬レインボーライン
が該当するようです。

・レインボーラインは父ステイゴールド、母父フレンチディピュティ。前走はM・デムーロの騎乗も
凄かったですが、なかなか奥深い血統です。NHKマイルCに向かうのでしょうが、父ステイゴールド
の種牡馬も増えてきていますし、差別化を考えるとマイルで活躍していけば需要はありそう。キンカメ
肌の重賞馬エンジェルフェイスなどでもアウトブリード。

http://www.jbis.or.jp/topics/simulation/result/?x=57&y=23&sire=0001169928&broodmare=0001171856


やはりサンデー系はあと一代後でサンデ―の4×4などを狙える辺りからが勝負かなと思ったりします。


阪神牝馬SはGⅠ馬ストレイトガールがいますね。


・ストレイトガールは父サンデー、母父タイキシャトル。素直にキングカメハメハだと、


http://www.jbis.or.jp/topics/simulation/result/?x=28&y=10&sire=0000729458&broodmare=0001108396


アウトブリード。では適性を合わせてロードカナロアだと?


http://www.jbis.or.jp/topics/simulation/result/?x=64&y=22&sire=0001089850&broodmare=0001108396


In Realityの5×5。どちらかというとロードカナロアを押したいですね。



そして桜花賞ですが、ここは血統と実績を合わせて考えてビービーバーレルを見ていこうと思います。


・ビービーバーレルは父パイロ、母父Silver Hawk。母系がヘイローの血が濃いのでサンデー系は
避けた方がいいですが、ミスプロ系かDanzig系などのどちらを選択するかは幅があります。ミスプロ
が5代目に入るという事をかんがえると、ルーラーシップを選んでみます。

http://www.jbis.or.jp/topics/simulation/result/?x=49&y=12&sire=0001042049&broodmare=0001168643


結構理想的ですね。あとはノーザンダンサー系でハービンジャーだと、

http://www.jbis.or.jp/topics/simulation/result/?x=26&y=4&sire=0001115148&broodmare=0001168643


アウトブリード。なんとなく勿体ないのでクロフネを選んでみると、


http://www.jbis.or.jp/topics/simulation/result/?x=36&y=12&sire=0000615577&broodmare=0001168643


こちらはロベルトのインブリードが活かせますね。選ぶ相手には困らないと思います。



さてクラシックなので少し予想をすればメジャーエンブレムで堅いと思っています。10日に福島競馬場
に行く予定なので、確実に当てていこうかなと。

全力で

恐ろしく空っぽになっている。いや、あるにはあるのだが一段階上を見てしまった感覚がある
せいだろうかもっと内容を豊かにするべきだと思ってしまった。まあ別の捉え方をすると、
その素晴らしいものと同等のものをブログで続けるには全生涯を捧げなければならないレベル
のような気もしてくる。


もちろん素直に凄いと思えている感覚は大切だと思う。


とても基本的な事だが私は本を読むのが好きである。可能ならあらゆる本を読んでみたいとさえ
思っているのかも知れない。けれど一歩で『数学』の勉強をしたい時があったり、歌ってみたり
したいと思うときもある。競馬だって趣味だ。



何にしろ日々を精一杯、大切に生きる事が基本だ。何事も全力で取り組むような、そんな生き方が
自分には合っているように感じる。

えんたーていんめんとを

朝から書きたいものを書いて上機嫌のまま外出。さくらウォーキングへの申し込みや職探しなど
市内を歩く必要があったので行きは電車で帰りはそのまま歩いて帰宅。至る所に咲いている桜に
見惚れながらだったのであまり疲れない。


書き始めたシリーズの『麗しき人の夢』だが気長に続けるつもりである。そこそこリアルで描写
も結構できそうな設定。我ながらいいアイディアを出したものだと思っている。こういう風に更
新を続けているとアクセスも安定してくるというのは嬉しい。



独り言に即した事を言うならば、個人的に最近エンターテインメント性の高いものがそれほど必要
ではなくなってきた気がする。むしろ芸術性の方に偏ってきたかなという感じ。読まれ易いのは前
者だし、シリーズを続けつつも短編でエンターテインメント性の高いものも狙ってみる方が良いか
もと思ったり。

麗しき人の夢 ①

意外や意外。あるところにはあるんだなと感心した。地元の数少ない古書店のようなリサイクルショップのような外壁の緑が鮮やかな店で、「無い」と思っていた本を見つけた。厳密には何処にも「無い」というわけではなく、ネットで『密林』を利用すれば高い配送料を払って何とか手に入れる事も出来ると思われる品なのだが、それを地元で見つけられる可能性は限りなくゼロに近いと思っていた。


『へぇ~良かったね』


ネットで呟いたらフォロワ―の友人からリプライが来た。彼も本が好きなのだが、多分自分が欲しいと思っていたこの本に食指は動かないだろうと思われる。


『麗しき人の夢』



それが本のタイトルだ。小説にありがちなタイトルなのだが、実は小説ではない。エッセーである。詳しくは読んでみなければわからないが本の「そで」の部分にある解説では、


『夢と現が交差するような時間をテーマに』


という文句が入っていて、かなり独特の随筆であるという事が予想される。ネットのレビューでも過去作からのファンが手放しで褒め称えていて、「読んでいて夢をみているような気分になった」というのは著者の狙い通りなのではないだろうか。手に入れた日こそ時間が無くて読めなかったが、数日後の土曜日は朝から読み耽っていた。



『世の中の現象というのは私にとっては早足で過ぎてゆくように思われる。それに着いてゆくように生きてゆくけれど、何処かに置き忘れた何かが凝ったまま時折足を引き留める。自分の中のもっと「のんびりやろうや」と訴えかけているものだったり、過去のある時点で止まってしまったような気持ちとか、そういう色んなものがある事に気付かされるけれど、得てしてそれは夢の中で妙なリアリティーを持って再現される事がある。夢の世界から脱け出した後もしばらく続くいつもと違うテンポとリズムで普段とは違った言葉が浮かんでくる。


それがこの世の理と合致している事はあまりないのだけれど、時々、例えば景色を見ながら道を歩いていて何気なく足を停めてしまうような時に、ふとそれがそこに再現されているような気持ちになる。そういう事を『夢と現の交差』と呼ぶならば、私はそういう瞬間を探すのが好きなのである。


多分それは、早足とは違うスピードで動いていたり留まっているもの、そこだけ時間の流れが違うようなそんなものなのだろうと思う。』



という書きだして始まった文章は何かしら身に迫るものがある。おそらく自分もそれに近い事を感じていて、こんな著者のリズムで過ごしてみたいと思っているからだろうと思う。一方で、『作家』という地位にあるからそういう事も出来るのだろうと羨望にも似た何かが擡げそうになる。本好きの人間にありがちな安易な作家生活の想像から来る憧れと、少し書いてみてそこには届きそうにないという気持ちの狭間で、可能な限りそこに近づいてみたいと思いはじめて手を出してみたエッセーというジャンル。けれど、今ではそういうものを読んでいると心が落ち着く感じがする。



時間の感覚を忘れるように読んで行って最初の章に入る。『朝の光』というその賞は、まさしく朝、寝起きでぼんやりしている時にテレビで溌剌と原稿を読んでいるニュースキャスターの声や動作が異様に早く感じられるという光景について語ったもので、丁度起きる直前に観た夢が穏やかなものであった事から、


「世の中のスピードというのは『仕事』が一つの基準であることは間違いない。けれど『仕事』にも色々なリズムはあって、飛び交うニュースをまとめてなるべく早く簡潔に発表しなければならない使命を帯びているキャスターを標準としてしまうと、案外早すぎるのではないかと思われる。けれど『世の中』を広く見通すなら、刻々と変化が訪れていて、そのスピードでも遅いのかも知れない。


(略)


私はといえば、無意識に穏やかな世界…とまではいかなくとも空間がどこかに無いものかと夢の続きを探してしまっている」


と誰もが経験するような寝起きの様をそのまま語っている。そこで著者は庭に出てみる。『朝の光』が絶え間なく当たっている静かな朝がそこには広がっていて、


「意外に身近なところにあった」


と結論づけていた。本を読むときにはなるべく一気に読んでしまう私だが、むしろこの本は自分でもそう実感できる事の方が大事なのではないかと思えてきて、同じように庭に出てみた。早朝ではないけれどまだ十分『朝の光』が辺りを包んでいる。土曜日だし、田舎だから一層静かな世界のような感じがする。遠くにはいつも見守ってくれている大きな山の輪郭がしっかりと見える。4月だが、雪化粧はそのままに、何ともスケールが大きい世界の一部である。こういう状態のまま、本当に何千年、下手したら何万年と大きくは変わらなかったのだと思うと、まさに「早さの違い」というのを実感する。



201604050819161b3.jpeg





<確かに身近な所にある。けれど流石にそれはのんびり過ぎるだろうか…>



などと思ってしまった。

情報性

時間が余っているようで、必要な勉強をしているうちに完全な遊びというのは無くなる。
情報やら雇用やらという単語が出てくる経済辞典を読んでいるとまるでこれからの作戦
を立てているような感覚になる。


雨が降って外出に適さない天候になってしまったという事もあるが、こういう時に『今
この瞬間で出来る事を』と考えてみてもそれほど無い。むしろネットでブログをやって
いるからあるにはあるという程度だろう。



何かかっちりと適した表現が見当たらないのだが、そういう部分の情報性というのは非常
に豊富で、それを表現する手立てを探していると言えばそうだ。

変化

『日常系』で限界を感じているところです。まあ『カテゴリー』の問題であってちょっと違う視点
から書く内容はあるのですが、『日常系』らしさから逸脱してしまっていて創作論とか創作しよう
と思っている内容のアイディアを書く事にに近づいて行ってしまいそうなので、そろそろ方向転換
を図ってみようと思います。


まず考えなければならない事はツイッターとの兼ね合いでしょうか。みながツイッターをしている
わけではありませんが、ブログの需要面を考慮してゆくと効率的には細かいネタはツイッターで発
信してゆく事の方が良い状況になってきています。明らかに役割がちがうブログは、なるべくなら
読み応えがあるものを書くのが適しているという情勢になっているようにも感じます。


情緒的な内容を続けてゆくと何処かで「エッセー」に近づいてゆくのですが、エッセーは毎日でき
るものではないし、ちょっと特別な部分を持っています。必然なのかも知れませんが内容のあるも
のを毎日書こうと思っても、情緒…つまり気持ちが動くのもそう毎日の事ではなくなるきらいがあ
るという事情もあります。



当面の目標としては既に述べてありますが、『そこそこリアルな創作』をシリーズのようなカタチ
で続けて行く事なのですが、だんだん本気になってきたのもあって毎日の関心事が限定されていて
毎日の事を記憶するよりも創作の事ばかりになっているように感じます。



まあ事情はこんな所です。とりあえずは『独り言』に変えて続けてゆこうと思います。
プロフィール

二人の管理人

Author:二人の管理人
ブログには珍しく二人の管理人で更新してゆくブログです。

二本松のこと、競馬のこと、これから手探りで何かを
やってゆこうと思っています。




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