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スローペースで、二人で出来る事を模索しながら。二本松、競馬、などなど。

練習 依頼者側

ありきたりな別れ文句ほど、味気無いものはありませんよね。
彼女は(…と言っても“元”彼女ですけど)僕にこう言いました。
『これからは友達として仲良くしてね』と。
模範的というか、教科書通りというか…
これ以上“ありきたり”という表現がないほどにありきたりな別れ文句を言われてしまうと、もう、ぐうの音も出ませんでしたよ。説得する気も無くなってしまいました。尤も、彼女は一度決めてしまったら誰の言う事も聞かなくなるほど頑固なところがありますので、例え説得していたとしても結果は同じだったと思いますがね。

何が原因なんでしょうか?
自分としては結婚というものを意識していましたし、彼女だって前日までは普通に接してくれていました。
…いえ、すみません。実は別れた原因は分かっているんです。
『彼女は僕に満足していて、僕がいなければこの先いきていけない』と思いたかっただけなんです。
実は相手がいなければ生きていけないのは僕の方なんですよね…いやぁ、情けない。
僕の目も当てられないような収入ではあなたにお支払いする報酬も1回分…ですか。まぁ、しょうがないですよね。

では…早速ですけど今回の内容をお話しさせてもらいます。
二人の間の歯車が狂いだしたのは10日前です。なんだか小説の登場人物のようなあなたに話すのは申し訳ない位のありがちな話なんですが、その原因というのは僕のちょっとした浮気なんです。職場の部下に言い寄られてそのままフラフラっと付いていってしまったら、こんなことになってしまいました。今、考えると
『何であんなことしたんだろ?』
って感じですね。そんなにカワイイ相手なわけでもないのに。
そして間が悪いことは重なるもので、一緒にいるところを彼女に見られてしまったのが運の尽きでした。
ただね、何もその相手とやましい事はしていません。これだけは天地神明に誓って言い切れます。それでも彼女には受け入れてもらえませんでしたが…

ですからね、今回あなたにお願いしたいのはその部下に言い寄られた瞬間の事なんです。
ターニングポイント…って言うんですよね?違う選択をした場合の自分の運命を見せてもらいたいんです。
ええ、勿論分かっていますよ、例え今回別れなかったとしても、この先結婚して死ぬまで一緒にいれるなんていう保証はどこにもないってことが。ただね、失って初めて分かるものってあるじゃないですか。それが今の僕にとっての彼女なんです。

どうか、ひとつ宜しくお願いします。
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練習 能力者側

その日も我が「  」(名前は後で考える)に一人の男性が訪ねてきた。

男性は1年前に彼女と別れていなかったらどうなっていたかを指定した。こういう依頼は実をいうととても難しい依頼である。何故なら、不和によって別れているとすれば別れたその日ではないものの、いずれにしろ別れるという結果になり易いからである。だが我々はプロである。あらゆる可能性の中から、別れることなく交際が続いている現在という平行世界を研究し提供することも出来る。だがその分の報酬は必要とする。(この報酬は全ての平行世界に共通する一つの不思議な匣によって共有されている。)だから多くの場合、依頼者はターニングポイントとなる瞬間を選んで、その時とは違う別の選択をしていた場合の運命しか見ることが出来ない。そのターニングポイントの後の依頼者の行動を一定以上操作するには、やはり莫大な報酬がいる。


さて男の名は「 」。25歳。中肉中背。至って平凡なサラリーマン。先程説明したような事情を既に知っている彼はおそらく、ある「はっきりしたこと」が原因で別れたという事なのだろう。そしてその原因にまつわるターニングポイントが存在する。報酬の量から言って、操作は、一回限り。さて上手く行くだろうか?

はじめ

何かを始められるというわけではない。だが私が何もできないかというとそれは嘘になる。一人で過ごす時間が多ければ考える事も増えるというもの。


私がイメージする遊びは、例えば今の私とO氏がやっているようにどこかで「交差」し合う二つの視点からの短編だ。


例えばO氏の考える、ある短編のアイディアを私がまず大雑把に具現化してみる。その際、その小説には丁度、「依頼者」と「能力者」があるから、私は「能力者」視点で物語を書いてみるのだ。


失敗覚悟でやってみる。

遊び

私は考えてみる。遊びと本気の間にあるものを。具体的に言えば、スポーツ、音楽などはそうではないだろうか?勿論それを生業として生きている人は本気なのだが、そこに「遊び」の心がなければすべて利得、現実、しがらみなどの事だけで成り立つような、見ている方も全く面白味のないものが出来あがってしまうだろう。

その面白味のない「そういうもの」に嫌気がさしていた頃に出来たものが、あのスピスタ市だとは言わないが、あの頃のように「ただ楽しいから」という勢いだけで何かをつくれるような、そしてそれである人にとっては満足を与えられるような、そういう世界ではないようにも感じる。


良くも悪くも、大人臭くなっている。あるいは、そうではないのかも知れない。ただ何と言ったらいいだろう、私自身、求めるものが大きくなり過ぎているのだ。「ただ楽しい」という感情を持つという事の方が稀になってしまっている。


きっと、私は遊びたいのである。それは現実を知ってなお、分別がついて尚、浮かんでくることである。



目的など無くたっていいじゃないか。私は、文章の中で遊ぶ。

間にあるもの

この雰囲気は懐かしい感じがする。

と言っても、まだ私だけのものなのだが、、、。


遊びと本気の間の感覚である。Oが意識してそれをやったわけではないが、それは、「はじめに」と「ファミレスにて」という設定が既に曖昧になりかけているという様子なのだろう。このブログ自体を設定に取り込むということはまだやっていなかったのだが、まあ後付で何とでもなる。

というわけで少し作業。

相も変わらず、茶を濁す

Hによってページに付け加えられた一言は短いながらも内容はズシリと重みのあるものであった。
我々は小さな一歩を踏み出したわけであるが、ここで何度か書かせてもらった通りある種のゴールが定まっていない。それもそのはずで、そのゴールに至るまでの手段というか手法もまた定着を見せていないからだ。
しかし、それは予期せぬことなどではなく、初めから分かっていたことだ。

言葉は悪いが『見切り発車』を提案したのは自分だからだ。

しかし、時にはこういった手法も悪くはないものだと思っている。
机上で『何をやれば良いのやら』と、ただ途方に暮れるよりもお互いに試行錯誤を繰り返すことで何かが生まれる可能性があるからだ。
こうやって文章を考えていると、企画自体はまた別として、くだらない雑文・乱文は次から次へと溢れてきている(入浴中も、運転中も、布団に入っている時でさえもちょっとした閃きはあるのだが、それをメモしていないために数分後には忘れているという悲しい現象も無くは無い)。
それはまさしく昨日の記事でHが言った通りで『考える時間・考えること自体に価値がある』ということの一種の結論なのだと思う。

ただ、一つ言っておかなければならない。
上で述べた『考えることに対する価値観』は、いつまでもこの状態を許容するものでは決してない。
いつかは方向性や手法などを決め、それらに対して邁進していかねばならず、だからこそこの中身の薄い頭をフル回転させているのだ(もしかしたらHはそろそろしびれを切らす頃なのかもしれないが…)。




最近、句読点の付けどころに悩んでいる。

10月9日

O氏にあの白紙に近いページを見てもらったが、今のところ、あれが我々が有しているものだろう。タイトルしかないページ。O氏も頭をフル回転させてアイディアを練ってくれているところ。



ところで私は、このアイディアを練る『時間』、そのものに魅力を感じている。


私は一つ考えた。つまり、やることは何でもいいし、話題は何でもいいのである。とにかく、話が膨らみさえすればいいのだ。そして、この雰囲気のなかでそれを醸成してゆけばいい。



だが、膨らむ話は何だろう?結局それは全てが行き着くところ、それは…



言いかけて辞める。



その代り私は、空白のページに何か一言を付け加えることにした。

『このブログは誰かが見ているのか?』

ほぼ限りなく白紙に近いHTMLファイルを目の当たりにし、連休明けの頭を働かせてしばらく考えた。
今まで淀みなく流れていた俺の血は急激に猛り、『決起せよ』と促しにかかってきている。

俺たちの限りなく皆無に近い力で何かを変えたい、起こしたい。
アクセス解析に明確この上ない結果は残っているだろうが、このページを全世界の人々が見ていると思いたい。
別に『特段素晴らしい内容が書いてある』というような自信も自負も無いけれど、くだらない内容の中に何かを生み出したい。
ただそれが何なのか、未だに見えてこない。
故に上手く伝えられない。
それなのにこのような企画をスタートさせた以上には、なんとか一つの形に仕上げたいと思っている。
例えそれが第三者の皆々様に成功とは見なされなくても。

今、自分がこうしている間に地球上の人間全てがどこかで生活をしている。
日本で括るのは勿論、地球の裏側でもきっとそうだ(寝ているかもしれないが)。
純粋無垢に文学の道を究めるのも良し、破廉恥な道を恥じらいも無く生き抜くのも良し、我々の様に己が企画を貫き通すのもまた良し…
全ての人間に等しく時間という概念が与えられ、一人一人がそれに則って多様な活動を行っている。
で、あるならば何かをしない方がおかしい。

『今更、何を?』
『夢ばかり見ているんじゃないよ』
『何が変わるというのだ?』

そんな声が出てくるかもしれない。
だからそれに応える。
『ごめん、もうちょっと待って』と。

世界を変えないまでも何かしら足跡を残してみたいところだが、何をやればいいのか全く分からないんだよなぁ。

10月9日

3連休という楽園から舞い戻った俺はすぐさま現実に引き戻される。
日曜の夕方というのは憂鬱この上なく、18時からの“ちびまるこちゃん”が始まると精神組織はズタズタに引き裂かれ、再生不能の一歩手前までに追い込まれることとなる。
しかし、昨日に至っては月曜日の祝日ときたものだから、18時になっても“ちびまるこちゃん”との遭遇は全く無く、しかも一週間の勤務が残り4日というボーナスウィークであることが判明した。
当然、若干ハイになっている。





おはようございます、前置きが長くなりましたがOです。
前述の通り、現実に引き戻されています。
家族サービスも一応落ち着きを見せておりますので、更新を再開させたいとおもいます。

H、おまたせ。
ブランクたっぷり状態で頭が付いていけないと思いますが宜しくどーぞ。


さてさて…
今回は“とりあえず”の更新に留めてみました。
まだまだ頭が働かないので…

ページです。

http://aftercity.web.fc2.com/

10月6日②

Oの希望も分るのだ。だがスピスタ市という空間が成り立ったのは長い時間をその活動に費やせるという条件があったからだと私は考えている。おそらく、今後何かを行うとしたら、そうもゆくまい。

だが私は二日前ファミレスで話した、スピスタ市よりははっきりしたものではないかも知れないが、活動の拠点になるような最小限の何かなら創れるし、続けてゆけるのではないかと思った。時代に逆らってHPでも作ればいいのだろうか?だが、他の方法はないだろうか?


私は考えたが、あまりピンとくるものがない。何故なら、ソーシャルサービスは広がりがあり過ぎてしまえば他者を気にして内輪のネタを使えなくなるし、発言を気をつけなければならない。そしてHPもかなり気合が入ったものを作らなければならないような気がしてしまうのだ。


既存の何かでは大きすぎ、新しく作れるものでは貧弱すぎる。


これはまさに我々が向き合っている現実の写しではないだろうか。中間のものがあった時代…そこそこのものでも十分活動になっていた時代。既にそういう時代ではない。今やブログ以上でなければ、何も始まっていないと見なされてしまう。



いや…だがもしかすると。


私は考え直す。仮にHPを作るにしてもスピスタ市以下の最小限の機能しかないものすれば良いのではないだろうか。つまり殆ど何もないのだけれど、妄想的にあたかも「そこに何かがあるように」振る舞う事によって、つまりそれを象徴にして可能になることがあるのではないだろうか?例をあげれば、それはお菓子のオマケのようなものである。しかし、そのオマケから妄想出来る事はきっとある。つまり我々は、設定を考えれば、それが十分なカタチをなしていなくても十分に何事かを妄想できるのである。



…ということで、私は何も考えず、ほとんど白紙のHTMLファイルを某所にアップした。そしてこのブログを立ち上げた。

10月6日①

友人Hの反応は悪かった。
妄想では確かに弱い、分かっている。
分かってはいたが、心のどこかでまだ『スピスタ市』に未練に似たような感情があったのだと思う。


そもそもスピスタ市が一時でさえ繁栄したのは市長の功績でもなんでもなく、影から支えてくれていた友人Hのマネージメントと友人Kの言いようのない何かがあったからだ。

別にどちらが上、下など決める必要もないが、今回はHの助言に従ってみようと思う。

とはいえ、俺も今や一児の父。
週末は家族サービスに使いたい旨をHに申し出、家族の下へ片道300キロの道を行くことにした。

10月4日③

「妄想力…」


友人Oは言った。なるほど。我々が現実を知り、現実に追われ、現実に埋もれて失いかけているもの、それは『妄想』する力なのではないか。妄想力とは、現実を一度忘れる力である。現実に適応するだけではない。それは現実を相対化し、現実にないものを(もしかしたら)もたらす力でもあるのではないだろうか?


だが具体的に何を妄想したらいいのだろう?私は思考し始めた。これは妄想内容を思考するというとても奇妙な状況だ。そこで私は一つ閃いた。この現実をすこしズラしたパラレルワールドを妄想すれば良いのではないかと。例えば今このファミレスで会話している時間から分岐するような世界だったら…。しかし、何故だろう私は強烈な既視感に襲われて、その案を却下する事にした。Oはそれで良さそうな気がすると言った。けれど私は、そうすると、話が非常にややこしくなるような予感がしたのである。



私はアイスコーヒーをお替りした。時計は7時を回ったところだった。随分喋った気がするのだがあまり時間が経っているように感じられない。


「妄想の力か。それが上手く行けば『スピスタ市』のようなちゃんと仮想空間に存在する場所になるけれど、今はあの時と違うからね。かといってブログで出来る事も限られてしまうな…。このご時世に出来る事って確かに妄想くらいなんだけど、それじゃあ虚しいな、何かの形にしたい。」



私はここでOとの考えの相違を考慮し始めた。Oは、何か『スピスタ市』的なもののリバイバルを求めているのではないか?それに対して私は、この会話の状況が続いたところにあるリアルな対話を求めている。これは片方はより妄想度が高く、片方は妄想度が低い、ということを意味する。妄想度の高い方は、語り易い反面、世界が成り立ちにくい。妄想度の低い方は実現性が高くリアリティーがあるが、リアルと同じような責任感を伴ってしまう。



では…その中間ではどうだろう?そこそこ実現可能で、そこそこリアリティーがある何か。そこそこ実現可能だから、現実でもそこそこ妄想で補えば理解できること。イメージとしては…スーファミからプレステ…あたりの再現率。どれくらい現実をデフォルメして理解するか…。


私はOと相談してみることにした。

10月4日②

しがないサラリーマン道まっしぐらの自分に向かって友人Hは言葉を発した、『何かやらないか』と。

なるほど。
何かに飢えていたのは事実だ。

だが、その何かを掴めていなかったのもまた事実だ。


忘れはしまい…かつて俺達は架空の都市をネット上に設け、その中で毎日詭弁を論する事に明け暮れていたのだ。
一応、発起人という事もあり、俺が市長に就任した。幸か不幸か、都市運営を軌道に乗せてしまった事で、阿呆極まりない素人市長は形ばかりの議会を牛耳ることで、『人口1.5倍計画』を発令。意味不明の勢いに乗り、瞬く間にその人口を2人から3人に増加させることに成功してしまったのだ。

『スピスタ(この都市の名前www)市民でなければ人ではない』そんな言葉が町中を駆け巡り誰もが永遠の繁栄を夢見た。

成功の中である者は存分に哲学を語り、ある者は大学の必修科目である物理学の単位を落とし、ある者はあろうことか恋愛を成就させるに至る。

思うところがあり、これ以上は語らないが、俺は過去の栄冠と成功に支えられ、今は半ば死に体の身となっていた。

そして決心した。

いや、海賊王じゃなくて…

再びHと立ち上がることに。

何もかも失った中で唯一手元に残っていた、『妄想』という、リーサルウエポンを手に。

10月4日①

ファミレスで友人Oと私は、「このご時世に我々が出来ること」について話していた。

「いやね、思うのさ。このご時世だから、何を話してても話し難い話題になってしまう。っていうか、私達に何かが出来るかっていうと何もできないわけで、でも何かはしたいわけで。かといって具体的に何かをしようとすると、やはりさっき君が言ったように、『先立つもの』がなかったり、時間がなかったり。ネットで何かをしていても、自分の中で話が完結してしまう、閉じてしまう感じがある。自分がした事が、もうちょっと何かに発展することを期待しているんだけど、なんか上手く行かないんだよね。だけどね、ちょっと面白いことは出来るような気がする。そのちょっと面白いことでさ、『少し世界を面白くする』っていうと言い過ぎだけど、我々の身の回りくらいは、面白くならないもんかね?

例えば、君最近本とかよく読むようになったし、アウトプットしたいって言っているよね。でもネット上で公開するには少し敷居が高いじゃん?それに、アウトプットできる瞬間ってあると思うんだよね。それって案外、普通に喋っている時に思いついたりして、コラムを書くようにアウトプットすると疲れちゃったり。それを自然に出てくるようにする手段って一杯ある。Twitterとかは特にそうかな…。うん。」

その2

大枠はできてきた感じ。

アイディア4

『スピスタ市』についてもあれはパラレルワールド的な側面を持っていたように思います。擬似的に役割を担うことによって、語り口も、視点も生まれてきます。役割をある程度固めてしまうとルールというか、やり方が制限されますが、むしろ最初はその方がやり易いのかも知れません。


あと、リアリティーがあるパラレルワールドと同時に『リアル』によって反省を加えてゆく事も必要と考えます。パラレルワールドの事なのか、リアルの事なのかを区別がつけられるように、カテゴリを予め作る…。ここの全てをパラレルワールド化させる魅力は勿論ありますが、意識して切り替えられる。こういうことが出来て本当のゲームではないでしょうか?その為に、少しばかりいわゆる「メタ」な視点で反省できる、「はじめに」は有効です。


ただし、情報がごっちゃになる可能性もあるし、パラレルワールドの中からリアルの情報が湧き出る事も予測され、それについてお互い興味が出る事もあるだろうし、逆にパラレルワールドの情報をリアルの何かに取り込みたいと思うのも必然です。ただ、その場合は取り扱いを慎重に。それこそ一度、リアルな感覚に戻って反省を加えるべきでしょう。


ところで、先程と矛盾するかも知れませんが、この「アイディア」のカテゴリは既にして、パラレルに入りかけています。つまり「入り口」という側面を持っています。少しの妄想から少しずつ、広がりつつあります。

『アイディア3に対して』に対して

確かに漠然とし過ぎています。
先の記事の様にルールが必要です。
何故ならば、妄想であるのに最終的にアウトプットという作業を経て、例えば本ブログの記事として世に出てしまう事により、(一応)大衆の前に晒されてしまうからなのです。

“自分の頭”という限られた領域の中で作られたパラレルワールドであれば、曖昧であろうと何であろうと一向に差し支えないでしょうし、誰に迷惑をかけるでも不快な思いをさせるわけでもございません。

この現実世界は様々な哲学や思想、または宗教で満ち溢れており、人の数だけ物に対する考え方がバラバラなのです。ですから、ルールというある種のフィルターをかけることにより大衆向けの妄想へと仕上げる必要があります。そして昨日も話に出たようにそのルールは結果的に企画の長続きへと繋がるんですね。いわば、ルールがあることにより、“作業”は“ゲーム”になるのです。

やはり、一人で悶々と机上で考えているよりは有益なアイディアが出ますねぇ。
よりリアリティに近い世界を設け、その中でちょっとしたパラレルワールドを作るのは楽しいかもしれませんな。

アイディア3に対して

「仮にそんなことがあるとすれば」、なかなか面白い。エネルギーを感じるのだ。

ただ、今のままでは漠然としている。仮に『何が』あるとすれば、面白いのか?あるいは『どういう状況だったら』面白いのか。その設定を考えると、条件をまず絞ってみるところから始めてみればいいのかも知れない。そして先ずは微妙にズラしてみるところから冒険を始める。


世界設定はほぼこの世界と同じで(というのもリアリティーがある方が想像しやすいから)変更させるのは

①「どこどこの だれだれが ○○である」とか

② ある架空の人物が近くに住んでいるとか



①だと普通で、②だと少し冒険した感じ。その中間で、③「近くに○○がある」という設定。


例えば情報交換する昔ながらの『酒場』があって、そこで酒を飲みながら、明日の事について語り合っているという設定とか…。


題して、「とある酒場で」



…ところで思いっきり大人の悪ふざけになりそう(笑)

アイディア3

妄想が得意です。
…いえ、暴走ではなく妄想です。

一歩間違えると危ない人間の領域に達してしまいますが、グレーゾーンまでならば一見普通の人間と何ら変わりがありません。

『もし~』
『~たら』
『~れば』

頭の中に留まりさえすればどんな事でも許されます。
いわば無法地帯にしてユートピア。
これを生かすも殺すも正に人間次第。

で、あればこの脳内ワールドを本企画に生かさない手は無いのでは?

駄文でしたorz

アイディア2(断片から)

断片的な事、「それがどうしたんだ」って言ってしまいそうな、まだ広がりのない事をまず集めてみる。

例えば、「特に意味はないが除湿器に目が留まった」とか。
例えば、「猫は今日も相変わらずだ」とか。
例えば、(これは結構重要だけど…)「今日から就活だ」とか

つまらないという先入観を捨ててみる。その断片が何かちょっとした刺激になって何かを引き起こすような。

アイディアについて

アイディアを少しづつ載せてゆく事にした。何でもいいのでメモ代わりに。

アイディア1

空間的な広がりがある事ができるだろうか?街で見つけた面白いものとか?あるいはネット上で。
あるいは、もっと抽象的な広がり。例えば「本」の世界の広がりとか。

その1

なにをするかはまだ手探り。とにかくスローペースで。
プロフィール

二人の管理人

Author:二人の管理人
ブログには珍しく二人の管理人で更新してゆくブログです。

二本松のこと、競馬のこと、これから手探りで何かを
やってゆこうと思っています。




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