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スローペースで、二人で出来る事を模索しながら。二本松、競馬、などなど。

来年

来年に向けて何か目標とかテーマとかを掲げてみるのも
いいんじゃないかなと思ったので、とりあえず書いてみます。


具体的な事を挙げるとなると、大変だったりするので漠然
とした事しか言えませんが、何か「残す」事が出来たら良い
と思ったりするので、こちらのブログでは社会的な事とか
に絡めて何かを発言して、二本松との比較をし続けて
みるのが良いような気がします。


ニュースとの関係ですかね。そこから見えてくる事はある
のでしょうか?


あとは競馬の小説っぽいものを少し続けてみようかなと。
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狂言の限り。ぼんやりしたイメージ。

馬主: 「僕はね、競馬にはロマンが必要だと思うんだ」


馬主を続けるモチベーションは一体何なのだろう。ステータスだから?
では不十分だ。馬主はどこまで競馬が好きでどこまで競馬を知っている
のだろう。ステレオタイプがあまりない。つまりイメージを欠いている。


http://enjoy.jbis.or.jp/owner/message/


共通項があるのかどうか…。何よりも馬主しか知りえない情報を、簡単に
明かしてくれるとは思えない。



難しい。人間関係も複雑そうである。調教師、騎手、他の馬主、報道関係者
、ファン。それらにどのように関心があるのか、競馬をビジネスとして
捉えているのか趣味として捉えているのかの差異。そして何より『本業』で
ある。馬主の馬主としての側面だけでなく、その職業での仕事において
どのように活躍しているのか、とか純粋な資産家なのか。そして目標は
何なのだろう?



もちろん、馬がちゃんと走ってくれるかどうかが競馬にとって一番の
重要な要素であるのは変わりないし、JRAにとっては来場者、馬券の
売り上げ、新規ファンの獲得などが関心事だし、その為にはきちっと
開催してプログラムを実行してゆかなくてはならない。



『広がり』が最初からある。空間的にも人間関係的にも。どこを
切り口として選ぶのかといえば、それに関わっている人であろう。

紙上馬主芸夢

友人は見事なまでに散った。
友人として、その散り際を目の当たりにすることができたのはある意味では幸せなのかもしれない。
ただ、彼は馬券が紙屑と化すところを僕には見られたくなかったのかもしれない。
それは帰り道の彼の落ち込みようからも察することが出来た。

『なんであんなアホみたいな馬券の買い方しちまったんだろうか、俺は』
そばにいる僕に話しかける風でもなく、独り言のように彼はつぶやいていた。
一か月分のバイト代をつぎ込んだのだから、彼の落ち込みようは理解できる。
『あらかじめ財布にあまりお金を入れておかないことだよ。そうすれば使いたくても使えないからね。』
正に“あとのまつり”である。

今年のエリザベス女王杯は3歳馬のメイショウマンボが勝った。
メイショウマンボは3歳牝馬クラシックレースのオークスと秋華賞も制していて、今年GI3勝している。騎手と馬主の涙ぐましい関係が話題になったオークス以降、僕はすっかりメイショウマンボのファンになってしまっていたので、実は今回のエリザベス女王杯でもこっそり馬券は買っていた。
購入前に友人にちょっと馬鹿にされたものだから穴党を気取って、メイショウマンボ、ラキシス、アロマティコの三連単馬券を1,000円購入したところ見事的中してしまい、とんでもない配当が付いてしまった。
落ち込んでいる彼のそばではとても配当金を受け取ることはできないと思ったために、換金は後日一人で行こうと考えている。


『馬券は外れたけどさ…』
今までは独り言だったにも関わらず、急に彼は僕に話しかけてきた。
『馬券は外れたけどさ…メイショウマンボのこと好きになったよ。あの馬主と騎手の関係が今朝話した俺の理想なんだよね。』
『分かる気がする。』
『なんて言うのかな…“負けたから騎手を交代”とか“とりあえず外人騎手に”みたいなスタンスじゃないところが暖かいっていうかさ…。』
『うん、分かるよ。』
『お前なら分かってくれると思ってたよ。俺さ、馬主になるなんてさっきは半分ふざけて言ってたけどさ、今はとりあえずそんなことは放っておいて競馬の勉強をしようと思うわ。』

ここで感動のシーンを予想した方は、大変失礼だがドラマやマンガの見過ぎである。
今、彼は“競馬の勉強を頑張る”と公言したが、僕にはまるで意味が分からない。
だから友人として忠告する。
『…いや、競馬の勉強って…君さ、もう就職活動しなきゃいけないんだからそんなことしてる場合じゃないでしょ…』
『ん?あぁ、まぁそうなんだけど馬券負けたままでいるのは悔しいしさ、何か勉強することで馬券当てるコツみたいなもんが見つけられるかもしれねーじゃん?』

随分と見上げた根性ではあるが、馬券の配当金だけで暮らしていくつもりなのだろうか、彼は。
『馬主気分を味わうということだけなら、POGという手もあるよ。ペーパーオーナーゲームっていうんだ、略してPOG。』
『へぇ。』
『まぁ、ただ単に気分を味わうだけでさ、例えばどのレースに使うかとかは決められないんだけどね。』
『面白そうだな。俺とお前でちょっとやってみない?』
『うん、ただ人数が多い方が面白いよ、このゲームは。知り合いがPOGをやっていて、その人が主催するグループがあるからそこに入れてもらおうか。』

ひょんなことから僕と彼はPOGに触れることになった。
明日から就職活動が始まるというのに。

遊び

「遊」というのがポイントになりそうだと気付いた。何のポイントなのかと
いうと、このブログの全体的な事についてである。例えば厳密にしっかりと
議論をして何かを進めるとか、論文のようなものを書くとすればそうそう
簡単には出来ない。しっかりやるというのは、それに向き合う時にどうして
も気軽に行うのには適さなくなる。


遊びをするにあたって、自分達でルールを作るところまでは良い。本で学んだ
事だが、そのルールを時に崩して作り替えるというのも必要になるという事だ。


まあこの辺で。

中通り

「八重の桜」が終わりました。西田俊之が演じた人が八重に向かって言った台詞
は、役者や作家の実感が込められているような気がしました。同じ福島ですが
会津はやはり中通りと雰囲気が違います。同じくらい歴史がある町なのに、二本松
は歴史を語り継いでゆく人がいないし、その気がないのか、歴史的な建造物が勿体
ないような気もします。「和算」とかも有名なんですけどね。


以前述べた通り、福島の問題を語るとどうしても大きくなってしまいますが、
二本松ではどうしても小さすぎるようでもあります。ここに住んでいるけれど、
実際に動く範囲は福島も郡山も含まれています。どこまでを生活圏とするか
でライフスタイルも変わってきますが、いっその事中通りは中通りで何かしら
の統一性をもたせた方が良いのかも知れません。

設定を考える上で

O君の書いた競馬小説から、『馬主』という存在を微妙に意識し考え始めた。

そもそも競馬のゲーム等ではダビスタしかりウイポしかり、常に馬主の
視点で競馬を見て、馬主「として」活動を行うということを楽しむのだが
、誰もが一度は夢見る『馬主』は普通の感覚からするとちょっと想像しにくい
世界で生きているような気がしてしまう。JRAで馬主になる条件を調べて
みても庶民には遠い世界である。


社台のような一大グループともなると馬の生産から育成まで一括して行う
ようなとんでもない規模の活動になるけれど、その代表とも言える人が
いかに競馬に影響を及ぼしているかを考えると、少し実際の競馬の世界に
リアリティーが出てくる。


自分は「項」という言い方をするけれど、馬主なり、生産者なり、記者
なりといったそれぞれの「登場人物」が実際に様々に関係しながら活動して
いる様子を捉えるとなると一苦労だ。その実態を知っている人はどれくらい
いるかも分らないし、知らなくても競馬を楽しむことは出来る。


例えばサッカーにしても野球にしても、組織化すると様々な「項」を考え
ないと上手く捉えられない事が起ってくる。競馬も組織としてやっている
事であり、「国」も「世間」も間接的に関わってくる。よくもまあ、大がかりな
事を毎週毎週続けられるなと思うが、毎週毎週どころか、何世代、何百年
と続いていて、先の先まで見据えて動いている事に、驚きを隠せない。
シミュレーションゲームもゲーム内時間は本当に数百年になってしまう。


このまま現実が理想的な状況が続けば、競馬だけで完結した世界のシステム
を考える事が出来る。しかしどこかでリアルを追求するなら人間の方の世代
交代も当然考えなくてはならず、新作のゲームではその要素も付け加えられて
いて、何とも不思議な遊びをしているようである。


実際馬主になってみたら、を考えるよりも馬主になる為の必要要件を満たす
為に動いているだけで一生が終わりそうな具合である。その要件を満たした
上に競馬において成功するとなると夢の又夢。



そういう意味で言うと、馬主を目指す友人との物語はラックをどの程度分配
して、どこまで実現するかの設定が難しい。現実的な物語になると、精々
知り合いに馬主をしている人がいる、という程度があり得そうかなと思える
ところである。普通は『一口馬主』から始めるのが良いと言うけれど、その
敷居も結構高かったりする。

Oです、ご無沙汰しております。

随分とご無沙汰になっておりました。
Oです。

個人的というか仕事の関係で受験しなければならない試験があったりしまして、まるで身動きがとれませんでした。
H君からの『スローペースで行こうじゃないか』という心温かい言葉に甘えつつも、『こんなんじゃいかんなー』とか思いながら、悶々とした日々を送って参りました。

そんな私の多忙さは来週の月・火で最高潮を迎えることとなります。
ここさえ乗り切れれば少し余裕も出てくるでしょう。
すみませんが、いましばらくお待ちくださいませ。

それまではツイッターで細々と活動を続けております。

分厚い本

寒くなってくると、どうしても読書ばかりになってしまいます。
図書館で借りた『千夜千冊』という分厚い本を読んでいるのですが、
これがサイエンスが好きな人にとってはぴったりの本です。

私はレビューが下手くそだし、本なんて言うのは実際に読んでみる
のが一番だと思うので多くは語りません。それに『千夜千冊』
自体が非常に『粋』なレビューの集積物なので、それを更に
レビューするとわけが分らない事になるので、感想だけを
述べます。


とにかく、情報量が物凄いので嬉しい人にとっては嬉しいです。
松岡さんの『フラジャイル』でもうその感覚が気に入ってしま
った人にとってはご馳走のような文章です。

方向転換

二本松を語ると言っても、二本松のすべてを知っているわけではない。
自分が二本松だと思っているものを語っているに過ぎない。とはいえ、
志向対象として、目標として『二本松』というものに向かっているの
であって、知るにつれて二本松だと思っているもののイメージが変わって
ゆく。情報がそこに付け加えられてゆくに従って、考えなければなら
ないものも増えてゆく。


『二本松』というのはどうあっても地名である。ある場所がそう呼ばれて
いるに過ぎない。けれど、その場所で起こっている事は『二本松』の
出来事であり、そこに住んでいる人は一般的にそれに関心を持つ。
それらは情報として共有され、その後のアクションに何らかの
影響を与えている。


①物理的に確定されている土地について語る

②その場所で起こっている事について語る


一番単純な図式としてはこの二つで良い。けれど、その場所で起こっている
事は、その場所、土地自体が変わってゆくようなダイナミズムを持つ
運動とも言える。だから、自然と歴史的な視点が必要になる。


ここで結論を急ぎ過ぎず、情報やアイディアを出してゆくことにしよう。


『二本松』を知ることと、そこで何をするかは緊密に結びついている。
知っている事が多ければそれだけ行動の可能性が増える。とはいえ、
時間を考えなくてはならない問題は知り終えてから行動するという
事が常に出来るわけでもない。知を増やしつつ、行動する。


二本松の人は二本松の事には比較的無関心であるようにも思える。
歴史的な事は特にそう思う。いい意味で、『現在』に集中している。


色々な事は考えられるのだが、実際問題として何かが起こる気配
がないと思われる場合、どうしても日本全体とか福島とか、
そういう視点で考える時間が多くなってくる。そちらの方が流れが
圧倒的に早いような気がする。大きな流れの中で、その流れに
あやかって何かをするというのがここの方法なのかどうかは
分からないが、正直手詰まりの感が強い。


何が手詰まりなのか、というと、活気のある町にすることは
条件的に難しいだろうなという事である。



なら、何もそういう事を目標にしなくても良い。出来る事を考えて、
出来る事と言えばこつこつと、ここにあるものや起こっている事を
調べる事であり、それを続けていく事でも十分なのではないだろうか。
要するに『知』の部分を増強して、この中で出来る事を考えることに
集中すれば良い。一つの目標は、歴史を学ぶ事。そして出来れば、
『二本松』を伝えられるくらいに記述する事。更に、それを使って
少し遊びのような事が出来れば、結構十分と言えそうである。
プロフィール

二人の管理人

Author:二人の管理人
ブログには珍しく二人の管理人で更新してゆくブログです。

二本松のこと、競馬のこと、これから手探りで何かを
やってゆこうと思っています。




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