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スローペースで、二人で出来る事を模索しながら。二本松、競馬、などなど。

流れを

「流れ」というものを意識して過ごしている。テンションというか、ある事を思い立った時にそのままその方向に動いてゆくことが出来ればという事を考える時に浮かび上がってくるのは「流れ」だ。

テレビのように連続的な情報の流れは編集されてその形に揃えられている。個別の情報というよりは全体のテンションとか、あるタイミングである情報を流すというその連続が、それを受けなかった場合とは違う効果を自分に与えている、という前提で、自分が自発的に出して行ける流れを考えてみようという発想である。


ブログの更新はタイミングとしては連続というよりは離散的だろう。流れというよりは「周期」として波がやってくるようなイメージである基調情報を更新していった場合、何かしらの効果はあるのだろう。


過去に「新しい何か」として続けていたカテゴリーは、それを維持するのが体力的、技術的な意味で難しいものだった。



「流れ」として、技術的に可能だと思われるクオリティーを続けて、それがその固有性で発展してゆく方向に何があるのかという事を確かめてみるという試みは面白い。


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ねんまーつ

凄まじく技術的に難しい事を行なっているような感覚がある。前よりも確かに整ってきている環境で辛うじて可能になっている事はなんだかんだで地平に行く事だろう。


結果的には自分の為にそうするのだとしても、何かを願うようにしてする事はある。「明らかに何かの為」に出来る事はゼロとは言わない、言わないけれど少なくとも直接的なものではない。


「巡り巡って」という希望は異様なタイミングの良さを経験すると嘘とも思えなくなるけれど、逆に毎日気を抜けなくなる。



願っている事はシンプルだ。


「難しいけれどなんとかなれ」


案外それはオッサン臭く、慈愛に満ちているというよりは、なんかもう一杯一杯の響きだなと思う。だが、仮に自分が女神的な響きを持たせられるなら少しはそれっぽくも出来るような気もする。


なんにしても色々求められる年末を乗り切って友人と再会できればなと思う。

ゆく

「何かを動かす」。もしその一つに「自分を動かす」という事が含まれるなら、
例えば重い腰を上げるようによっこいせと口走りそうな具合にブログを更新す
るのも「何かを動かしている」という事になるのだろうと思う。


[はてさて]



読書をしたり、色んな鑑賞をしたり、とにかく自分から何かを得に行くという
事がないと作ってゆく事も難しくなるのですが、その最初の段階に使える余力
がなければ…みたいな話で、自分から動いてゆくという事の最大級ともいえる
「面倒臭さ」と常に争っているというのか、そんな感じです。


ただその『面倒臭さ』は非常に内容のある感情で、分析に分析を重ねてゆくと
それを説明しようとすると物語が生まれるんじゃないか…実際そうやって生ま
れた物語があったような気さえします。



殆どの場合、感覚的にやっている事です。伝わるか伝わらないかギリギリのライ
ンがあって、説明を放棄したくなる瞬間が何度もあって、ある説明のための説明
があって、で結論は割とあっさりしている。紆余曲折のところを省いてみるとご
くごく平凡な日常があって、稀に顔を出してくる『異様さ』に接近すると、その
反応として意識される確固とした内容があります。



切っ掛けは一つではないのですが色々な要因で『面倒臭さ』に…面倒くさい実態
に向き合ってあれやこれや語れる事を作ってゆく、そういうモチベーションが生
じたのは確かです。



[それで]


結局、動いてゆくしかない。色々難しい事はあるけれど、。

平均、坦々

自分の中で「少し大きいこと」があって、どちらかというと色んな事の配分で
で絶妙な具合に成り立っているバランスに影響する「少し大きいこと」だった
ので、それに合わせて心境が少し変わってきている。


そんな心境でこれから続けてゆこうとしていることを評価すると、改めて「難
しい」なと感じる。色々なものが上手く行ったり調子が良ければ容易そうにも
思えるのに、良い時と悪い時があるという事を考慮して長いスパンで『平均』
を考えてゆくと「坦々」とこなしてゆくだけではちょっと足りないように感じ
る。


とはいえ仕事の事を念頭に置いて考えるなら、そこで求められるのは「安定」
というか、こなしてゆく事だと思う。そこが疎かになってはいけないし、どこ
かしら「仕事と趣味のバランス」という観点も必要になると思う。もちろん、
今続けている「趣味」は生き甲斐でもあって、こちらもどうしても成り立たせ
たい心情がある。



『平均』、『坦々』とというキーワードで考えていった場合に、そういう見方
でも活動の見通しが立てられるような、負担が大きすぎない「やれること」を
探してゆく必要はありそうだ。

大事に

展開は早いが「条件を揃い易くする工夫」は終わりに近い。考え得る事でやれる事はやったし、あとは巡り合わせで条件が揃うのを期待して過ごすのが賢明そう。


休日の今日も音楽がメインで活動をしていたが、それをネットでアップロードしてみての反応とか、気付きとか諸々はおおよそ予測の範囲内という感じで(まだ?)自分自身意外な事はない。



世の中的には休日ではないので反応も薄いのは仕方のない事だけれど、自分としては今出せる事は出し尽くしているようだから、自分をここから先に進ませるような動機ができない事にはなんともし難いかも知れない。



「特別」感はむしろ天候とか、仕事場の静けさで感じているような数日。それこそ世の中の大きな流れの中での情報を確認する方の優先順位がそこそこ高まっていて、一時的にその雰囲気の判断に身を委ねてしまっている気さえする。そこに対して個人の判断は大きくは変わらない。



が、「微かな」目覚めがあるとしたら、委ねてしまって呑まれてしまっていると自覚しているこの語りの意識自体だろう。それさえも一つの全体に数えるような流れならば最早逆らう事も立ち止まる事も特に意味はない。その大きさに比べると本当に「ノイズ」とか「誤差」のような判断の差異で、それでもそれを明確にする必要があるのか。



何が「目覚め」の内容なのだろう。際立っているもの、自分を殊更に出してゆく理由、出てしまう必然。既に「自分だけ」の事に限れば、、



そんな事を書いているうちに、少しだけ反応があって微妙に心境が変わる。個人として実感している何かが違うという、その感覚から生じる内容と友人とやり取りをしてそこで続いている「ノリ」から生じる内容と、二本松という場所の情報性から語られる内容と、、、でもそれが何処かに合流してゆく感覚も無くはない。



どのレベルでの事が「際立つか」と言えば、K君と結成したはずの「ダケスタリスク」とそこにO君が加わったスロぺの「ノリ」がやはり今でも、いや今だからこそ際立つ。際立つという事は比較によって内容になるという事でもある。



「目覚め」として、大きな流れに対して何かが出来るとするなら、なんて事を思いながら続けてきたけれど、そういう想いは実は3人とも同じなのだろうと思う。その共通項を大事にしたい。
プロフィール

二人の管理人

Author:二人の管理人
ブログには珍しく二人の管理人で更新してゆくブログです。

二本松のこと、競馬のこと、これから手探りで何かを
やってゆこうと思っています。




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