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スローペースで、二人で出来る事を模索しながら。二本松、競馬、などなど。

福島に関する書籍

地元のリサイクルショップで福島県の歴史や二本松の歴史について学べそうな
書籍を3点見つけました。古い本ですが福島民友新聞社の出した「ふるさと再発見」
「ふくしまの風土」です。これと以前発見した「ふくしま一世紀」を合わせると
大分福島の事について分かります。あと図書館の蔵書ならあるはずの「二本松市史7」
もありましたので購入。

「ふくしまの風土」を今読んでいますが、それぞれの地域のルーツや歴史などが
分って面白いです。
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匂い

O君も悩みがあるようである。将来の夢が古本屋という事だが、私も
将来こじんまりとした喫茶店でも開けたらいいなという夢なら持っている。

いっそのこそ、「文学的」な匂いのある町にしたっていいと思うのだ。


私が文学の匂いに触れたのは太宰治だ。あの人の文章は引き込まれるような
感覚があるという意見を聞くが、以前それとは別に文体がそんなにひねくれてい
なくて素直に「こと」が多く使用されているという「事」に気付いたのだが、
それが何というか、文学作品の感覚と矛盾しないのが不思議だった。小手先の
業よりも、内容が真に迫る書きものに、読むよりも理解させられるという
現象が起っていたように思う。


その匂いを知らないのに知っている。


私はその匂いに一度囚われ、日記ですらそういう風に書いていたことがある。
それが文学の匂いだというのなら、それは怪しく危険な匂いでもある。その
匂いのするほうに自分を進めていったら、まるでそういう世界に行ってしまう
のではないだろうという感覚があった。


と言っても自分はどちらかというと理知的なものが好きだから、最後までその
感覚に浸れずに、醒めて冷静に分析してしまう。文学は基本的にその情緒が
続かないと成り立たないような気がする。単なる情報の寄せ集めではない。
その情緒が正当化され、その情緒のままに振る舞って良い空間が出来あがって
いる。だから自分は物語の中でそう行動することが出来る。太宰治は現実
にそれを求めたのだろうか?なんにせよ、物語的な雰囲気はそう維持できる
ものではない。最終的には現実を成り立たせている制約、制限、社会、秩序が
失われた光景を小説は想像上で実現させるようでありながらも、書き手の位置が
既に現実に根付いてしまっていては完全なる想像の向こうには行けないのだ。


それでも、小説という虚構、フィクションの匂いをどこかしら漂わせながら
生活の一部にそれを感じたいという欲求は誰にでもある。文学的な匂いが
する街は確かにある。それは何というか、自分が危うくなるような感覚が
あるような情緒を感じさせる街である。『物』よりも『物』に刻まれた
跡、そういうものがまるで何かを語り出しているかのように思える。そういう
街なら、自分もその匂いに誘われて、ちょっと違う事でも起こりそうに
思えたりする。



文章にしてもそうだ。マウスをクリックして、そのページを開いただけで、
何となく、その匂いが漂ってきそうである。そんな一ページを作成して
いけば、少しは唆される人も出てきたりして。

またホリック

『平行世界』について扱っている作品は幾らかあると思いますが、
以前から興味深く読んでいる「xxxHOLIC」は確かに平行世界というか
多世界を肯定している世界観です。


一つの世界の事が他の世界に影響を与えているとして、そういう事が
見えている人にとっては、自分の生きている世界はどういう風に生きる
べきものなのか、やや迷いそうでもありそうです

分厚い本

寒くなってくると、どうしても読書ばかりになってしまいます。
図書館で借りた『千夜千冊』という分厚い本を読んでいるのですが、
これがサイエンスが好きな人にとってはぴったりの本です。

私はレビューが下手くそだし、本なんて言うのは実際に読んでみる
のが一番だと思うので多くは語りません。それに『千夜千冊』
自体が非常に『粋』なレビューの集積物なので、それを更に
レビューするとわけが分らない事になるので、感想だけを
述べます。


とにかく、情報量が物凄いので嬉しい人にとっては嬉しいです。
松岡さんの『フラジャイル』でもうその感覚が気に入ってしま
った人にとってはご馳走のような文章です。

XXXHOLiCについて

『アニメ・マシーン』という本で、CLANPの「ちょびっツ」について
語られていた部分で、論文の肝となるのは、「ちぃ」という存在が
パソコンなのか人間なのかという一点という事でした。

同じように、「XXXHOLiC」においても肝となるのは、侑子さんが
人間なのか人間じゃないのかという事です。設定としては「次元の魔女」
ということになっています。侑子さんの振る舞いは、人間よりの部分も
ありますが、日常生活においてもどちらかというと何らかの制限なり、
「条件」の中で形作られるものであり、おそらくは存在自体が、
そのような条件や制限を必要とするのだと思われます。


日常的なことにおいてもそうですから、存在を人間として見た場合と
背景を知ってみた場合では、印象が変わるでしょう。あくまで人間
として見る限りにおいて、ミステリアスな女性という印象が与えられ
ますが、実際問題として非常の能力を有するわけですから、そういう
背景を鑑みた場合は、そのまま人間としての評価は出来なくなります。



人間はあくまで現実において様々な条件が最初からあるところに生き、
そのなかで「価値」を見出します。条件が一人だけ違うような、例外
的な一点の中で人間とは違う理で存在する「モノ」「者」が人間に
とってどのように映るか、そしてそれをどう評価するか、それが
物語の鍵となっているようです。


その違う理の中に生きる存在を、人間の尺度では評価できないのかも
知れませんが、もしそれが普通の人間がただ能力を獲得しただけの
存在だとするなら、その「苦悩」、「迷い」、「判断」と言った
感情的なものが全く理解できないというわけではありません。その
可能性において、彼女を評価出来る存在は、彼女の行っている事
全てを見届けられる存在、特異体質の人間…と云うことになります。



ある条件、状況下におかれた人間の行為の価値は、無為にしても精神的
な価値を考慮すると、その条件、状況を理解出来るものにとっては
正当に評価されます。困難さにはそれぞれの『リアリティー』があります。
そのリアリティーを了解するからこそ、何かの価値が理解できるわけ
でもあるわけです。
プロフィール

二人の管理人

Author:二人の管理人
ブログには珍しく二人の管理人で更新してゆくブログです。

二本松のこと、競馬のこと、これから手探りで何かを
やってゆこうと思っています。




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