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スローペースで、二人で出来る事を模索しながら。二本松、競馬、などなど。

平均、坦々

自分の中で「少し大きいこと」があって、どちらかというと色んな事の配分で
で絶妙な具合に成り立っているバランスに影響する「少し大きいこと」だった
ので、それに合わせて心境が少し変わってきている。


そんな心境でこれから続けてゆこうとしていることを評価すると、改めて「難
しい」なと感じる。色々なものが上手く行ったり調子が良ければ容易そうにも
思えるのに、良い時と悪い時があるという事を考慮して長いスパンで『平均』
を考えてゆくと「坦々」とこなしてゆくだけではちょっと足りないように感じ
る。


とはいえ仕事の事を念頭に置いて考えるなら、そこで求められるのは「安定」
というか、こなしてゆく事だと思う。そこが疎かになってはいけないし、どこ
かしら「仕事と趣味のバランス」という観点も必要になると思う。もちろん、
今続けている「趣味」は生き甲斐でもあって、こちらもどうしても成り立たせ
たい心情がある。



『平均』、『坦々』とというキーワードで考えていった場合に、そういう見方
でも活動の見通しが立てられるような、負担が大きすぎない「やれること」を
探してゆく必要はありそうだ。
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大事に

展開は早いが「条件を揃い易くする工夫」は終わりに近い。考え得る事でやれる事はやったし、あとは巡り合わせで条件が揃うのを期待して過ごすのが賢明そう。


休日の今日も音楽がメインで活動をしていたが、それをネットでアップロードしてみての反応とか、気付きとか諸々はおおよそ予測の範囲内という感じで(まだ?)自分自身意外な事はない。



世の中的には休日ではないので反応も薄いのは仕方のない事だけれど、自分としては今出せる事は出し尽くしているようだから、自分をここから先に進ませるような動機ができない事にはなんともし難いかも知れない。



「特別」感はむしろ天候とか、仕事場の静けさで感じているような数日。それこそ世の中の大きな流れの中での情報を確認する方の優先順位がそこそこ高まっていて、一時的にその雰囲気の判断に身を委ねてしまっている気さえする。そこに対して個人の判断は大きくは変わらない。



が、「微かな」目覚めがあるとしたら、委ねてしまって呑まれてしまっていると自覚しているこの語りの意識自体だろう。それさえも一つの全体に数えるような流れならば最早逆らう事も立ち止まる事も特に意味はない。その大きさに比べると本当に「ノイズ」とか「誤差」のような判断の差異で、それでもそれを明確にする必要があるのか。



何が「目覚め」の内容なのだろう。際立っているもの、自分を殊更に出してゆく理由、出てしまう必然。既に「自分だけ」の事に限れば、、



そんな事を書いているうちに、少しだけ反応があって微妙に心境が変わる。個人として実感している何かが違うという、その感覚から生じる内容と友人とやり取りをしてそこで続いている「ノリ」から生じる内容と、二本松という場所の情報性から語られる内容と、、、でもそれが何処かに合流してゆく感覚も無くはない。



どのレベルでの事が「際立つか」と言えば、K君と結成したはずの「ダケスタリスク」とそこにO君が加わったスロぺの「ノリ」がやはり今でも、いや今だからこそ際立つ。際立つという事は比較によって内容になるという事でもある。



「目覚め」として、大きな流れに対して何かが出来るとするなら、なんて事を思いながら続けてきたけれど、そういう想いは実は3人とも同じなのだろうと思う。その共通項を大事にしたい。

分かりやすく

空回り気味に考えている気配も感じられる昨晩。自分で述べた「目覚め」の為の条件が揃い易くなる工夫をするという目標で出来ることを探していた。目覚めといっても起きる事ではなくて覚醒に近いニュアンスで、それについて理屈を色々考えていたらその目覚めに必要と考えている条件や舞台というのは運が良ければ揃うし、運が悪ければ微妙に足りないままという日々が続く可能性があるという予期に辿り着いた。


じゃあ以前から続けているテンションを維持する為の「環境を整える」という事に近い行動で何か条件を揃い易く出来るならば何だろうと意識的にも無意識的も考え続けているような状態。


説明すると複雑極まりないが、自分の意識の中では「どうしたらいいか」だけに集中して、浮かんでくるものを書き留めておいているいつもの工夫をしているだけである。



どちらにしろ可能な範囲での事しか動かせやしないので、言葉に出来ることを言葉にするとか、小説の中に取り込んでみるとか、ちょっとした音楽の録音をしてみるとかしかない。ただ逆にそういう事は出来る為に、やれるだけの事をやっておかないとこの試み自体が「不可能」だとは言えない為に何か考え続けてしまうだろう。


感覚的にはこの試み自体について言えば効果の大小はあれど「やや難しい」と感じる。大元が「難しい」挑戦だから、それをし易くさせる所から始めるのも割と普通なのだが、まずはそれを分かりやすく伝えるのが案外大事だったりする。

それでいて

考えてみれば自分にとって思い浮かべる「イメージ」は視覚的なものではなくて雰囲気とかそういう類のものかも知れない。メロディーははっきりしたイメージで浮かぶし、実際声のイメージもある。


音のイメージが画像ではなくほぼそれとしてイメージされているからこそ可能な作業もあって、そこに雰囲気的なものが加わるとほぼ音楽とも言えて、余裕がある時とか気分がのっている時にはその世界に入り込む事もできる。



自分のイメージ、想像力が高まっている状態が「特別な時間」の一つだとするならば、音楽だけではなくてもっと何かを具体的には描けているその状態は色んな意味で夢を近付けるーそんな気がしている。



とはいえ、そういう事だけではどうにも動いてゆかないだろうと考えるのも別な自分で、やはり想像は「補うもの」という感覚もある。イメージを満たしたいのか、それとも具体的な何かを届けたいのか、それは微妙な話である。



音という実体を、というか現実を実際に感覚するからより確かに感じ、確信するというのは必然でもある。想像を超える何かがあり得る世界で、いくらリアルなイメージに包まれていても、浸り続けていなければというのなら、逃避と似てくる。そうではない。想像が示したものに向かって自分を動かしてゆく、そして現実として何かを確かめたいのだろう。イメージ通りにはならなくても、そこにある何かで自分を何かに近づけて行けるのではないか。



少なくとも目の前にあるものだけではない。音を奏で、それを機械でこの世界に繰り返し満たす事が出来る。その音に勇気付けられそこから始められる、続きを行けるならば、「今だけ」ではない。何かの存在を証し立てる事が出来る。



そんな作品を作れるなら本望かも知れない。纏ったイメージの奥にある疑い切れない「何か」。疑い切れないとまで言わせる、密度。それが「無」であるとしたら最早何も持ってなかったと思う他ない、決定的なリアリティー。その隙間から溢れ落ちる真実、そんなものを目指しているのか、いないのか。



多少急ぎ過ぎただろうか。それでいて、

難しさを

『想像力』次第で順調とも、ちょっと足りないとも捉えられるような状況
と言えばいいだろうか。仕事の中でもある種の『難しさ』を感じつつ、与
えられた事の中で最善を尽くしてゆくしかないという場面が訪れる。自分
の意見で動かすことはできないけれど、自分が最善を続けた上でどうしよ
うもなかったという結果=事実が雄弁に語るというような事を期待するほ
かない。


無理、場合によっては『綱渡り的』な状況が続けば、個人の能力と言うだけ
ではない構造的な問題としてとらえる方が自然な事例もあると思う。まあそ
れほど大げさな事ではなかったのだが、限られた人にしかできないようなこ
とを要求しているならばと冷静に捉えなおすことも必要かもしれない。



そうは言いつつ、自分が求めていてやり遂げようとしている事も別な事情で
難しいのかも知れないと時々感じる、ような。その辺りは微妙な判断で、『
音楽活動』にウェイトを置いたスロペでの活動も時折修正を余儀なくされて
きたと思うし、常に『出来そうなこと』に取り組んでゆくしか活路がない…
とは言い過ぎの観はあるが、振り返ると<よく続けてきたな>と思ったりす
る。



こういうときでさえ自分の出来ることは説明すると難しくなりそうなことを
内容に短編を書いたりすることだろうなと感じる。それにしても今日は母が
言ったけれど「天変地異」のような日だった。自分の事だけではなく『難し
さ』を感じる事が多かった。
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二人の管理人

Author:二人の管理人
ブログには珍しく二人の管理人で更新してゆくブログです。

二本松のこと、競馬のこと、これから手探りで何かを
やってゆこうと思っています。




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